91.きみへのメッセージ

『はじめての花火大会。すごくキレイだったね。あれ、そう言えば浴衣褒めてくれなかったよね?』


『海に行ったね。ゆっくりと泳ぐ時間はなかったけど来てくれて嬉しかったよ。ありがとう』


『食欲の秋。焼き芋ほくほく。心も体も満足じゃ』


『クリスマスイヴ。サンタの仮装をしてイルミネーションを見に行ったね。あなたの手の暖かさに寒さなんて忘れちゃった』



 載っている写真は当時のものではないけれど、ふたりがともに過ごした一年がアリスの言葉で優しく綴られていく。


「……あれ」


 気がつくと手の甲が濡れていた。自分の涙だ。


「――アリス……、アリス、アリス……アリス」


 いますぐ駆けていって抱きしめたい。

 ごめんと謝って細い肩を抱いてシャンプーの匂いに満ちた髪を撫でて、キスをしたい。

 それができないのが、つらい。



 ※



『教誨師ってゆーけどさ、オレにはあんたが神だの仏だのを信じているようには見えないね。もやしみたいに細い指は祈りを捧げるよりもキーボードをたたくのに最適じゃないか』


 撮影は順調に進んでいた。


 黄昏島では第二の事件が発生。刑務官が死亡したのだ。

 第一の事件すら解決していない状況で発生した第二の死。島全体が疑心暗鬼に陥る中で意外な行動を起こしたのがイツキ。住良木の正体を見抜いたうえで取引を持ち掛けてくる――という内容だ。


「あー終わった終わった」


 自分の番が終わった凪人は丸めた台本を片手に控室へと向かっていた。

 来島の真似も少しずつ板についてきたし薬のお陰もあって吐き気もなんとかなっている。


 控室は2年A組。撮影に使わない空き教室で、他の役者と共同で使うことになっていた。扉を開けると出番を待つ生徒役の男女ふたりが同時に振り返ったが、凪人の姿を見ると含み笑いをして視線を背けた。


 どうせ悪口だろう。凪人は素知らぬ顔で空いている席につく。


(役者同士ってこんなにギスギスするんだな)


 SNSでは仲が良いように見せかけて裏では険悪なんてことは当たり前。事務所の力関係や知名度、雑誌やCM契約があるかどうかで必然的に格付けがされる。

 大手芸能事務所Mareの所属で大手飲料メーカー三毛猫フーズのCM契約があり、かつ子役時代から抜群の知名度がある「小山内レイジ」は同世代の役者たちにとっては羨望と嫉妬の的だ。尤も、凪人にとってはどうでもいいことだが。


「なぁ小山内クン」


 男子生徒役のひとりが近づいてきた。凪人はしばらく聞こえないふりをし、相手が焦れる直前でわずかに顎を上げた。来島ならきっとそうする。


「ちょっと演技に熱が入りすぎじゃないのか? あんなに力演されると引くんだけど。あきらかに浮いてるし」


 ここにいる生徒役の多くは初役だ。初めてのドラマで浮足立つ彼らと場慣れしている凪人との間には圧倒的な温度差がある。だからといって自分の演技の質を落とそうとは思わなかった。きっと榛葉が許さない。


「オレは監督の指示通りにしているだけだ」


「そこは察しろよ、空気とか雰囲気ってものがあるだろう?」


 話にならない。凪人は台本に視線を落とした。


「オイ無視すんな! こっち見ろ!」


 激高した相手に胸倉を掴まれ引っ張られた。見かねた女子生徒役が制止に入る。


「やめておきなよ。さすがにまずいよ」


 こういうとき来島ならどうするだろう。

 血気盛んな彼のことだ。手を出される前から殴り飛ばしているかもしれない。けれど、その点だけは真似しようと思わない。車に跳ねられて意識不明の来島を思えばなおさら。


「だってこいつムカつくんだよ。SNSであんなにディスられてたのにマジで演技うまいし。よゆーって感じで上から目線だしさ」


 カチン、と自分の中で火花が散った。


「……ふざけんな余裕なんかあるわけないだろ」


 溜まっていたものが一気にあふれ、すさまじい形相で相手を睨みつけた。


「こっちは演技のことで頭いっぱいなんだよ。自分が下手くそなのを他人のせいにするな。おまえみたいな僻みに付き合っている時間も余裕も一切ないんだ!」


 アリスには会えない。

 母にはきつく当たってしまう。

 愛斗には助けを求められない。


 地獄だ。


「てめぇ……!」


 拳を振りかぶる。

 殴られる、と咄嗟に顔をかばった瞬間、カシャ、と音がしてフラッシュが光った。

 遅れて振り返ると教室の入口にスマホを掲げる女性の姿がある。


「ふふ。楽しい撮影風景、撮っちゃった」


 ひょっこり顔を見せたのは新妻愛理だ。唖然とする凪人たちを尻目に教室に入ってきて撮ったばかりの画像を見せてくれる。拳を振りかぶった男と顔を覆う凪人。言い逃れのできない決定的瞬間だ。新妻は相手の方に向き直って酷薄な笑みを浮かべる。


「これどうして欲しい? 消してあげてもいいけれど代わりに目の前から消えてくれない? わたしはレイジと話がしたいの」


 それを聞いて一目散に飛び出していくふたり。残された凪人は深呼吸しながら衣装の乱れを直した。


「追っ払ってくれてありがとうな」


「やめてよ、怜史は軽々しく礼なんて言わないわ。今日はドラマの主題歌を歌うマリオネットPの一員として差し入れに来ただけなのよ」


 非難するような口調ではなかった。むしろ悲しげに見える。

 来島と新妻がどれほど親しいのかは分からないが事故で入院しているという情報は確実に耳に入っているだろう。つまり今だけは来島を演じる必要がない。そう思うと肩の力が抜けた。


「やっぱり似てないかな……」


「気持ち悪いくらいそっくりよ。顔も声も姿勢も話し方もなにもかも。わたしだって今さっき義母おば様に電話して怜史が入院していることを確認したくらいだもの」


 凪人の前の席に腰を下ろし体をひねってスマホを見せてくれた。昨日の日付で、ベッドに横たわる来島の寝顔が収められている。管で栄養をいれている来島。呼吸は安定していて顔色もいい。けれど目覚めないままだ。


「こんなものを撮って悪趣味だと思う? でもお見舞いに行けないときはこうして寝顔を見ていないと不安でたまらないの」


「分かるよ。大好きな人の傍にいたいもんな」


 凪人の頭の片隅にあるのはいつもアリスのことだ。

 『Alice@片想い』のアカウントを見つけて以来毎日確認しているが、元気そうな姿の向こうに泣き声が聞こえそうな気がする。


「なに。兎ノ原さんと別れたの?」


 無遠慮に聞いてくる新妻だが凪人にとっては事情を知っている相手がいるだけで気が楽だった。


「距離を置いてる。おれが小山内レイジだってことも来島の代理で撮影に臨んでいることも内緒にしているんだ。自分から連絡することもできなくて困ってる」


「バカみたい」


「どうせバカだよ」


 自分のバカさ加減を悔いて机に突っ伏した。

 どこにもいけない。なにもできない。八方ふさがりだ。いまはただ黙々と演技をするしかない。


「榛葉――だったかしら、あのマネージャー。わたし見覚えがあるの」


 ふとなにか思い出したらしく、新妻はスマホをいじって『あいり』というアカウントを示した。


「これわたしの裏垢。前にあなたとカフェで会ったときに学校での写真を見せたでしょう。あのあと『モンブラン厨』って相手にDMしたのよ。あなたと兎ノ原さんの関係を調べるためにね。新妻愛理の名前で誘い出したんだけど妙な感じだった」


 約束の場に現れたのは同級生を名乗る茶髪の少女だった。

 学校でのアリスの様子、恋人はいたのか、黒沢(凪人の偽名)との関係は。いろいろ問い詰めたが「よく分からない」「知らない」と無難な回答ばかり。けれど「黒瀬凪人」という名前は明確に返ってきた。自宅が「黒猫カフェ」を営み、母子で切り盛りしているという詳細な情報まで。


「聞いたことはすぐさま怜史に伝えたわ。彼は喜んでくれた。だけどあの子、同級生にしては随分と詳しいことが気になって、私設のファンクラブの会員に尾行させたの」


「ファンクラブ会員に尾行って……」


「引っかかるのはそこじゃないでしょう。ともかく、尾行させたらワンボックスカーに乗ったと報告があったの。運転手がこの人」


 示された写真には榛葉と女性が映っていた。


「この女の人が同級生? 知らないぞ。見たことがない」


「やっぱりね。『モンブラン厨』のアカウントは終業式のあとくらいから投稿が極端に少なくなっているのよ。他のアカウントとの絡みもほぼなくなっていた」


「榛葉さんが噛んでいるってことか?」


「それ以上は分からないわ。――さて、伝えるべきことを伝えてあげたんだから怜史が目覚めるまでしっかりやりなさいよ。あなたが失敗すると後々彼が困るでしょう」


 立ち上がった新妻は上から目線でとても偉そうなのに、少しも怒りが湧いてこなかった。愛情の裏返しのように思えたのだ。


「新妻さんは来島のことがすごく好きなんだな」


「あっ……当たり前でしょう。『黒猫探偵』はわたしの原点よ。芸能界を目指したキッカケでもある。ずっとずっと大好きなの。リメイクの『黒猫探偵レイジ』ももちろん見たけれど幼心に別人だと分かったわ。あなたと彼とではオーラが全然違うもの」


「そっか。悪かったな」


「もう、怜史と同じ顔で謝らないで!」


 顔を真っ赤にするとスマホを鷲掴みにして歩き出した。凪人も急いで腰を浮かせる。


「ちょっと待ってくれ。聞きたいことがあるんだ」


「なによ」


 新妻は足を止めて不機嫌そうに振り返る。凪人はスマホを手に駆け寄った。


「あのさ……オンスタの、メッセージの送り方ってどうやるんだ?」


「はぁ?」


「スマホにまだ慣れなくて使い方がよく分からないんだ」


 呆れられつつもアカウントの作り方からメッセージの送り方まで丁寧にレクチャーしてくれたお陰で人生初めてのアカウントを持つことができた。


「これでいいわ。あとはアカウント画像としてイラストでも写真でも登録しなさいね。じゃ、わたしまた怜史のところに行くからしっかりやりなさい」


 そう言って今度こそ教室を出ていった。凛とした背中に悲壮感はなく、むしろ生き生きとしている。


 『黒猫探偵』時代から来島に惚れていた新妻は初恋の相手を見つけたのだ。アリスと同じように。


(そういえばアリスの初恋って――おれと来島どっちなんだろう)


 この撮影が終わったら聞いてみよう。

 すべての事実を打ち明け、アリスへの正直な気持ちを伝え、そして「もう一度付き合って欲しい」と告白するのだ。

 もしも初恋の相手が来島の方だったとしても振り向かせてみせる。絶対に。




「ただいま」


 夕方に帰宅すると母が写真立てを見ていた。滅多に手にとることのない父の遺影だ。凪人の姿を見てハッとしたように立ち上がる。ぎこちない笑顔だ。


「え、あ、お帰りなさい。早いのね」


「うん。今日はね」


 自分の部屋に荷物を置いて着替えてきても母は落ち着きがない。先日のことを引きずっているのだ。凪人は優しく声をかけた。


「母さんこの前はごめん。お腹空いたんだけどメロン食べてもいい?」


 すると見る見るうちに表情がほぐれていくのが分かった。「すぐに切ってくるわ」そう言い置いてキッチンへと向かう。


「さて」


 今度はソファーの上でふて腐れているクロ子を抱き上げた。


『しゃー(なにすんのよ触らないで―)』


 体をひねって激しく抵抗するが耳の後ろを優しく撫でてやると大人しくなった。


「前はごめんな。とびっきりの美女に撮るから許してくれよ。……んーいい顔だ」


 スマホを構え、タイミングを見計らってパシャリと一枚。その写真をオンスタのアカウント画像として登録した。早速メッセージを送る。



 Alice@片想い へ

『オンスタ楽しみに見ています。これからも応援しています、がんばれ』

 NG@黒猫くん より



「凪人ーメロン切ったわよ」


「うん。一緒に食べよう」


 オレンジ色の果実から蜜があふれる瑞々しいメロンに舌鼓をうちながら、秋に店で出すハロウィンメニューなどを話し合った。こうして会話らしい会話をするのは随分と久しぶりな気がした。


 撮影終了まで、あと21日。

 アリスに会うまで、あと――。

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