78.文化祭騒動記(5)~恋人の鐘~

『見つけたぞ魔王め! この勇者が退治してくれる!』


 舞台ではイザ神と勇者が対峙していた。荒れ狂う嵐(BGM)の中で互いの意地をぶつけて闘う。


『なぜだ』


 イザ神は吠えた。


『どうして森は焼かれなければならなかった』


 イザ神は泣いた。


『ワシの愛すべき森がどうして跡形もなく消し炭にされなければならなかった? 応えろ、おまえたち人間が奪ったのだ、ワシが奪ってなにが悪い? 森を守るワシと人間と守る勇者のおまえの一体になにが違うというのだ』


 雷鳴とともにイザ神の怒りと嘆きは頂点に達する。声は枯れ、着ぐるみなのに涙が流れ落ちるようにさえ見えた。


 観客のだれしもが息を呑んで見守る中、イザ神は勇者によって胸を貫かれる。

 かつて愛した森の跡地をふらふらと徘徊し、とうとう倒れ込んだイザ神。弱々しく天を仰ぐ。疲れ果てた老神の恍惚の笑みが見えるようだった。



『ワシは死ぬ。そして土に還る。そしてまたこの地に戻ってくるだろう。何百年、何千年、何万年かかっても必ずや復活し、今度こそ森を――』



 力尽き、静かに息を引き取るイザ神。

 その傍らでは初々しい新芽が顔を出し、朝日を浴びてきらりと輝いているのだった。



『――こうしてイザ神は討たれ、世界には平和が訪れました。そう、人間たちにとって住みやすい平和な世界が。これは果たしてハッピーエンドなのでしょうか』


 劇はそのようなナレーションで締めくくられ、幕が下りた。



 束の間の、静寂。



 思い出したようにパチパチと手が打たれると、まるで豪雨のような拍手喝采となった。



(……疲れた)


 舞台袖に引っ込んだ凪人は押し寄せる疲労感に耐えて唇を噛んでいた。


「ごめんアリス。派手に動き回ったけど大丈夫だったか?」


 無我夢中で演じてしまい、途中から吐き気どころかアリスの存在さえ意識外に置かれてしまった。振り返って肩を抱くとかすかな肩の震えに気がつく。


「どうした? どこか痛むのか?」


「――ううん、ちがうの」


 ターコイズの瞳からはぽろぽろと涙が流れている。


「イザ神がかわいそうで」


 涙声になってごしごしと目元をぬぐう。感極まって泣いてしまったようだ。

 凪人は慌ててハンカチを探すが見当たらない。


「ごめん、ここで良ければ」


 と腕を広げた。アリスは「お言葉に甘えて」と頷くなり胸に飛び込んでくる。凪人は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになりながらミルクティー色の髪を撫でた。


「お疲れ様。ありがとうな。これでやるべきことはやったからトイレにでも行って着ぐるみを脱ごう。もう少しだけ動けるか」


「ん……ぅん」


 泣きべそをかくアリスをなだめて歩き出すと目の前に部長が立ちはだかった。


「どこへ行く飯田!」


 もうこれ以上付き合い義理はないのでトイレの方向を指し示してアピールしてみた。


「バカもん! この拍手が聞こえないとは言わせないぞ。演劇部員たるものカーテンコールは常識だろう」


(もう勘弁してくれよ)


 一刻も早くここを離脱したい。アリスともども汗だくだ。しかし出口は部長たちにふさがれているのでやむを得ずステージに戻る。

 イザ神の姿が現れた途端ひときわ大きな拍手が沸き起こった。視野が狭いのでどれくらいの観客がいるのかは分からないが耳をふさぎたくなるような拍手の音量だ。


(――こういう時ふつうなら「気持ちいい」「サイコ―」って思うんだろうな)


 凪人はどこか冷静に状況を見守っていた。

 自分の演技でみんなが喜んでくれるのは嬉しいし最後まで演じきれた達成感もある。けれどこの舞台に再度立ちたいかと問われればNOだ。未練などない。


(おれはアリスや母さんや喜んでくれればそれで満足だからな)


 大勢に認められなくてもいい。

 本当に大切な人たちが拍手を送ってくれれば、それだけで。


 カーテンコールを終えて幕が閉まる。しかし拍手はやまない。今度こそトイレに向かおうとしていた凪人はまたもや部長に捕まった。


「往生際が悪いぞ。トイレぐらい我慢しろ。もう一度カーテンコールだ」


 いい加減にしてくれ、と呆れていると別の生徒がひょっこり顔を出した。お腹周りの肉が目立つ小太りの生徒だ。


「そうだぞ。オレなんて食べすぎでトイレに駆け込んだけど、気がついたら一時間も寝こけてたんだからな」


 こんな生徒いたかな、と注目していると胸元に「飯田」と名札がついているのが見えた。まさか、とイヤな汗が流れる。


「ん、飯田じゃないか。ここでなにしているんだ?」


「あ部長、すみませんでした。トイレ行くのに着ぐるみが邪魔で脱ぎっぱなしのままにしてましてー」


「そうじゃない。なぜここにいるのかと聞いているんだ。だっておまえはイザ神――」


 部長と本物の飯田、そして周りの部員たちの視線が集まる。


 これはまずい。

 凪人は一歩また一歩と後退した。しかし後ろはステージだ。万が一転がり落ちたらアリスがケガをするかも知れない。


 どうする。どうしたらいい。このままでは。

 追いつめられる凪人。そのとき真後ろでスーッと息を吸いこむ気配があった。



「あーモデルのAliceがいるー!!」



 マジか!と部員や観客たちが反応する。


「Aliceってモデルの」

「ウソどこ!?」

「もしかして観客の中に」


 凪人を取り囲んでいた部員たちはステージから観客たちを確認する。「いまのうち!」とアリスが凪人をつついた。


「……あっ飯田のニセモノ待て!!」


 部長たちが気づいたときには既に遅く。

 イザ神の姿は煙のように消え失せていた。捜索後、庭へと通じる扉の前に抜け殻となったイザ神が鎮座しているところが発見された。中からは女性もののシャンプーの匂いがしたという。



 ――この事件はのちに演劇部の七不思議として語り継がれることになる。

 ちなみに他に六つは特に決まっていない。



 ※



「っはぁ、は、は……」


「ふ、は、ふぁぁ」


 凪人とアリスは手をとりあって階段を駆け上がった。屋上へと辿り着き、そこにだれもいないことを確認したところ揃って膝をつく。


「あぁもう、すげー疲れた」


「私も。こんなに心臓がどきどきしたのは久しぶり。でも楽しかった」


 互いに顔を見合わせてあってひとしきり笑った。

 呼吸が落ち着いてきたところでアリスが指差す。


「ねぇ、いま人いないみたいだし『恋人の鐘』鳴らさない?」


 立ち上がり『恋人の鐘』を挟む形で並んだ。腰の高さに組まれた鉄パイプにハンドベルを加工したものが下がっている。左右から紐を引かないとうまく鳴らない仕組みのようだ。


「「せーの」」


 同時に紐を引けば、リリンリリン、とけたたましく鐘が鳴り響く。

 その音が消えないうちにアリスが息を吸い込む。


「好ーきーだーーーー!!」


 響き渡る声。グラウンドにいた人々が振り返ったことに気づいてさっとしゃがみこむと恥ずかしさを隠すように顔を覆った。


「こういうの一度やってみたかったんだけどうわー恥ずかしー」


 大胆で、それでいて恥ずかしがり屋。そんな彼女を愛しく思う。

 だから今度は自分の番とばかりに凪人も胸を張る。


「おれも好きだーーーーーーーー!!!!」


 アリスよりも長めに叫んでから同じようにしゃがみこむ。すかさず笑い声がした。


「ひゅーひゅー熱いね凪人くん」


「なに言ってんだよ、ばーか」


 お互いにニヤニヤしている。恥ずかしさもあるけれど幸せな気持ちだった。


「今日は疲れたでしょう。特別に膝枕してあげます」


 そう言って太ももを突き出した。

 「膝枕」という言葉の衝撃に一瞬気が遠くなる。


「照れなくていいから、ほら、頑張ったご褒美」


 乱れたスカートをパシパシと叩いて必死な様子だ。

 そんなふうに赤面しながら「ご褒美」と言われてもまるで説得力がない。


「膝枕はおれじゃなくてアリスにとってのご褒美じゃないのか」


「もー、いいからさっさと寝て」


「はいはい。じゃあお言葉に甘えて」


 ふくれっ面のアリスの膝に頭を乗せる。ウォーキングによるしっかりとした筋肉があるためやや硬い。けれど寝心地は悪くなかった。なんと言っても特等席から見上げるアリスの顔は最高だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る