90.一人二役《ダブル・ロール》

「ところで台本には目を通してくれたかい?」


 あからさまに嫌悪しているのを承知で榛葉は遠慮なしに話しかけてくる。

 ラジオも音楽もかけていないワンボックスカーの車内はどこか息苦しく、凪人は外の景色を見ることで気を紛らわせていた。


「四話までなら。来春放送予定のドラマですよね」



 ドラマ「GIFT―黄昏たそがれ島少年院―」は架空の島を舞台としたサスペンスドラマである。


 近未来の日本、罪をおかした未成年の少年少女は黄昏島と呼ばれる離島の少年院に収容される。そこで学校・共同生活・奉仕活動をしながら更生を目指していくのだが、出院後の再犯率はゼロパーセントを維持していた。


 そこには世間的に伏せられた秘密がある。

 彼らは部分的に人権を停止され、脳の機能を操作するチップを埋め込まれて感情・言動を管理されているのだ。これにより再犯を抑制できるはずだったが、ある日施設内でひとりの少年が死亡しているのが発見される。


 自殺か他殺か事故か。

 罪を犯すはずのない黄昏島で発生した初めての死者に動揺が走る。調査のため送り込まれたのはチップの開発・製造元に所属するプログラマーの住良木すめらぎ

 教誨師きょうかいしと偽りチップの保守メンテナンスを行う住良木が気になったのは交際相手の養父を撲殺し懲役八年となった少年・イツキだった――。



「イツキ役が小山内レイジ。つまりきみだ。都内にある学校を夏休みの間だけ借りて一か月半でロケを行う。ここまではいいかい」


「ええ。いまその学校に向かっているんですよね」


「そうさ、今日から本格的に学校での撮影がはじまる。きみを取り巻くのは各事務所が売りたくてたまらない十代の若手ばかりだ。中には子役として経験を積んできた者もいる。きみは彼らに準主役のイツキを演じなければいけない。この意味が分かるね」


「分かりますよ。イツキは存在感は薄いけれどなぜか目を惹く存在として描かれている。つまり目立たずに目立てということでしょう」


「はは、きみなら余裕かな」


 周りを意識せず与えられた役に没頭する。それだけなら難しいことはない。

 問題は――。


「この前も言ったけど収録自体は既にはじまっている。来島くんは生徒・教師役の全キャストと接触しているんだ。もし別人が小山内レイジとして撮影に臨んだと知られたら事務所としては大事おおごと。まぁ途中降板する違約金に比べれば大したことはないけど事務所の信用問題に関わる。だからきみは演者・関係者・スタッフ、そして視聴者全員を欺かなければいけない。――もちろん主役の斉藤マナトもね」


 つまりは一人二役ダブル・ロール

 しかも来島怜史として小山内レイジを演じるという二重演技だ。


「来島くんは他者と馴れ合うタイプじゃないから共演者の中にも親しい人間はいないよ。演技に集中したいという理由で撮影以外は別室にこもっていていい。そのへんの根回しはぼくがやっておく」


「でも別室からの移動中や読みあわせ、監督の指示などで素の姿を見せるときがあるでしょう。おれは来島がどんな立ち振る舞いをしていたかなんて知りませんよ」


「安心していい。ドラマの撮影とあわせてドキュメンタリー番組も収録している。来島くんがふだんどんな態度をとっているかよく分かるよ。未編集のものをこれから見せるから到着するまでに確認しておいてくれ」


 路肩に車を停め、用意周到に準備していたDVDを再生する。

 映し出された来島は凪人が知っている姿と少し違った。共演者やスタッフに一通り挨拶したあとは無言で奥に引っ込んでいる。他の演者の撮影シーンを見て雰囲気を掴むでもなく台本の同じところを何度もおさらいしたり声に出さずにセリフをそらんじていたりする。

 おそらく緊張して焦っているのだろう。だから本番の演技はどこか余裕がない。セリフを吐くので手一杯という感じだった。自分の前で見せる自信満々な姿からは想像もできない。



 ふと、あの夜の来島の言葉を思い出した。


『――オレはひとりで生きていく。生活費だって自分で稼ぐ。いまのマンションの賃料や海外の留学費用だっていつか熨斗つけて返してやる。借りなんか作らねぇ。小山内レイジとして有名になっていつかヤツを見下している……そう思ってんのに、なんでだよ。なんでカメラの前だと体が震えるんだ。なんでセリフが出てこないんだ。頭の中が真っ白になって、母さんに『みっともない演技』って言われたときのことばかり思い出す。教えてくれよ……どうしたらいい……どうやったらおまえみたいに演じられる?』



(苦しんでいたんだな、ずっと)


 『黒猫探偵』を演じていた来島はこんな窮屈な演技をする子役ではなかった。

 感情表現は豊かで、セリフの抑揚や演技の緩急もある。母親譲りの演技力だった。凪人など足元に及ばないと思える天性の魅力があった。


「どう、いけそうかな。来島くんは見ての通り素人同然だよ。きみがって急に上手くなると違和感をもたれるかもしれないから徐々に……」


 心の奥で、激しい怒りが渦巻いた。


「――来島のどこが下手なんですか」


「ん?」


「緊張して余裕がなくなっているタレントが目の前にいるのに、あなたは一体なにをしていたんですか。あなたはマネージャー失格だ」


 収められたドキュメンタリーの中には榛葉の姿も映っている。本番を前に固くなる来島の横にいながら特別声をかけるでもなくヘラヘラと笑っているだけだ。


「……言ってくれるね、ぼくだって人間だよ。傷つくなぁ」


 さすがに余裕がなくなったのか榛葉が車を停めて振り返った。

 貼りついた笑顔の下の本心が見えない。それがとても恐ろしく、同時にズルいと思った。


「来島だって人間ですよ。傷ついて、もがいていた」


 来島の性格だ。だれかに助けを求めるなんてできなかったはず。終始笑顔の榛葉に愚痴をこぼすこともできず追いつめれて、とうとう凪人にぶつかってきた。


(あいつに必要なのは自信だ。それさえ取り戻せば――……)


 いまだ目覚めない来島。

 凪人は彼から「小山内レイジ」を奪うつもりはない。いつか戻ってくるときのために場所を確保する駒になるだけだ。


「来島でないことを誰にも気づかれずに一か月半の撮影を無事終えたら小山内レイジは休養と発表。そしてを完全に削除してくれるんですよね?」


「もちろん。完全完璧にこの世の中から抹消するよ」


 先ほどの態度から一変、鼻歌さえ口ずさみそうな笑顔だ。とても写真を楯に凪人を脅した人間とは思えない。


「あなたのほうがよっぽど役者にふさわしいように思えますよ」


 嫌味のつもりだったが榛葉は明るい。


「褒めてくれてありがとう。ぼくも大学生時代は役者を目指していたけどセリフが全然覚えられなくてね、裏方に徹することにしたんだよ」


 そんなことを話している間に車はとある高校の敷地内へと入っていった。

 居並ぶ演者や関係者、スタッフはざっと見ただけでも数百人はいる。この全員を欺かなければいけないのだ。


 じわりとこみあげてくる吐き気。

 凪人は用意していた薬をペットボトルの水で一気に呑み込んだ。


「さぁ行こうか」


 先に車を降りた榛葉が後部座席のドアを開けてくれる。差し込む朝日の眩しさに目を細めつつ、肺がいっぱいになるまで息を吸いこんだ。


 頭のスイッチを オン にする。

 ここから先、自分は来島怜史だ。


(やるしかない)


 集中した凪人には榛葉の声も耳に入らない。


「役者にも色んなタイプがいてね、きみのような『憑依型』は注意した方がいい。役にのめり込みすぎて自分に戻れなくなるから……って聞いてないか」



 着替えやメイクを終えて撮影場所である教室に向かうとスーツ姿の愛斗が目に飛び込んできた。台本を手にスタッフと打ち合わせしていたが凪人に気づくと手を挙げて近づいてくる。当然、来島と思って。


「よう。今日からよろしくな」


 来島ならどんな反応をするだろう。そう考えた。


 笑う? 喜ぶ? 怒る? うつむく? 目を背ける? 無視する?

 いろんな選択肢が浮かんでは消える。答えなどない。見つけられない。


「……どうした?」


 反応がないことを訝しんだのか愛斗が顔を覗き込んでくる。間近で見られてはまずい、と慌てて顔を背けた。


「別に。撮影よろしくおねがいします」


 急いで立ち去ろうと踵を返した瞬間、ぐっと腕を掴まれた。険しい表情の愛斗がじっとこちらを見ている。気づかれたかもしれない。ゆっくりと伸びてきた手が髪の隙間からなにかを引き抜く。


「なにかついてるぞ。黒い、猫の毛みたいな」


「レイジくーん!!」


 横から飛びついてきたのは久しぶりに見る葉山だった。凪人が唖然としている間に興奮ぎみに目を輝かせる。


「聞いてください退屈で退屈で死にそうだった事務職から解放されて現場復帰したんですよ。立場上は榛葉さんの補佐ですがこれからはビシバシ!マネージングさせていただきますので覚悟してくださいね!」


「……はぁ」


 いつもの落ち着きはどこへやら。マネージャーに復帰できたことがよほど嬉しいようだ。


「ちなみにわたくしも事情は聞いておりますのでご心配なさらず、凪人くん」


 こっそりと耳打ちしてくる。事情を知っている人間が身近にいるのは有り難いが先ほどから愛斗の視線が痛い。それに気づいた葉山は愛斗に向かって深々と頭を下げた。


「ごきげんよう斉藤マナトさん。彼はドラマの撮影には慣れておらずご迷惑をおかけするかもしれませんが、何卒宜しくお願い致します。――さ、監督のところに参りましょう、レイジくん」


 腕を掴まれて強引に引きずられていく。気になって振り返ると愛斗はすでにこちらを見ていなかった。



 ※



「ただいま……」


 『来島怜史』に成り代わってから数日後。

 この日撮影が終わって帰路に着いたのは夜九時をまわった時間だ。クロ子が甘えて足元にじゃれついてくるが凪人は無視した。


『にゃーにゃー(なによつまんなーい)』


 ふて腐れてそっぽを向くクロ子をよそにソファーでうずくまる凪人。桃子がコーヒーを手に近づいてきた。


「凪人お疲れさま。大変だったでしょう」


「……べつに」


「今日来島くんのお母さまが見えたわ。先日のお礼と言って高級なメロンをいただいたの。疲れているみたいだし、いま食べる?」


「いらない」


「あら残念。わたしが食べちゃうわよ。甘くて上品でとっても美味しいの。七海ちゃんたちにもおすそ分けしようかしら。そうしたら」


「うるさい――いい加減だまれよ」


 凪人は上半身を起こして睨みつけていた。苛立ちを隠さない険しい目つきに圧倒される桃子。我に返った凪人は慌てて立ち上がる。


「ごめん。疲れているんだ。もう寝る」


 呆然とする桃子を置いて二階の自室へと引き上げた。倒れ込むようにベッドに体を投げた。母に対してあんな暴言を口にする自分が信じられなかった。


(いくら来島でもこんなこと言わないよな)


 架空のキャラと違い、実在する身近な人物をトレースするのは想像以上に難しい。

 来島の立ち姿、座り方、目の使い方からはじまり荷物をもつときに使う手、顔の表情、癖、相づちのタイミング……意識しなければいけないことが山ほどある。しかもそれらを踏まえてのイツキ役だ。

 いじめられっ子だった過去をもつイツキは物静かで物語の中盤まではこれといって目立つ言動もない。来島とは正反対だ。どちらかと言えば素の凪人に近い人物像だがあくまでも来島として演じなければいけない。


 あの日以来、愛斗とは当たり障りのない会話しかしていない。元々来島と愛斗は親しい間柄ではないので当然だ。自分の正体に気づいているのかどうか確認する術もなかった。



 余裕がない。体にも心にも。


 来島になろうと思えば思うほど、イツキ役になろうとなろうと思うほど、黒瀬凪人の輪郭が消えていく。スイッチがオフになりきらないせいで母に暴言を吐いてしまった。


(アリス……)


 話をしたいと思った。どうしようもなく。

 けれどスマホを見ると着歴やメッセージの多さに気持ちが萎えてしまう。いまアリスと話したら決意がにぶり、来島にもイツキにもなれなくなる。


 ふとカレンダーが目に入った。明日が旅行の出発日だ。いまごろは忙しく準備をしているだろう。なにとはなしに彼女と行くはずだった場所を検索していると、あるSNSのアカウントがヒットした。



『明日から○○に旅行。忘れ物はないかな?』Alice@片想い



 オンスタにある『Alice@片想い』という公式アカウントだ。

 モデルのAliceに片想いの彼氏がいるというストーリー形式でいくつかの写真やコメントがアップされていた。

 最新の記事には『明日から旅行。忘れ物はないかな?』のコメントと共に荷物がぎっしり詰め込まれたキャリーバッグの写真が載っている。麦わら帽子にポーチに浮き輪、観光マップといった荷物の中にまっくろ太のぬいぐるみも混ざっていた。その首元にはエメラルドのAのネックレスが巻きつけられている。


(アリス、いつの間にこんな)


 思わずスクロールして最初の投稿を見返す。

 日付は一週間前。別れを告げた日だ。

 雨上がりの空を見上げているアリスの写真にこうコメントがある。



『――出会いは、駅。蒸し暑い季節だったね。私が困っているところを助けてくれたの覚えてる? あの瞬間からずっと、私はあなたに恋をしています』

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