7.初恋
『レイジなの?』
見知らぬ少女に問いかけられた凪人は少し考えてから首を振った。
『ううん、ぼくは……ちがう。レイジしっかくだ』
「友だち」をケガさせた上、演技を見破られた。本物の小山内レイジは泣き虫ではあるけれど誰かを傷つけたりしない。
『レイジ、じゃない? んー?』
少女アリッサを首を傾げる。
どこからどう見てもレイジなのに「レイジじゃない」とはどういう意味なのか。頭の中がこんがらがってくる。
『あっ』
ドンドォン、と空が震える。梢の隙間から花火の一部が見えた。
そうだ。花火を見に来たのだ。
『んと、こっち』
アリッサは凪人の手を引いて近くのベンチへと連れて行く。
木造の簡易ベンチだったが小学生のふたりにとっては十分すぎるほど大きい。けれどアリッサがどれだけ爪先立ちしても花火はよく見えない。一方の凪人は花火に背中を向けたままうつむいている。
『はなび、みないの』
凪人は無言のまま首を振る。
アリッサは分からないことがたくさんありすぎて頭が痛くなってきた。レイジにそっくりなのにレイジじゃないし、花火を見ないし、アリスとパパと迷子のままだ。
『――ねぇ、きみはレイジのことどう思う?』
『ん、と……かっこいい!』
『そんなレイジが友だちをケガさせたらどう思う?』
『んー、かなしい』
『だよね。ぼくもそう思う』
ニッと歯を見せたかと思えば大きく息を吐いた。
『そんなレイジ、いやだよね』
分からないことはたくさんあるけれど、目の前にいるレイジそっくりの男の子が悲しんでいることだけは分かった。
笑って欲しいな、とも思った。
アリッサは花火を見るのを諦めて大人しく隣に座る。足をぶらぶらさせながら一所懸命考えた。なんと言えばいいのかを。
『でも……でもね、アリッサもアリスとケンカするよ』
『……? うん』
『お友だちとも、ケンカする。えんぴつ投げたり、叩いたりする。ずっとニコニコしてるの、つらいもん。だからごめんねって、ちゃんとあやまる。レイジだってきっと、おなじ。ずっといい子じゃなくても、いい。がんばるじゃなくて、いいよ』
『……』
『小山内レイジ』であることを誰よりも求められていた凪人にとって、アリッサの言葉は暗闇に差し込む一筋の光のようだった。
凪人の目尻に光るものを見つけたアリッサは手を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。
『えっちょっ、なに?』
突然のことに慌てふためく凪人。けれどアリッサがなにも言わずにぎゅーっと抱きしめてくるのでなんだか不思議な気持ちになった。
『ぼく、泣いてもいいのかな』
『うん。いいよ。アリッサはレイジの味方だもん』
『……ないしょにしてね』
途端に声を殺して泣きはじめた。アリッサはよしよしと頭を撫でてあげる。花火はきちんと見えなかったけれどもっと大切なものを見つけたような気がした。
『へへ、いっぱい泣いちゃった。一年分くらい、泣いたかも』
しばらく泣き続けた凪人は照れくさそうに顔を上げる。もう大丈夫、そう思ったアリッサはきちんと座り直した。
『ありがとう。ぼくは凪人っていうんだ』
『なぎ……と?』
『うん。レイジっていうのは「げーめー」で、本当は凪人っていうんだよ。ナギでもいいよ』
レイジじゃなくてナギ。
なんだかよく分からないけれど楽しくなってきた。
『ナギ! アリッサはね、アリッサっていうの!』
『うん。よろしくねアリッサ』
『アリッサね、レイジ――じゃなくて、ナギのおかげで学校かよえたの。がんばって学校いってるのみて、アリッサもがんばろうって思って』
『そっか。アリッサはかわいいから、きっとみんな嬉しいよね』
確かに再び学校に通うようになってからみんなとても優しい。『つきあってください』と書かれた手紙を何回ももらったし、『しょうらいケコンしようねー』と言われることも多い。
けれど。
『アリッサはうれしくない』
『どうして?』
『だってアリッサ、レイジのことがしゅきだもん。みんなより、ずっと、レイジのことしゅきだもん。ケコンしたいもん』
興奮して前のめりになるアリッサを前に、凪人はびっくりしてただただ目を丸くしていた。
『えーと……レイジはぼくなんだけど、アリッサはぼくとレイジならどっちが好き?』
恥ずかしそうに下を向いたアリッサは、
『……どっちも、しゅき』
と一言。凪人は大声で笑ってしまった。
『もーよくばりだなぁアリッサは』
不思議な夜だった。大人たちがだれもいない。ふたりきりの夜だ。
幸せとかそういうものは分からなかったが、アリッサの胸の中は温かいものでいっぱいになる。
最後の花火が上がるまでふたりは家族や小学校生活、友だちのことを思いつくまま語り合っていた。
『……あ、ごめん。そろそろ行くね。おかあさんが探しているかもしれない』
『アリッサも。パパとアリス、さがさないと』
『またねアリッサ。また会えるよね』
頷くかわりに凪人に飛びついた。頬にちゅっと口づけする。
驚いたのは凪人だ。キスされたのは初めて。慌てふためいたせいでバランスを崩して後ろに倒れた。
『……ナギ――ッ!!』
響いた悲鳴。
地面に頭を強く打った凪人はそのまま意識を失った。
次に目覚めたのは病室のベッドの上だ。母が真っ青になって顔を覗き込んでいる。
『……ぼく、どうしてここに?』
桃子は心底ホッとしたように息を吐いて息子の前髪を撫でた。
『花火大会で迷子になったあとベンチのところで倒れていたのよ。たんこぶが出来ただけだったけど心配だから入院させたの。さっきまで葉山さんや小学校のお友だちもいてくれたのよ。ほらこれ』
段ボールの箱にオモチャやお菓子がぎっしり詰め込まれている。『早く元気になって』『また一緒に遊ぼう』『これからはもう少し優しくします』などのメッセージカードが差してある。
『ぼく、たおれたの?』
たしかに後頭部が膨らんでちょっと痛い。
でももっと痛いのは。
『そうよ。近くにいた女の子が大声で人を呼んでくれたらしいの。お礼をしたいんだけど名前分かる?』
『女の子……』
凪人は少し考えてから首を横に振った。
『わかんない。みんなで花火見に行こうとしてたのに、なんでぼくたおれたんだろう?』
なにも思い出せない。
けれど胸の奥に宿るぽかぽかした気持ち。これは一体なんだろう。なぜこんなにも痛むのだろう。
※
「思い出した。あのときの――!」
凪人はハッと目を見開いてアリッサの顔をまじまじと見返した。
「ウソだろ……、でも本当にアリッサ……あぁマジかよ、こんなことって」
花火が打ち上げられる度に脳がぐらぐらと揺れる気がした。しだいに記憶が鮮明になるのを実感する。
「おれ当時の記憶はもう曖昧だけど心の片隅にずっと残っていたんだ。大事なことを忘れているけどそれがなにか分からないっていう、もどかしい気持ち。もし思い出したのならお礼を言わなくちゃいけないと思ってた。お礼と、それから――ぁっ」
自分がなにを口走ろうとしているのかに気づいて咄嗟に口をつぐんだ。アリッサは不思議そうに首を傾げる。
「つづき、なに、ナギ」
「いや。えっと、ごめん、おれ――」
言えるわけがない。
動物以外を――それも女の子を「かわいい」と思ったのはアリッサが初めてだった。異性を意識したという意味では初恋と呼んでいいのかもしれない。けれど相手は大好きな
(おれはすっかり忘れていたのに、アリッサは覚えててくれたのか? ずっと……)
いつの間にか花火の音がやんで静かになっていた。お陰でアリッサの息づかいがハッキリ聞こえる。逆に自分の心臓の音が届いているのではないかと不安になった。
(う、うん、よし、決めた!)
凪人はアリッサに向かって大仰に頭を下げた。
「あのときはありがとう。アリッサのお陰で仕事も学校も頑張れた。最後はまぁその、逃げるように芸能界を離れたけど、結果的にアリスと出会えていまはすごく幸せなんだ。それもこれも全部アリッサが――」
「聞きたくない」
「えっ?」
「そんなの聞きたくない……」
上体を起こすとアリッサの目尻に光るものがある。アリスと同じターコイズの
「アリッサのほうが、先に、ずっと前から好きだったのに」
手の甲でぐいっと目尻を拭う。
「それは……」
恋愛は先着順じゃない。たとえ忘れていなかったとしてもアリッサと結ばれたかどうかは凪人本人ですら分からない。
いまはただ、どうやって諦めてもらうかを考えるしかないのだ。凪人にとってアリッサがアリス以上の存在になることはないのだから。
「アリッサ、聞いてくれ。おれは」
「ナギ」
はっとした次の瞬間にはアリッサの顔が目の前に。
「!」
やわらかな唇の感触。突き飛ばそうにも背中に回された腕が強くて身動きがとれない。ぎゅっと目をつぶった。
(ダメだ。ダメだこんなの)
意識に反して金縛りに遭ったように動かない体。
まるで永遠のような時間に感じる。
――そのとき。
玉砂利の音が鼓膜を叩いた。
まさか――と悪寒が走った。
力任せにアリッサの体を引き剥がして首を巡らせた先には。
「……なん、で?」
提灯に浮かぶ戸惑いの表情。
泣きそうな瞳。
呆然と佇むアリスの姿があった。
「アリ……」
「どうして?」
青ざめた唇が小刻みに震える。吐き出された言葉は。
「どうして凪人くん……とアリサが……キスしてるの?」
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