12.Happy-Ending
翌朝、凪人はアリスたちと一緒に空港まで見送りに行った。
道中、思い詰めたようにうつむいていたアリス。握りしめた手は氷に触れたように冷たい。家族との別れは何度経験しても辛いのだろう。
そんな気持ちを押し隠したまま、空港に着くと気丈な笑顔を見せた。
「じゃあパパ、アリサ、元気でね。またいつでも日本に来て。電話もメールもいっぱいちょうだい。私もたくさん送るから。ね」
隣で見ていた凪人にはアリスが精いっぱいの演技をしていることが分かっていた。震える喉をこらえて必死の笑顔でふたりを見送る覚悟なのだ。
「うっ、うう、アリス! パパさみしいよー!」
感極まったように娘に抱きつく父親。アリスは困ったように笑いながらも胸の中に留まり、父の暖かさを噛みしめているようだった。一方で隣にいた母親は渋面を浮かべる。
「もうマイケルったら人前で恥ずかしいことを」
「Ohミドリ―!」
強引に抱き寄せられて娘ともども熱烈なハグを寄せられる。「仲良いな」と笑っていた凪人にアリス同様黙り込んでいたアリッサが近づく。
「ナギ。Thanks」
まるでバイバイでもするように腕の中に抱いていた「まっくろ太」のぬいぐるみの尻尾を振ってみせる。古めかしいそれは昔アリスが仲直りのために作ったものらしい。今でも大切に保管しているのかと思うと自分まで嬉しくなり、凪人は笑顔で尻尾を握った。
「こちらこそ。向こうで辛いことがあったらいつでも来いよ。黒猫探偵は鳴いている猫と女の子の味方なんだ。アリッサが笑顔になるような美味しいカフェメニューを考えておく」
「……がんばる。アリスのこと、お願い」
「うん。任された」
「もし泣かすようなことがあったら襲う」
「怖いこと言うなよ」
途端に目つきが鋭くなった。
「本気。背後に気をつけて」
「……え」
「じょーだん。ふふふ」
(あ。笑った)
まるで蕾がほころぶような優しい笑顔だった。これまで見たどんな笑顔よりも自然でやわらかい。
「ナギ、結婚式が決まったら連絡して、スケジュールおさえる」
「いつになるかなぁ。十八になったら入籍したいけどそう簡単にいくとは思ってないんだ。相手はモデルのAliceなんだし」
再び視線が鋭くなる。
「……結婚するの、しないの」
「するに決まってるだろ! ただスゲー頑張らなくちゃいけないとも思ってるんだ。どうせなら事務所やファンの人たちにも祝福されたいし」
「しょうがないなぁ」
アリッサは大げさにため息をついた。なんとなく嫌な予感がする。
「アリッサ、なに企んでる?」
「べつに。ばいばい」
再度まっくろ太の尻尾を揺らしたアリッサはキャリーバッグを引いて歩き出した。「パパいくよ」と促された父親が慌てて追いかける。そのまま人ごみに紛れそうになったところで、
「アリサ!」
アリスが呼び止めた。
ふたりが振り返るのを待って、腹の底から声を出す。
「私はいつでもアリサの味方だからね。これまでもこれからもずっと!――ずぅっと大切な妹だからね!」
ぽろぽろと流れ落ちる涙を拭くこともせず、アリスは全身を震わせて叫んだ。周りの客が不思議そうに視線を寄越すことなどお構いなしに。
「だから――」
「おねぇちゃん」
アリッサが手を振る。おおきくつよく。
満面の笑顔で。
「ありがと。大好き」
「――!」
銀色の髪が人ごみに紛れて見えなくなったあともアリスは前を向いたままだった。どこか現実味のない様子で呆然と佇んでいる。慌てたように腕時計を確認した母親がそっとアリスの肩を叩いた。
「じゃあアリス、わたしもそろそろ時間だから行くわ。明日には戻って来るけれど」
アリスは夢から醒めたように目を瞬かせ、弱々しく笑みを浮かべる。
「あぁそっか出張だったね。国内線のターミナルまで送るよ」
「大丈夫よ。――黒瀬さん、アリスのことをお願いね」
突然水を向けられた凪人は「はいっ」と姿勢を正す。母親はアリスのことを気にしつつも足早に立ち去っていった。残された凪人は意気消沈しているアリスの手を握る。相変わらず冷たい。向こうから指先を絡めてきた。
「ほんとうはママも淋しいんだよ。だから仕事に没頭して紛らわしている。今日のフライトだって取引先に頼み込んでふたりを見送れる時間にしたんだから」
「でもアリスはちょっとさびしいな」
「どうだろう、モデルの仕事を始めるまでは随分反発したけど今はそうでもないんだ。お金を稼ぐのって本当に大変で、少しでも手を抜いたらあっという間に転落しちゃう。今日はたまたま休みだけど――だから凪人くんが来てくれて良かった。ひとりだったから我慢できなかったかもしれない。ありがと」
飛行機が立つまでふたりは空港内に留まることにした。
屋外デッキに出ると薄い雲に覆われた空が迎えてくれる。アリッサたちが乗った飛行機は定刻通り出発し、太陽が輝く方角に向かって飛び立って行った。
「……風が気持ちいいね」
手すりに寄りかかって目を細めるアリスは涙こそ枯れたものの頬が赤い。凪人が片腕を伸ばして抱き寄せると無言で寄り添ってきた。
「思い出していたの。昔、空港でアリサと別れた日のことを。何も知らされていなかったことが悲しくて八つ当たりしてしまって、ちゃんとしたお別れできなかった。アリサはどんな気持ちでいたんだろう」
「きっと淋しかったんじゃないか。だからこそ笑顔で別れたかったんだよ。大好きなお姉さん相手ならなおさら」
「そうかな……うん、そうだったらいいな」
風が吹いている。
優しいけれどなんだか淋しくて、それでも飛行機という鉄の塊を大空へと押し上げる力を秘めている。
アリスはこれからどんな女性になるのだろう。
この風のように穏やかで太陽のように明るくみんなから好かれる俳優になれればいい。そしていつかアリッサと共演して全世界に仲の良さをアピールしてほしい。
自分は影ながら彼女を支え、彼女が帰る場所「黒猫カフェ」を守り続けていく。
そう決めた。
「アリス。今夜はお母さん出張でいないんだよな」
「うん、そうだけど」
「で、アリスは仕事が休み」
「うん……」
釈然としない様子で頷くアリス。
「なら、うちに泊まれよ。一昨日の夜はゆっくりできなかっただろうし」
「泊まっ……! オホン」
前のめりになりかけていたアリスは咳払いして深呼吸。これまでの経験からそう簡単に進まないと承知している。
「またまたぁ、どうせ家には桃子さんがいるしお店もやっているんでしょう」
「あれ言ってなかったか? 母さんが泊まりがけの旅行なんだ。もちろん店も休み。だから明日の昼まではだれも来ない。つまり……一晩中ふたりっきりってことになるな」
「それって……」
アリスの顔がみるみるうちに朱に染まっていく。
「はっ! そ、そんなこと言って期待させてもダメなんだからね! 私だってちゃんと学習しています。どうせなんにもないんでしょう」
「……」
凪人は気まずそうに頬を掻く。
「……期待、だけじゃないとしたら」
「えっ!!」
驚きと困惑で飛びついてくるアリス。
「ほんとにほんとにほんとに!!??」
「あっ、だから、分かんないけど、顔近い……」
「本当に抱imgy」
慌てて口を押さえた。まったく公共の場でなにを言おうとするのか。
「んーんー……」
口を塞がれてむぐむぐしていたアリスが急に静かになった。と思ったら手のひらにぺろっと生暖かい感触。
「舐めるな!」
手を離したらもうアウト。首に抱きついてきたアリスに一瞬にして唇を奪われている。
(まったく油断も隙もあったものじゃない。――もちろん好きだけどさ)
ころころと甘い舌の感触を楽しみながら凪人もアリスの体を抱き返した。どうにでもなれ、という気持ちだ。
空気を察した周りの客たちは次々と去っていき、いつの間にかふたりだけ取り残されていた。それこそアリスの思うつぼだ。
「ね、凪人くん」
唇を離したアリスが耳元で囁きかけてくる。
「私はもう片想いしなくてもいいよね。どちらかが逝く日までずっと傍にいられると信じていいよね」
そんなの……と答える前にアリスの頬を包んだ。ターコイズの瞳。その中に映る自分を見てと胸の内の決意を確認する。
「もう片想いなんてさせない。ずっとずぅっと両想いだ。いいだろう」
「――はい。喜んで!」
とびっきりの笑顔を浮かべるアリスを抱きしめてもう一度キスをした。
「愛してるよアリス、大好きだ」
「もー、それ私のセリフなのに」
ふと雲の合間から差し込んだ光がふたりを照らした。風に純白のドレスの裾が翻ったように見え、凪人は一瞬目を瞠る。
(アリス……?)
夢だろうか。
まっしろな花嫁衣裳をまとったアリスが目の前にいる。
「どうしたの?」
「え、いや」
ごしごしと目をこすると普段着のアリスに戻っていた。
どうやら目が眩んだことによる錯覚だったらしい。
「なんでもない。行こう」
そう言って手を伸ばすとアリスは不思議そうな顔をしながらも手を乗せてきた。
(まぁいっか)
きっとそれはいつかの未来。
腕を組んでバージンロードを歩く。たくさんの歓声と祝福を受けて、世界一きれいなアリスと式を挙げるのだ。
「なぁアリスはどんなドレスが着たい? やっぱり白か? クリーム系とか、あぁ和装もいいよな」
「ドレスって……まさか結婚式の!? いくらなんでも早すぎるよ!」
「そうかな。アリスはなに着ても似合うだろうけどおれは見劣りしないよう頑張らないと。せめてもう三センチ背を伸ばしたい」
「凪人くんはそのままでいいの。これ以上格好良くなってモテたらどうする気」
「それはないって。ありえない」
「そんなわけないじゃん。だってモデルの私がこんなに――」
他愛ないお喋りを交わしながら、ふたりは駅へと向かう人ごみに紛れた。手と手をつなぎ、愛する場所へ帰るために。
――余談だがこの数時間後、空港内でAliceを目撃したという自称ファンによるSNSがアップされた。
その人物によると、黒猫の指輪をつけたAliceと小山内レイジに似た男性が仲むつまじく手をつないでいたという。
ふたりは芸能人というよりも、どこにでもいるカップルのように目立たず、それでいて、見ている方の胸がいっぱいになるくらい幸せそうだった。あまりの幸せオーラに写真を撮り忘れたことを断った上で、SNSの最後は「お幸せに!――by Alyssa」と結ばれていたという。
おしまい。
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