79.文化祭騒動記(6)~祭りのあと~

「それにしても凪人くんってすごいね。最後のシーンなんて感動しちゃったよ」


 風に揺れる凪人の髪を撫でていたアリスは声を弾ませる。


「……あ」


 今更ながらこと気づく。

 顔。年齢。演技。

 ここまで揃って疑われないはずはない。


「ねぇ凪人くんて――」


 急に真剣な顔つきになって顔を覗き込んできた。じぃーと熱心に見つめられる。


(まずい。さすがに小山内レイジだってバレたか?)


 気まずさから顔を背ける凪人の頬を両手で包みこむ。


「お芝居したことあるんでしょう。それも」


 ごくり。


「小山内レイジに憧れて」


「…………は?」


「だって小山内レイジって子どもながらに演技力に定評があったんだよ。監督の要求があれば泣くのも怒るのも叫ぶのも声を枯らすのも出来たんだって。すごいよね。私からすれば来島くんよりも凪人くんの方がよっぽど――」


 ハッとしたように口を覆う。無意識に来島を貶めていることに気づいたのだろう。悪口を言ってしまったことを恥じ入るように俯いてしまう。


「来島がどうしたんだ?」


「あ、えと、変な意味じゃないんだけど……CM撮影していると来島くんって小山内レイジではないんじゃないかって思うことがあるの。――変だよね。素人じゃあるまいし、ちゃんと事務所がついているのに」


「詳しく聞いてもいいか?」


「ええと……」


 口ごもるアリスはとても言いづらそうだ。凪人相手に話していいのか迷っている。


「正直ね、下手なんだ……演技。緊張してガチガチになっているのが分かる」


 自信満々で凪人相手にも臆せず啖呵を切るような来島が、まさかの緊張。


「私も上手いわけじゃないけど場数を踏んでいるから緊張して声が上ずったり指先が震えることはないの。だけど撮影前の来島くんは青ざめて死にそうな顔している。セリフが飛んだり噛んだりするからひとつのシーンとるのに何度もNG出して。スタッフの人たちが『あの小山内レイジもこの程度か』って笑っているのを聞いて、私、悔しかったけど否定できなかった」


 ふだんは放埒に振る舞う一方で、いざカメラの前に立つと緊張して思うように演じられない。来島は見た目によらず繊細なタイプなのかもしれない。


「それでね、自分でもうまく説明できないけど奥歯に物が詰まったような違和感があったの。私の知っている小山内レイジはこんなんじゃない。そう思ってDVDを見返した。そこにいるのは憧れだった小山内レイジ。ものすごく演技が上手くて声だけでも私を引きつける。でも来島くんとは違う気がした。だから私、昔録画したヒデオを引っ張り出してきたの。初めて見た『黒猫探偵』を。そこにいるレイジはまさしく来島くんだった」


 ビデオ。


「いまなんて!?」


 気がつくと飛び起きて肩を掴んでいた。アリスは驚いたように目を瞬かせる。


「だから、ビデオテープ。『黒猫探偵レイジ』が放送される一年前に『黒猫探偵』ってタイトルのドラマがあったの。知らない?」


「初めて聞いた。どんな内容なんだ?」


「大筋は同じだよ。小山内レイジが黒猫のまっくろ太と事件を解決していくの。放送時間が遅かったからリアルタイムでは観なかったけど、推理物が好きなパパが録画していたの。あまり人気が出なかったみたいで全十二話で打ち切りになっちゃった。そのあとにリメイクされたのが『黒猫探偵レイジ』。放送時間は夕方で推理も比較的子ども向けだから人気が出たんだよ」


 なんということだろう。

 アリスの言うことが確かなら来島が演じていた『小山内レイジ』は凪人が演じる前――つまり初代だ。凪人は二代目ということになる。

 市販されているDVDは凪人が出演している『黒猫探偵レイジ』だ。その前のものが不人気で打ち切りになったのなら映像は出回っていないのかもしれない。


(来島はウソは言っていなかった。だとしたら九話以降のことも納得できる)


 ばらばらになっていたピースが嵌まっていく。

 もし福沢が観たという番組がリメイク前のものなら完璧だ。


 残るは来島がなぜリメイク後のドラマに出演しなかったか、だ。

 プロデューサー等の意向でキャストを変更したのかも知れないし、あるいは別の。


「来島くんのことがどうかしたの?」


「あ、いや――」


 一瞬悩んだ。

 もうそろそろ自分が「小山内レイジ」だったことを話してもいいと思ったのだ。

 いまの関係に満足しているが故に波風立たせたくなくて黙っていたが、アリスならきっと理解してくれる。


「おれな、アリスに言わなくちゃいけないことがあるんだ」


「なに?……もしかして別れて欲しいとか」


 どぱっと涙をこぼしたので慌てて否定した。


「ちがう。おれの過去のことだ。六年前、おれは――」


 前のめりになった瞬間、奇妙な音が聞こえた。

 ブブブブブ、と地面を這いまわるような音。


「「あ、電話だ」」


 ふたりのスマホが執拗にバイブしている。


「え、アリスも?」

「凪人くんも?」


 目配せをしてから同時に電話に出ることにした。


「「ハイ、もしもし」」


 すると。


『凪人くん片づけ手伝うって言ったでしょ! いつまで休憩してんの!!』


『二時間だけって言っただろ! いつまで油売ってるんだ、とっとと帰ってこい!!』


 福沢と柴山から耳をつんざくような苦情が入った。


「ごめん福沢、いますぐ行く」


「柴山さんごめんなさい、すぐ行きますから」


 なんとかとりなして互いに通話を切った。

 またしても同時にため息をつきながら顔を見合わせる。


「怒られちゃったね」


「だな」


 なんだか無性におかしくなって自然と笑いが込み上げてきた。

 同じ場所で同じものを見て同じように笑う。あぁなんて幸せなことだろう。


「よし行くか。途中まで送るよ」


「うん、ありがとう」


 伸ばした右手にアリスの左手が重なる。

 きつく握りしめた指の強さで互いの想いを再認識し、ふたりは『恋人の鐘』をあとにした。


 喫茶に推理に着ぐるみに劇に。

 いろいろあった文化祭もこれで無事に終わる――――はずだった。



 ※



「お疲れ―。あ、黒瀬ひとりか?」


 道具係の国見が家庭科室を訪れると凪人ひとりが片づけに残っていた。使用した食器を洗い、水垢が残らないようピカピカに磨いているのだ。


「福沢は教室で収支の確認をしてる。食器類はおれが引き受けたんだ」


「大変だな。俺も今日は部の手伝いで疲れたし。スリーオンスリー何回やらされたことか」


 などと文句を言いながらも布巾を掴んで手伝ってくれる。部活のことで手一杯だったろうにわざわざ様子を見に来てくれたのだ。言葉には出さないが「いい奴だよな」と感激する。


「聞いたか? なんか演劇部の劇すごかったらしいじゃん。悪役のなんとか神の迫真の演技にみんな圧倒されていたって。終わるまでだーれも来なくてめちゃくちゃヒマだったわ」


「へぇー観に行けばよかったな。おれ休憩中で寝てたんだ」


「ここだけの話、悪役だった生徒は一時間近くトイレにこもっていて劇には出なかったらしいんだ。部長たちは血眼になって探しているけど誰が演じたのか分からないんだって。ちょっとしたミステリーだよな」


「不思議なことがあるもんだな」


 もっともらしい相槌を打ちつつ(おれだけど)と突っ込んでいる。


「それだけじゃないぞ。顧問が撮影していた劇の映像をコピーしてくれないかって校内外から問い合わせが殺到しているんだって。さっきSNSでも話題になってたくらいだ。あまりに凄い劇だからそのうち全校生徒の前で上映会する話も出ているって」


「ほ、ほぉ……」


 ずいぶんと大きな騒ぎになっているものだ。

 可能性は小さいだろうが声で自分だとバレてしまわないか、それだけが気がかりだった。


「ところで黒瀬。ちょっと聞きたいことあるんだけどいいか?」


 周囲を確認した国見がふと声をひそめた。


「顔近い。なんだよ藪から棒に」


「いやぁいざ聞くとなると恥ずかしいな」


 わざとらしく頬を掻いて挙動不審になる。なんだか構って欲しいときのアリスの姿を思い出して可笑しくなってしまった。


「早くしろよ。じゃないとこの布巾で顔拭くぞ」


「う、じゃあ言うぞ。言うからな。ちゃんと答えろよ」


 意を決して見つめてくる。しかし国見のどこかおちゃらけた態度に「どうせ大した質問ではないだろう」と油断していた。


 そう。完全に、虚を突かれた。



「おまえの彼女ってもしかして、モデルのAliceなんじゃないか?」



 ――あなたの近くにいるだれか。

 新妻の言葉が脳裏をよぎった。

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