80.来島、動く
「なに……言ってんだよ」
急激に喉の渇きをおぼえた。
モデルのAliceと付き合っている。なぜ国見が知っているのだろう。
文化祭の白猫喫茶に来たアリスと話しているところを見られたのだろうか、それとも一年五組のロッカーから救い出したところを目撃したのだろうか、それとも多機能トイレで、いや屋上で――疑い出せばキリがない。
それとももっと前から?
もしも新妻が言っていた『自分の近くにいるだれか』が国見だとしたら、最近になって親しく声を掛けてくれるようになったのもそのためか?
「マジで……マジなのか?」
すぐには反応できない凪人を見て驚きを隠さない国見。「そんなわけないだろ!」と焦って反論したいのをこらえ、心を落ち着かせる。ここから先は演技力の勝負だ。
大げさな演技は逆にあやしまれる。だからこそ短く息を吐いた。
「はぁ? ンなわけないだろ。変なこと言いだすからびっくりしたんだよ。おれなんかが相手されるわけないじゃないか。どうしてそんなこと思うんだ?」
わざと小ばかにしたように答えながら国見の様子を丁寧に観察する。
目の動き、態度、汗のかきかた、声……。
自分たちの交際をすでに確信しているのかそれとも疑っている段階か。どちらかを。
「あぁいや、その……」
気まずそうに口ごもるので黙って続きを待った。直立不動で待機するのではなく目の前の作業に没頭する振りをしながら「ついで」のように耳を傾ける。
「前に……見ちゃったんだ。終業式の日に忘れ物をとりに戻ったらふたりが親しげに話していたところを」
「あぁ、あのときか」
なんでもないふうを装いながら(やばいー!!)と内心うろたえた。
あのときは確か抱き合って、キスをして、手をつないだまま他愛のない話をしていた。
一体どこを見られたのだろう。もしキスした場面なら言い逃れできない。
「部活終わって帰ろうとしたら忘れ物に気づいてさ、話し声がしたからちょっと覗いたんだ。なんかヤバい場面を見た気がしたから回れ右して帰ったけど」
部活が終わった時間。つまり夕方だ。
ということはキスは目撃されていない可能性が高い。
ならば。
凪人は動揺していることを強調するため投げやりに布巾を置いた。
「――頼む国見、だれにも言わないで欲しいんだけど」
わざと小刻みに声を震わせる。国見の表情が強ばったところへズイッと迫る。
「おれ本当は……本当は、Aliceの超超超熱烈なファンなんだ!!」
「ファ、ファン……?」
きょとんと目を丸くするが凪人はそのまま押し通した。
「おれクール系を装っていたから周りに気づかれないよう振る舞っていたけどマジ昔からの大ファンで。Aliceが転校してきて、しかも隣の席になったもんだから毎日心拍数やばかった。でもまた転校しちゃうことになっただろう。だからどうしてもとお願いして終業式の日に会ってもらったんだ」
「え、でもAliceって仕事で先に帰っ……」
「それもおれが頼んだからだよ。ふたりきりで会いたい。もし会ってくれないならストーカーになるかもしれない。そりゃもう必死で頼み込んだんだ。Aliceは優しいから無茶なお願いを聞いてくれて、その時間だけは恋人のように振る舞ってくれた。いまはすごく感謝してる」
いかにもそれらしく説明しながらも国見の様子をつぶさに観察していたが、ひたすら呆気にとられているようだ。
もうひと押し。
「頼む国見。だれにも言わないでくれ。この通りだ!」
両手を合わせて大げさなくらい頭を下げた。もしも国見が新妻のスパイならこれがウソだと気づくはずである。もしそうであるなら――。
「そっ……か」
国見は息を吐く。どこかホッとしたような表情で。
「いや、ずっと気になってて。どうなんだろうなーって。一年のとき黒瀬って全然存在感なかったのに急に彼女がいるって言うし、学校に迎えに行ったり積極的な様子もあったからもしかしてと思ってたんだ。写真も見せてくれないし」
「実を言うとAliceとふたりきりになったときに告白したんだ。当然フラれた。でもそれで気持ちの整理がついてバイト先で知り合った子と付き合うことが出来たんだ。写真がないのは前にも言ったとおりお互い苦手なんだよ。でも今度一枚撮らせてもらう、そしたら国見にも見せるから」
などと口からでまかせを言っておく。
国見はおそらく――シロだ。
凪人とアリスの交際については知らない。終業式に目にしたものの正体を確認したいだけ。
案の定、深追いはしてこなかった。
「分かった。変なこと聞いて悪かったな」
「大丈夫、気にしてないから。そう言えば国見の彼女はどうなった?」
話題をそらしてうやむやにしようとしたのだが、国見は照れ臭そうに顔を伏せた。
「いやそれはなにも。前に一回食事したきりで。しかもファミレス。付き合うなんて全然……。文化祭の打ち合わせしただけだし」
落ち着きなく視線を漂わせていたかと思うと覚悟を決めたように凪人に向き合った。その目は真剣そのものだ。
「なぁ告白ってどうやってしたらいい?」
虚を突かれた。
「え……と、好きだって言えばいいんじゃないのか?」
「だから! 言いたいけど言えないんだよ。なんつーかこう、恥ずかしくて。最近ちょっとずつ仲良くなれてきたから余計に。だから黒瀬にアドバイス欲しくて」
いまいち状況がつかめずに首を傾げていると痺れをきらした国見が叫んだ。
「だから俺――――福沢のことが好きなんだ!!」
国見が福沢を。
好き。
片想い。
「…………へぇー」
意外すぎてそれしか反応できなかった。
クラス内で浮いていた凪人に対しても親しげに(ある意味では馴れ馴れしく)接してきた国見が恋に奥手だとは思いもしない。
なるほど。福沢と昼食をとっていたとき話しかけてきたのはそちら目的だったのだ。
「くそぉなんだよその顔。俺の秘密を知ったからには協力してもらうからな!」
そんなわけで凪人は半ば強引に協力させられることになった。
どうやって距離を詰めればいいのか、恋愛対象のアリ・ナシを判断する方法、告白のタイミングを教えて欲しいと言う。
凪人は少し――ほんの少しだけ考えたが、すぐに思考を放棄した。
「悪い。全っ然分からない。おれの場合は向こうから猛烈にアプローチしてきたから」
出会いがしらで吐きそうになった自分を学校まで追いかけてくるわ不意打ちのキスをするわ脅すわ「一目ぼれ」宣言するわ。
正攻法の恋愛の仕方など凪人の方が聞きたいくらいである。
しかしその発言が国見の心に火をつけたらしい。
「じゃあなに向こうから告白してきたってことかよ!? うわくそ、なんつー羨ましいヤツ……」
嫉妬心を隠そうともせず顔をくしゃくしゃにして地団駄を踏む。
(なんだかな)
喫茶に推理に劇に恋人の鐘に恋愛相談に。文化祭というイベントはほんと――。
(疲れる)
思わず生あくびをかみ殺した。
国見はなお一層躍起になり、凪人の分の皿まで奪い取って磨きはじめた。
「おい黒瀬、こうなったら洗いざらい話してもらうからな!」
「やだよ。面倒くさい」
気がつくといつものふたりに戻っていた。
※
「……ちくしょう」
来島は歯噛みしていた。
手にしたダーツの矢を力任せに投じる。
思い出すのはSNSにあったコメント。
『新しいCM見たけど、小山内レイジって下手くね?』
「ちくしょう」
『Aliceも上手くはないけどレイジよりはマシつーかまだ見れる』
「ちくしょう!」
『悪口言うとアカウントブロックされる』
『下手なくせに偉そうでキライ』
『憧れの斉藤マナトにリプ送ったのに無視されてて草』
『もう飽きた』
『小山内レイジ終了のお知らせwwwあまりにもド素人すぎて関係者に呆れられる』
「ちくしょう!!!」
何投目かのダーツの矢は床に落ちる。
薄暗い会員制のクラブには来島の絶叫だけが響き渡った。
「怜史落ち着いて。一部の悪口なんて気にする必要はないわ」
近くのテーブルにいた新妻が飲み物を勧めるが来島の苛立ちは収まらない。SNS上にあふれるのは小山内レイジに対する誹謗中傷だった。
「演技が下手」からはじまり、態度が生意気だの礼儀ができてないだの遊んでいそうだの、虚実入りまじった悪意が蔓延している。
「上がり症なのは仕方ないじゃない。怜史はよくやってるわ」
「うるせぇ。ド音痴で踊るだけしか能がないおまえに言われたくない」
「もう、それは言わない約束でしょう」
来島は苛立ったようにジンジャーエールを飲み干すと空のグラスを机に叩きつける。
「……お母様の具合、よくないの」
「おまえには関係ない」
ぴしゃりと切り捨ててスマホを取り出した。たとえ罵詈雑言であってもなんと書かれているのか気になって仕方ないのだ。
無性にイライラする。怒りのやり場がどこにもない。
(どいつもこいつもオレのことをバカにしやがって)
検索を続ける中でふと、ある動画に目がとまった。
文化祭の劇らしいがコメント欄には「神演技」「感動」「涙でた」などと讃辞ばかりが並んでいる。自分とは真逆だ。
詳しく見ると文化祭の劇で登場した悪役が圧倒的な演技で観客の涙を誘ったのだという。さらに話題を集めているのは「正体不明」という点だ。
本来悪役を演じるはずだった生徒はトイレにこもっており、だれが演じているのか結局分からないままだったという。
部員でない者がリハーサルもなしにたった一度台本を見ただけで完璧に演じられた。その事実が注目を浴びているらしい。
「――なぁ愛理。兎ノ原アリスが前にいた学校ってどこだ」
「え? 県立の……あぁこの学校ね」
来島のスマホを覗き込みながら頷く。
「ってことはアイツがいるんだよな」
「だれ? 黒瀬くんのこと?」
来島は無言のまま動画を再生した。音量を最大にしてイザ神の演技を確認する。
(……まさか、な)
そんなはずはない、と思う一方でそれ以外ありえないと思う自分がいる。
だとしたら。
「ちょ、どこにいくの?」
無言のまま出口へと向かう来島を新妻が追いかけてくる。
肩を引かれて振り返った来島は血走った目で不気味な笑みを浮かべていた。
「小山内レイジの二代目のとこだよ。すげぇ演技だったって褒めてやらないとな――」
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