82.来島と母 ※一部不快表現があります。

 凪人が連れてこられたのは高層ビルの一角だった。会員制のクラブだといい、薄暗い店内には高級ラウンジのような雰囲気とダーツやビリヤードの台が並んでいる。


「ちょ、おい、未成年がこんなところ入っていいのかよ」


 気後れする凪人の腕を掴み、来島は慣れた様子で奥の空席に向かう。一方マネージャーの榛葉は「ぼくは邪魔しないから」と別の席に向かっていく。


「事務所が契約しているちゃんとした店だ。マネージャーもいるし問題ない。なんか飲むか?」


 席に着くなりぞんざいにメニューを差し出された。ソフトドリンクもひととおり用意してあるがバカみたいに値が張る。凪人は一番安いミネラルウォーターを頼んだ。奢ると言われても借りを作りたくなかったのだ。

 来島はミネラルウォーターとジンジャーエールを注文しながらポテトやオムライスなども頼んでいた。一分も経たずに運ばれてきた飲み物をどちらともなく口に運ぶ。


「さっきの、どういう意味だよ。小山内レイジは自分たちが考えたって」


 来島は無言のままグラスに口をつけた。半分ぐらいまで一気に飲んでからようやく口を離し、乱暴に唇をぬぐう。


「そのまんまだよ。『小山内』は母さんの本名の姓。『レイジ』はオレの名前の別読みだ。命名直前までどちら呼びにするか悩んでいたんだってさ。母さんは学生時代からあいつ……三毛猫フーズの来島と交際していて芸名も来島小夜子にしてデビューしたんだけど、ヤツは母さんを捨てて別の女と結婚しやがった。慰謝料たんまり押しつけてな」


 叩きつけるようにグラスを置く来島の目は飢えた獣のようにぎらぎらと光っていた。


「ヤツと別れたあと母さんはどんどんおかしくなっていった。男を追って海外を転々。オレもあちこちに連れ回されたよ。――いや違うな、置いて行かれないよう必死についていったんだ。引っ越しで飛行機に乗るにも自分のチケットしか買っていないもんだからオレは拙い英語で係員に交渉して子どものチケットを買ったりした。お陰で外国語は達者になったけどな。でも結局母さんはフラれてばかり、女優時代に貯めた金も慰謝料も使い果たして心も体もボロボロだ。可哀想で仕方なかったよ。女優として輝いていた自分を思い出して欲しかった。だから『黒猫探偵』のオファーを受けたんだ。来島小夜子の息子っていうネームバリューを利用されることを承知でな」


 聞きたいことがある、と呼び出しておきながら来島は自ら喋ってばかりだ。

 けれど口を挟む余地はない。自分と同じ顔をした来島が想像以上に過酷な人生を送ってきたことが分かるからだ。


「どういうつもりか知らねぇが、ヤツは白々しくもスポンサー企業に名前を連ねていた。だからオレは利用してやったんだよ、スポンサーの意向だと言ってほとんど決まりかけていた主人公の名前を『小山内レイジ』に変えさせた。そうすれば」


「母親が自分のことを思い出してくれると思った?」


「……オレもバカだったと思う」


 来島は運ばれてきたポテトをひとつずつ摘まんで口に運んでいる。味わっているというよりは機械的に放り込んでいるようだ。


「第一話の放送日、オレは嬉々として母さんをテレビの前に連れて行ったよ。出演していることは内緒にしていたんだ。母さんはテレビを見たがらなかったけど「いいから」となだめてテレビを点けた。オープニングが流れてオレが映る。自分でも悪くない演技だと思っていたんだ。でも母さんはぽつりと言ったよ、『なんてみっともない演技なんだ』と。そしてこうしてきた」


 突然なんの前ぶれもなく来島が腕を伸ばしてきた。


「つっ……」


 手首を強く掴まれた凪人は思わず顔を歪める。すぐに力を緩めた来島は少しも悪びれた様子なくふたたび喋りはじめた。


「『なんでこんなみっともないものを見せるんだ』そう怒鳴って暴れ出した。分かるか? テレビの中で演じているのがオレだと、自分の息子だということももう分からなくなっていたんだよ。若年性の認知症さ。そのまま大騒ぎして警察を呼ばれ、精神病院に即入院だ。閉鎖病棟って知ってるか、鍵をかけられ薬を投与され、動物みたいに生かされてるんだ。母さんはそこにいるんだよ。面会に行って何度声をかけたってもうオレのことなんか分からないんだよ!」


 来島は力任せに机の天板を叩いた。グラスがガシャンと飛び跳ね、周りの客が怪訝そうに視線を寄越す。


「番組は打ち切り。母さんは入院。親権者のいなくなったオレはよりによってヤツに引き取られることになった。一緒に住むなんて冗談じゃない。留学という名目で海外に滞在したさ。この冬に戻ってきてからも別のマンションを借りさせた。だけど子どもがいない後妻が毎週日曜日に来るんだよ。合鍵を持ってるんだ。どれだけ散らかしても部屋をきれいにして作り置きの料理を冷蔵庫に入れていく。勘弁してくれよ、放っておいてくれ。どんだけ惨めな思いをさせるんだ」


 思いの丈をぶつけるように来島は叫び続けた。

 それは悲鳴だ。強気な仮面の下で上げ続けた声だ。


「オレはひとりで生きていく。生活費だって自分で稼ぐ。いまのマンションの賃料や海外の留学費用だっていつか熨斗つけて返してやる。借りなんか作らねぇ。小山内レイジとして有名になっていつかヤツを見下している……そう思ってんのに、なんでだよ。なんでカメラの前だと体が震えるんだ。なんでセリフが出てこないんだ。頭の中が真っ白になって、母さんに『みっともない演技』って言われたときのことばかり思い出す。教えてくれよ……どうしたらいい……どうやったらおまえみたいに演じられる?」


 まるで祈るように両手に顔をうずめる来島。


 あぁこれが本題なのだ、と思った。

 来島が『聞きたい』と言ったこと。自分の恥も外聞もなく凪人に教えを乞うつもりだったのだ。誰にも相談できず、凪人に頼るしかないほど追いつめられているのだ。


 凪人は覚悟を決めて口を開いた。


「来島、おれは演技を教えることはできない」


「……は、そりゃそうだよな。散々嫌がらせしたもんな」


「ちがう。単純な話で、教え方を知らないんだ。バイトに来ている福沢にもサイフォンの淹れ方を説明するのが下手だって言われる。自分の感覚で行っていることを言葉にすることができないんだ。……でも、」


「なんだよ」


「これでも忍耐強さには自信がある。教えるのは下手だけど傍で見ていてやることはできるし、一緒に考えて悩むことはできる。愚痴を聞かされたり悪口を言われたりしても大抵のことは我慢できる」


「…………は?」


 間が空いた。


 凪人は真剣だ。いかに口汚く罵られてもなぜか来島に対する怒りは湧いてこなかった。ただただ、哀しく見えた。


「くだらねぇ」


 驚きに目を見開いていた来島は少しして乾いた笑い声を上げる。

 ゆっくりと立ち上がり威圧するように凪人を見下ろした。それがせめてもの自尊心の表れに見える。


「オレもバカだよな、よりによって二代目おまえなんかに頼むなんて。情けなくて涙が出てくる」


「泣けばいいじゃないか。いつまで強がって格好つけるつもりだ」


「だまれ!」


 来島がのしかかってきた。椅子の背に押しつけられギリリと容赦なく首を絞められる。


「こら! なにしてんの!」


 騒ぎを聞きつけたマネージャーがすぐさま止めに入り、凪人は解放された。

 あえぐように呼吸を繰り返しているとふいに吐き気が込み上げきた。


(……あ。まずい)


 風邪とこの独特な空気、そして来島への感情移入。全部が悪い方向に影響している。


「離せ、もうしねぇよ」


 羽交い絞めにされていた来島は乱暴に腕を振りほどいた。息を整えながら自らのスマホを操作する。


「オレは悪役の方が向いているかもな。でもな凪人、本当に悪い人間ってのは優しい顔して近づいてくるもんだぜ。――――これ見たことあるか?」


 映し出された一枚の写真。



 どくん。



 血の気が引く、とはまさにこのことだと思った。

 頭が真っ白になり、寒さのあまり全身が震える。



「ど……し、て、それ、を」



 言葉が出てこない。気持ちが悪い。

 来島は興奮ぎみに唇を舐める。


「言っただろ、おまえの大切なものを奪うって。これが流出したらおまえの恋人はどうなるかな」


「かえせ!」


 伸ばした手はむなしく宙を切る。


 途端に焼けつくように喉が熱くなった。吐きそうだ。

 凪人はこらえきれずトイレに駆け込んだ。あふれだす胃液とともに涙が流れ出る。


(なんであの写真が残ってるんだ、どうして)


 一年前に見せられた、アリスと無名の俳優がホテルへと入る写真。

 愛斗によって揉み消されたはずのものがどうして来島のスマホにあるのだろう。

 アリスはなにもしていない。ロケの宿泊先だったホテルにたまたま男と戻ってきただけだ。けれど部屋に連れ込まれそうになったショックでしばらく人に触れられるのを怖がっていた。

 時間の経過とともに以前の明るさを取り戻したアリス。もしいまあの写真がSNS上に流出したら。


 そんなことになったらアリスは――。



 ※



「あぁ店長さんですか、どうも来島です。え、凪人? トイレにこもって出てこないですよ。もう二十分になるかな」


 電話の相手は桃子だった。凪人が置き去りにしていったスマホが鳴り響くので来島がかわりにとったのだ。食事会から帰宅したら家はまっくら。クロ子が淋しげに鳴いているとあっては息子の心配をせざるをえない。


『いまどこにいるの? すぐに迎えに行くから』


「……凪人のことが心配ですか? もう高校二年でしょう。そろそろ子離れしたらどうですか」


『いくつになっても子どもを心配しない親なんていないわ。トイレにこもっているってことは嘔吐したんでしょうし』


「嘔吐……?」


 来島にとっては初耳だった。


『そうよ。『黒猫探偵レイジ』のドラマ以降ずっと苦しんでいるの。あの子をオーディションに連れていったわたしの責任。だから親ばかだと笑われても凪人が「もういい」と拒絶するまでは構うつもり。悪い?』


「……」


 憎らしくもあり。

 羨ましくもある。


 同じような顔で生まれ、同じ「小山内レイジ」を演じたというのにどうしてこうも違う人生を歩んでいるのだろう。


『とにかく場所を――』


 ぷつ、っと電話を切った。居たたまれなくて、悔しくて、悲しくて。

 電源を切ったスマホを手にトイレへと向かった。


「おい凪人。いつまでこもってんだよ、母ちゃんが心配して電話寄越したぞ。迎えに来るって」


 執拗に扉をノックすると中から反応があった。


「母さんは車持ってないゴールド免許なんだよ。いまごろあたふたしながらタクシー会社に電話してる。心配かけたくなかったのに」


「ざまぁないな」


 いい気味だと思うのに、乾いた笑い声しか出てこなかった。

 この虚しさはなんだろう。


 ――そのとき、にわかに店内が騒がしくなった。

 何事かと声にする入口の方を見るとひときわ背の高い男がズカズカと店内を進んでくる。暗い照明の下でも端正な顔立ちが際立って見えた。


(斉藤マナト……!?)


 足が震えた。

 斉藤マナトは海外にも名前が聞こえてくる俳優だ。来島も彼が出演しているドラマや映画だけは欠かさず見ている。ファンと言ってもいい。SNSのアカウントにいくらコメントも入れても見向きもされなかった。眼中にないのだ。


 そんな相手がどうしてここに。


 来島と目があった愛斗はまっすぐ向かってきた。190センチ近い長身から見下ろされると想像を超える威圧感がある。


「来島怜史だな。行きつけの店の店長に頼まれて息子さんを迎えに来た。どけよ」


 心底侮蔑するような眼差しで来島を射抜く。

 従わざるをえない。屈服させられる。そんな空気だった。


「凪人、いるか。迎えに来たぞ」


 来島に向けたものとは明らかにトーンを変えてトイレの扉を叩く。しばらくして鍵が解かれ、気だるそうに凪人が出てきた。嘔吐後はしばらく身動きがとれないこともあり、顔は青ざめて死人のようだ。


「愛斗さん……どうしてここに?」


「久しぶりに桃子さんのコーヒーが飲みたくなって電話したら取り乱した様子で説明してくれたんだ。すぐにピンときてここに車を走らせたよ。歩けるか?」


 労わるように肩を担いで凪人ともども歩き出す。突然の事態に呆然と見守るしかない来島と客たち。

 愛斗は来島が持っていた凪人のスマホを乱暴に奪い取り、ギッと睨みつけた。


「もう金輪際この人たちに関わるな。不愉快だ」

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