95.クランクアップ
「やぁおはよう黒瀬くん」
朝九時。いつものように『黒猫カフェ』に向かった榛葉は店の前で待機している凪人を見つけて車を停めた。
「……おはようございます」
凪人はうつむいたまま車に乗り込み脚を組んでシートに背中を預けた。
バックミラーの様子を確認しつつ、榛葉はゆっくりとアクセルを踏む。
「昨日は本当に悪かったね。今頃になって出演拒否されたらどうしようかと思ったよ。お家に乗り込んででも引っ張り出さなくちゃいけないな、やだなーぼくのキャラじゃないなー、なんて憂鬱な気持ちで車を走らせてきたんだよ」
心にもない謝罪とはこのことだろう。
榛葉のにこやかな顔のまま遠回しに凪人を牽制する。やりようはいくらでもあるのだと。
凪人もそれを分かっていて、身じろぎひとつせず窓の外に視線を転じる。
「子どもじゃないんですからそんなワガママ言いませんよ。母さんにも迷惑かけたくないし」
「殊勝な心がけに感謝するよ。さ、急ごう」
加速する車の後ろを一台の自転車が横切っていった。
ドラマの撮影もいよいよ最終日。学校での最後の撮影がはじまった。
『ほんとうか? イツキ』
非常ベルが鳴り響く校内。脳内に埋め込まれたチップに操られて暴徒化した生徒たちを待避させた住良木(愛斗)は、廊下で倒れているイツキを見つける。
負傷していたイツキは苦しそうに喘ぎながら壁に背中を預ける。
『あぁ……自らを容疑者リストから外して悠々自適におれたちの様子を監視していた人物。――そう、最初に死んだ生徒こそ、真の犯人だったんだ……いまもきっと、警備員室でオレたちを見て……っ』
痛みに顔を歪めるイツキ。たまらず住良木が様子を確認しようとするが、鋭い眼差しで拒絶した。
「この辺りはアドリブですよね、すごい演技じゃないですか」
遠くで現場を見守っていた葉山が隣の榛葉に小声で話しかける。腕を組んでいた榛葉もスタッフたち同様、凪人の演技に呑まれていたひとりだった。
「まったくですよ。……もう少しボロを出すと思っていたのに」
「ん? なんですか?」
「いいえ。独り言です」
自慢の能面のような笑顔はわずかに引きつっている。
『住良木。なにボーッとしてる。いますぐ職員室に行って犯人を捕まえてこいよ! 生徒たちを操るチップは
『……分かった。必ず生き延びろよ、イツキ』
住良木はイツキの肩を優しく叩いて走り出す。CGエフェクトの炎に包まれる校内。イツキはもはや立ち上がる力を残っておらず、弱々しく息を吸うしかない。
『そうだ、さっさと行ってしまえ。職員室なら島外への脱出手段もあるだろうさ。オレは…………
ある方法でチップのデータを上書きすると外部からの影響を受けない。
天才的なハッカーだった犯人の『彼』は人付き合いが苦手で、イツキが話しかけるととても喜んでチップのカラクリについて説明してくれた。
大人たちに操られることを嫌ったイツキは『彼』の協力を得て、脳に影響のないブランクデータを上書きしてもらった。
しかし自らを実験台としてのチップに様々なデータを上書きしていた『彼』は暴走して自死。
しかもイツキのチップには密かに『彼』の思考データがバックアップされていた。本体が死んだことでハックアップが蘇り、イツキは自らが気づかないうちに『彼』に操られて事件を起こしていたのだ。
そう、真犯人はイツキであり『彼』なのだ。
『それももう終わりだ』
イツキは足元に転がっていたガラス片を自らの頭部に突き立てる。チップの動きを止めるためだ。
痙攣を起こして全身が震える。胃の中身とともに血を吐いた。
チップと脳の損傷。そして大量の出血。イツキはもはや自分がだれなのかすら分からなくなっていた。
このまま心臓が役目を終えるのを待つ段階になって、ポケットで音がした。
震える手で引っ張り出したのは一枚の写真。ひとりの少女が映っている。三つ編みのお下げにメガネをかけた愛らしい少女だ。
イツキは血だらけの指先で少女の顔を撫でる。
『……誰だっけ。すごく……すごく大事な……あぁそうだ、ユ』
燃えさかる炎に呑みこれるイツキ。すべての真実を抱いて黄昏島少年院は三日三晩燃え続けた。
黄昏島少年院の焼失から数ヶ月後。
住良木は所属していた会社を辞めてニートになっていた。慢性的な頭痛によって自堕落な生活を送る中で、ふと思い立ってとあるアパートを訪ねる。
じつは住良木も学生時代に窃盗目的で仲間とともに会社に侵入し、追ってきた警備員を転落死させてしまった前科があった。
イツキ同様黄昏島に収監されて脳にチップを埋め込まれていたのだ。
インターフォンを鳴らすと応答がある。
向こうにいるであろう少女に向かって住良木は告げた。
『ただいま。ユイナ』
果たして住良木の選択は自らの意思かだれかに操られたものなのか――それは明かされない。
※
「オッケー! 最高! 素晴らしかった!」
クランクアップ。監督の声で惜しみない拍手が送られた。
凪人と愛斗はスタッフからそれぞれ花束を受け取る。目が合った愛斗は優しく目を細めた。
「お疲れ様。ほんとうにすごい演技だったな。さすがだよ」
手放しに褒められた凪人は気まずそうに目をそらす。
「そんなことないですよ。おれなんか全然」
「こんなときくらい胸を張れよ。次に共演できるのを楽しみにしているからな、来島」
ポンポンと肩を叩いて立ち去った。凪人は照れくささを隠すように唇を噛む。
「いやはや素晴らしい演技だったね。さすが小山内レイジくん」
入れ替わりに近づいてきたのは榛葉だ。白々しく拍手して満面の笑みを浮かべている。
「どうも」
凪人は乱暴に花束を押しつける。榛葉はそのまま後ろにいた葉山に花束を預けた。
「疲れました。着替えを済ませたらすぐにでも帰りたいんですが」
だれもいない控え室に入ると後ろをついてきた榛葉がこの期に及んで異議をとなえた。
「それは難しいな。このあと雑誌取材があるんだよ。メイクを直したらすぐに始めたい」
凪人は驚いて見返す。
「雑誌取材なんて聞いてません」
「言ってなかったか、これは失礼。ハイティーン向けの『Emision』って雑誌だよ。知ってる?」
知っているも何もAliceが専属モデルをしていた雑誌だ。
場合によってキスシーンについて言及されるかもしれない。
それだけならともかく。
母・来島小夜子についての質問もあるかもしれない。
彼女のことをほとんど知らない凪人は答えに窮する可能性もある。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。インタビューの内容がそのまま雑誌に載るわけじゃない、ちゃんと事務所が目を通すし」
焦る凪人とは裏腹に榛葉は呑気だ。もはや確信的と言ってもいい。
「――よく、分かった」
凪人の声が一段低くなった。
顔を上げ、まっすぐに榛葉をにらみつける。
じり、と一歩踏み出すと予想外の気迫に押され榛葉は思わず後ずさりした。
凪人は告げる。
「榛葉。おまえオレのマネージャークビな」
親指を立てて首を斬る仕草を見せた。
「……どういうことかな」
さすがの榛葉も笑顔を引きつらせた。
「こういうことだ」
自らの髪を鷲掴みにした凪人。指先にぐっと力を入れると髪の束がごそっと外れた。――そう、ウィッグだったのだ。
「車に跳ねられたとき頭を打って脳内に血が溜まっちまったからさ、切開して血を抜いたんだ。お陰で坊主さ。まぁ悪くないけどな」
目の前に現れたのは。
「来島、くん……!?」
驚きに目を見開く榛葉。
短く髪を刈り上げられた来島がにやりと微笑んだ。
――遡ること二十時間ほど前。
「おい大丈夫か? 死人みたいな顔してるぞ」
コンビニ前でふらついた凪人の背中を支えたのは他ならぬ来島だった。
車椅子に乗り、新妻が付き添っている。ニットキャップの下の髪が剃られているのは凪人も知っていた。
「な……んで来島がここにいるんだよ。死んだんじゃないのか!?」
「んだとォ!!」
血気盛んな来島らしく拳を振り上げたがすぐに引っ込めた。
「ちくしょう、目が覚めたばっかりでまだ力でねぇや」
「無理しちゃダメよ怜史」
心配した新妻が後ろからぎゅっと抱きしめる。
凪人としてはなにがなにやら。すっかり忘れていたスマホから母の声が響いてきた。
『凪人、そこに来島くんがいるの? 病院から脱走したって連絡があったのよ。すぐに戻るように言って!』
「分かった。……だってさ。おまえ病院抜けてきたのかよ」
「病院内の売店の品揃えが悪かったんだよ。外の空気も吸いたかったしな」
目覚める前も目覚めてからもはた迷惑なヤツだ。
凪人は呆れてため息をついたが、こうして目が覚めて良かったと心の底から思っている。
「うわっ、なにニヤニヤしてんだよ気持ちわる」
「だ……おまえな!」
「悪かったな。迷惑かけて」
来島は真顔で謝ってくる。
凪人は虚を突かれたが来島なりの誠意だと受け取っておくことにした。
「愛理から聞いた。おまえオレの代役やってるんだってな。話を聞かせてくれ」
病院に戻りがてらすべてを説明した。ドラマのこと、榛葉のこと、アリスのこと。もうこれ以上ひとりで抱えるのは無理だった。
そうして。
「つーわけで医者を説得して一日だけ外出許可もらってきたんだ。聞けば今日で最後。しかもイツキは負傷している設定だからどうにかなると思ってさ」
そう言いながらもまだ本調子ではないらしく気だるそうに椅子に座り込んだ。
しかし力のある目は榛葉を逃さない。
「聞き分けのいい凪人と違ってオレはワガママだ。未成年を脅すような犯罪者にマネージングされるなんて御免だね、さっさと消えてくれ。もちろん証拠もある。なぁ葉山」
水を向けられた葉山はさっと敬礼した。
「はい! 昨日慣れないタブレットをいじっていてたまたま車内での音声を録音してしまいましたので!」
押し黙っていた榛葉は弱々しく両手を広げた。
「ひどいなぁ。ぼくを脅迫するつもりかい? 自らマネージャーを外れろと」
弱り果てた様子でふたりに目を向ける榛葉。しかし来島は容赦しない。
「凪人にやったことと同じことをしているだけだ。おまえがマネージャーを外れて例の写真を消すというのならこっちの音声も上層部に公表しない」
「消しはしないんだね」
「当然さ。そっちだってバックアップとってんだろ。これでも譲歩してやってんだぞ。おまえを叩き潰すためなら来島小夜子の名前だって親父の名前だって借りてやる。事務所との契約を破棄してよそに移ったっていい。違約金だってポンと払ってやるよ」
「そんなことをしたら小山内レイジの存在はこの業界から抹消されるよ」
「構わない。オレは世界を目指す。利権と犯罪まがいが横行する狭い世界で満足するつもりはない」
来島の目は本気だ。
証拠を握られている以上もはや榛葉に勝ち目はない。分かった、と頷くかわりに大きくため息をついた。
「脅されるっていうのはこうも息苦しいものなんだね。身に沁みて分かったよ」
「自業自得だ」
しばし無言のにらみ合いが続く。
「聞いてもいいかい? どうして黒瀬くんのためにそこまで? きみになんのメリットが?」
「借りを作ったままにしたくねぇだけだ」
「たしかに彼の演技は素晴らしかったよ。でもさっきのきみの演技も目を瞠るものがあった。このドラマは傑作として残るだろう。やればできるんじゃないか」
「うるせ。他のことあれこれ考える余裕なんてなかったんだよ、こっちは病み上がりなんだぞ」
控え室の扉がノックされ、応じた葉山が雑誌の取材が来たと告げた。
「さて、ちゃっちゃと終わらせてくるか。榛葉、おまえはもういいから事務所に帰って退屈な書類整理でもしてろ。マネージャー辞退の理由も考えておけよ」
葉山の手を借りて立ち上がった来島はもう振り返ろうとしなかった。
それは決別を意味する。
「そうするよ」
榛葉は肩をすくめた。もうどうやっても無駄だと悟ったのだ。
「ところで凪人くんはどこにいるのかな」
「ばーか、決まってんだろ」
来島の口元には笑みが浮かんでいた。
「元よりこんなちっぽけな
凪人は走っていた。
汗だくで、自転車のペダルを懸命にこいで、アリスの元へ。
それはドラマの撮影など足元にも及ばないくらい、濃く、熱い時間だ。
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