6.ふたりの出会い
『凪人くんは本当にいい子だと思います』
マネージャーの葉山は口癖のように繰り返す。今日も撮影を終えたタクシーの助手席でいつものごとく口火を切った。
『ええ本当に、本当にいい子だと思っています。監督の指示をよく聞き、現場の雰囲気をよく察し、お母様のことを大切に思っている。きついことがあっても泣きませんしね。本当によくできたお子さんです。でも最後のあの演技はいかがなものかと。お友だちと約束した花火大会に行くからと時間を気にして演技が疎かになっていました。もう少しプロ意識というものを――』
『葉山さんもう結構ですから。凪人もよく分かっていますから、これ以上責めないであげてください。このとおりです』
桃子が深々と頭を下げたのをバックミラーごしに見て、葉山は大きなため息を吐いた。
『失礼。言い過ぎました。お気を悪くなさらないでください』
『――ええ、もちろんです』
桃子は隣の凪人を気遣うように優しく背中を撫でた。
七歳と七ヶ月だった小学二年生の凪人は疲れきったような母の顔を見るのがつらかった。こんな顔をさせるために「おーでぃしょん」を受けたわけではない。
『黒猫探偵レイジ』の放送がはじまって半年。関係スタッフの想像をはるかに超える大ブームが起きていた。視聴率はうなぎ登り、グッズは店頭に出した瞬間に完売、早くも映画化の話まで。凪人は『小山内レイジ』としてあちこちの番組に呼ばれるようになり、学校にも週に一、二回通えればいい方になっていた。知らぬ間に「友だち」は増えたが保育園時代からの「心友」はみんないなくなった。
今日の花火大会に呼び出したのも自称「友だち」を名乗るイヤな奴らだ。ひとりはテレビ局のお偉いさんの息子らしい。
本当は行きたくないのだが断ればあとでなんと言われるか分からない。親を通じて桃子にも根回しされていたのだから逃げようがない。
『着いたようですよ。足元お気をつけて』
タクシーは花火大会の会場に面した神社の裏口に停車した。凪人は先に降り、母と葉山が明日のスケジュールを確認するのを待つ。
辺りは真っ暗でじぃっと目を懲らさなければ人の顔が見えない。この暗さなら、よほど注意していない限り周りの人たちが自分に気づくことはないだろう。
『あー来た来た』
賑やかな一団がこちらに近づいてきた。親と子ども含めて十人ほどだろうか。先頭には「友だち」を名乗る坊主の少年。綿あめやクレープを両手に抱え、ひとしきり屋台を楽しんだ様子が伝わってくる。
『あ、凪人のお友だち? こんばんは。お待たせしてごめんなさい』
ようやくタクシーから降りた母が「友だち」と付き添いの親たちに頭を下げる。
『ほらさっさと行くぞ。とーちゃんがスポンサー席用意してくれてんだ』
「友だち」は凪人の肩に腕をまわし、綿あめでベトベトになった手で頬を小突いてきた。自分の顔をティッシュペーパーがわりにされて強烈な怒りを感じたが母の手前、なんとか笑顔を取り繕う。
『はいはい通りますよー。黒猫探偵レイジが通りまーす。なんちゃってー』
狭い参道をわざと通り、屋台の灯りに凪人の顔が映し出されるのをニヤニヤしながら眺めている「友だち」。目的は分かっている。『小山内レイジ』を連れ歩いて自慢したいのだ。
『レイジ? あのレイジ?』
『ほんとだ……本人?』
『写真写真!』
『黒猫探偵レイジ』と聞いて振り返った人々は凪人を凝視したりカメラを向けたり後を追いかけてきたりする。ふだん撮影現場でスタッフたちに見られることはあっても、こうも狭い空間で不特定多数の人間に注目され、取り囲まれることのなかった凪人は恐怖にも似た寒気を感じた。
(なんか……気持ち悪い)
逃げたい。トイレに行きたい。早く終わって欲しい。
しかし「友だち」はがっちりと肩を掴んで離さない。それどころかますます声量を上げた。
『レイジがいますよー。あのレイジですよー。おれの大親友なんだ。な?』
『ねぇ、そんな大声で言わないで。人がいっぱい来ちゃうわ。ね、おねがい』
見かねた母が「友だち」を取りなそうとするが『うるせぇよババァ』と悪態をつかれた。途端に凪人の中でぷちん、と怒りが弾ける。
『ババァって言うな!』
無理やり腕を引き剥がした。
しかし相手は想像もしていなかったらしくバランスを崩して派手に転ぶ。「あっ」と思ったときには石畳の上にうつ伏せに倒れていた。
『……ってぇな!』
幸いにしてすぐさま起き上がったものの鼻の穴から血が流れ落ちた。それに気づいた凪人は「まずい」と青ざめる。
『小山内レイジ』が「友だち」をケガさせたと知られたら……葉山の鬼のような形相が脳裏をかすめた。
『ちょっと! 血が出てるじゃない!』
半歩遅れて「友だち」の母親が駆け寄る。すると本人も自分の違和感に気づいてしまった。
『血……! こいつ、レイジが、ケガさせた! どうしてくれるんだ! 血が出てるじゃねぇか! レイジがケガさせた!!』
阿鼻叫喚。次々と人が集まってくる。
凪人はこの世の終わりのような気がしてガタガタと震えた。
『凪人、謝りなさい。早く』
事態を一刻も早く収束させるべく動いたのは桃子だ。硬直していた凪人を後ろから抱きしめて相手に向き直らせる。人々が注目しているいま、形だけでも謝っておけば問題の半分は解決する。たとえそれが本人の意思に沿わなかったとしても長引かせるよりはずっといい。そう思ったのだ。
血の気が引いて冷たくなった息子の手をぎゅっと掴み、耳元でそっと囁きかける。
『大丈夫よ、お母さんは分かっているから。これも演技だと思ってベロ出しながら謝りましょう。それが終わったら花火なんて見なくていいから屋台で美味しいものいっぱい買って帰りましょう、ね』
(おかあさん――)
自分と同じように冷たくなった母の手を握り返した瞬間、自分の中でかちりとスイッチが入る。
大げさに泣き叫ぶ「友だち」と大声で非難する相手の母親。なんてことはない、よく見かける
(ああなんだ、簡単じゃないか)
これは撮影だ。演技だ。そう思えばなんてことはない。
凪人はいかにも思い詰めたような表情で手足をぶるぶると震わせながらふたりの元に歩み寄り、自分のズボンが汚れるのも構わずに膝をついた。
『ごめん……ごめんなさいっ』
凜と響き渡る声で告げる。決して「聞こえない」などと言わせないように。
『ぼくがつまずいたせいでバランスを崩しちゃったんだよね。本当にごめん。痛いよね、ごめんね』
「友だち」はぽかんとしている。
凪人は相手の服についた泥を丁寧に払ってやった。
『ごめん。本当にごめん』
涙声になり土下座せんばかりに頭を下げる。あまりの気迫に周りから同情の声が聞こえてきた。『そこまでさせなくても』『ただの鼻血だろ、おおげさな』『さっさと許してやれよ。可哀想じゃねぇか』それらはすべて凪人に味方している。
(これでいいんだ)
相手への申し訳なさは微塵もなく、どこか勝ち誇った気持ちでいた。こんな簡単な演技に騙される方が悪い。そんな驕りがあった。
しかし。
『――……うそだっ』
相手が叫んだ。
凪人の鼻先に指をつきつけ、まるで犯人だとでもいうように唇を
『こいつウソついてる。本当は悪いなんて思ってねぇ、だってそういう顔してねぇもん!』
(どうして……!!??)
心臓がはげしく鳴りはじめた。
どうしてバレたんだ、どうして。自分の演技には自信があったのにどうして。
そのとき頭上でパンッと大きな音がした。
花火だ。皆が一斉に顔を上げる。二発、三発と立て続てに打ち上げられて夜空を彩った。
(――……)
皆が花火に夢中になっている間に凪人はよろよろと立ち上がり、さっと人混みに紛れた。母が自分を呼ぶ声がする。けれど戻ろうとは思わない。
花火よりも相手のことよりも、自分の演技が見破られたショックの方が大きかった。
※
その日アリッサは父と姉とともに花火大会にやってきていた――が、案の定、迷子になっていた。
『パパもアリスもどこにもいない。まいご。だめねー』
自分が迷子になったのだとは気づかずにふたりの姿を探して歩き回る。
するとパンッと大きな音がして頭上で花火が開いた。アリッサも周りの人たちと同じように花火を見上げようとしたが背の低いためほとんど見えない。
『はなび見えるとこ、人いないところ』
人混みを抜けて走り出した。しばらく走ったところで神社の裏手にでる。木や建物の影になって花火が見づらいため人気はほとんどなかった。木立の間からどうにか花火を見られないものかと首を傾けながら走っていると――。
『わっ』
『あっ』
向こうから走ってきた相手と思いきり正面衝突して尻餅をついた。
『ごめん、だいじょうぶ!?』
さっと伸ばされた手。お尻をさすっていたアリッサはそこで初めて相手の顔を直視した。
息が止まる。
数十発の花火の光で明るく照らし出されたその顔は。
『…………レイジ?』
テレビ画面の向こうでしか見たことのない小山内レイジだった。
これがふたりの出会い。
凪人が忘れ、アリッサが忘れられない出会いだ。
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