84.やはり母は最強
「よぅ。思ったより元気そうだな」
夜、凪人の部屋を訪れたのは愛斗だった。シャツにジーンズというラフな格好だがさすが俳優だけあって室内の空気が一変する。
「はい。熱もないし明日から学校に行くつもりです。ご心配おかけしました」
「良かったな。ハイこれ見舞い」
義務的に有名な和菓子屋のどら焼きを手渡すと興味深そうに室内を見回した。
「ここが凪人の部屋か。どれどれー……お、アリスの写真集だ。なんだよ新品みたいにキレイじゃないか。男ならもうちょっと使い方があるだろう」
「やだな写真集より生身のアリスの方が断然いいですよ。目は宝石みたいにきれいだし髪は艶々で気持ちいい、肌の感触なんて――」
なにも考えずに喋って「やば!」と口元を押さえた。自分はいまとんでもないことを口走ろうとしていた。
「へぇ……」
にやり。愛斗の眼差しが痛くて視線を背けた。恥ずかしすぎる。
「まぁいいさ。順調に愛を育んでいることは悪いことじゃない。詳しくは聞かないでおくよ」
そう言って長い手足を器用にたたんで床に座った。凪人もベッドを降りて向かい合う。お見舞いのどら焼きを勧めると「いただくよ」と食べ始めた。この世の中にこれほどセクシーにどら焼きを食べる男はいないんじゃないか、と思ってしまうくらい画になる。もしSNSに画像をあげたらとんでもない騒ぎになるだろう。
「愛斗さん昨日はご迷惑おかけしてすみませんでした。記憶にないんですが、おれ車内で吐いたりしていませんか?」
「いや、自宅に着くまで静かに寝てただけだ。それにあの車は俺が社長から譲り受けることになったから多少汚しても大丈夫なんだ」
それを聞いて安心した。
高そうなスポーツカーを自分の吐しゃ物で汚したらどう責任をとろうかと考えていたのだ。
「ところで来島はどうなりました? アリスに聞いたら今日は学校を休んでいるらしいと」
「あんなヤツ、放っておけばいいじゃないか」
愛斗の眼差しが途端に険しくなる。凪人に一方的なケンカを吹っかけた挙句に小山内レイジを名乗って芸能活動、あまつ体調不良の凪人を連れ出して嘔吐させるような輩だ。印象は最悪に近い。
「数日前ならそうだったと思います。でもいまは気になって仕方ないんです。おれと来島は顔が似ているだけで血のつながりはないけど、やっぱりどこか、似ているんです。うまく言えないけど根本的な部分が」
なにをされても嫌いになれないのはそのせいだろう。オセロの裏表のように根っこや本体が同じなのだ。愛斗は呆れたような息を吐く。
「『スキ』か『キライ』か『どうでもいい』か割り切った方が人間関係は楽なのにな。俺も年くったのかな」
「なに言ってるんですか、『彼氏にしたい男』の殿堂入りを果たした人の発言とは思えませんよ」
「そうか? 俺はすぐにでも結婚したいな。相手は年上がいい。桃子さんはステキだと思うな」
「え! 母さんはもうすぐ四十ですよ!?」
「でも独身だろう。穏和で明るくてコーヒーも料理も美味くて出来た息子もいる。最高じゃないか」
もし母が愛斗と再婚したら凪人にとっては義父になる。本人たちが本気なら止めないが、店は大変なことになりそうだ。女性客やマスコミが殺到するかもしれない。勘弁してほしい。
「――ま、冗談はこのくらいにして」
愛斗はあっという間にどら焼きを平らげてから大きく頷いた。
「びっくりさせないでくださいよ」
「悪い悪い、本題に入るぞ。来島のことについて当時のプロデューサーに話を聞いてきた。知っている事もあるかもしれないけど説明する」
愛斗の口から語られたのは来島の母・小夜子のこと。離婚した父親のこと。そして打ち切りになった『黒猫探偵』のことだった。
「それからこれも」
後ろ手でカバンから引っ張り出してきたのはDVDだ。『黒猫探偵』とだけ書いてある。凪人の部屋にテレビがないので一階のリビングにいって映像を流した。夕飯の支度をしていた母の桃子も一緒に眺めている。
『黒猫探偵はじまるよ!』
画面に映るのは初代・小山内レイジ――来島だ。トリックはかなり高度だが大人顔負けの演技で推理を展開していく。まっくろ太はCGではなく本物の猫を使っているようで予想外の動きをするが来島は動じない。
凪人に並んでソファーに腰かけた愛斗がいろいろ解説してくれる。
「ミステリー作家が脚本に携わった本格的な推理を天才小学生が解いていくストーリーなんだ。放送は週末。時間帯は夜だ。どちらかと言えば大人向きのドラマだな。アンバランスさが受けなくて打ち切りになったけど来島の演技は決して下手じゃない。上手すぎると言ってもいい。子どもらしさがないんだ。たとえばこのシーン、父親からの手紙で…………凪人?」
凪人は無言だ。愛斗の声も耳に入らないくらい画面に集中している。
『ぼくは泣かないよ。お父さんが見つかる日まで、絶対に泣かない』
来島は頻繁にカメラ目線になる。演技指導によるものかも知れないが、それがテレビの向こう……しいては母親に向ける眼差しにも見えた。
ふと脳裏によみがえるのは昨夜の来島の言葉。
『第一話の放送日、オレは嬉々として母さんをテレビの前に連れて行ったよ。出演していることは内緒にしていたんだ。母さんはテレビを見たがらなかったけど「いいから」となだめてテレビを点けた。オープニングが流れてオレが映る。自分でも悪くない演技だと思っていたんだ』
『『なんでこんなみっともないものを見せるんだ』そう怒鳴って暴れ出した。分かるか? テレビの中で演じているのがオレだと、自分の息子だということももう分からなくなっていたんだよ』
「――上手ね」
隣で母の声がした。
ハッとして横を見ると後ろから顔を出している。目があうと微笑んだ。
「来島くんとっても上手ね。一所懸命に演じているのが分かるわ。ね、凪人」
「…………うん」
そこで凪人は自分が泣いていたことに初めて気づく。必死に手の甲で拭ってもとめどなくあふれてきて仕方なかった。
「うん、すごいと思う。上手いよ。おれなんかよりも全然。今度会ったらちゃんと褒めてやる」
「そうね。仲直りしてきなさい」
ぽんぽんと頭を撫でて母はキッチンへと戻っていく。愛斗に「夕飯食べていってねー」と声をかけるのを忘れずに。まったく、母親は最強だ。
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