77.文化祭騒動記(4)~本領発揮~

 開演のブザーが鳴り響く中アリスは思っていた。


 これはまずいなぁ、と。


 成り行きで凪人とともに着ぐるみの中に隠れ、訳が分からないまま舞台裏へと引きずられてきた。聞けば飯田という生徒と勘違いされているらしく悪役として舞台に立てと言う。


(『平気だ』って言ったけどまた強がっちゃってるのかなぁ)


 自分かのじょの手前引き下がれなくて虚勢を張っている……アリスにはそう思えて仕方なかった。


(直接は見えないけど人がたくさんいるだろうし、凪人くん大丈夫かな)


 病気は完治したわけではない。それも心配の要因だった。


 当の凪人は先ほどから黙っている。緊張しているのかもしれない。

 いまのアリスにできることと言えば少しでも緊張がほどけるように優しく触れることだけだ。


 そもそもこんな事態に陥ったのは軽はずみな行動をしてしまった自分に責任がある。

 最悪もうどうにもならなくなったらAliceだと名乗り出て混乱に乗じて上手く丸め込んでしまおうと考えていた。演劇部の晴れの舞台を台無しにしてしまう罪悪感がないわけではないが、他に妙案が思いつかない。


 とにかく追いつめられていたのだ。

 ――いざ演技が始まるその瞬間までは。


「アリス」


 凪人が振り返る。

 響いてきた声はちっとも上ずっておらず、むしろ普段より低いくらいだ。


「行くぞ。出番だ」




(…………かっこいい)


 ときめいてしまった。



 ※



 舞台は深い森の中。連なる木々(ハリボテ&人)の間から毛むくじゃらの怪物ことイザ神がステージ上に姿を見せる。


 ゴ●ラが赤い毛玉をまとったような姿で、目玉だけがバネで飛び出ている。珍妙な姿に観客からクスクスと失笑が漏れた。子どもなど「変なのー」と叫ぶ有り様だ。

 イザ神(凪人)はスッと息を吸う。



『……ああ、なんて気持ちのよい朝だ』



 一瞬にして、しん、と観客が静まり返る。


 決して大声ではないが、抑揚がはっきりして声に芯があるので響きがいい。それでいて一語一句をゆっくり発音するので体育館の端まできちんと届く。まさしく「神」と呼べる威厳のある喋り方だった。



『朝一番の空気はおいしいなぁ。むしゃむしゃ。あまーい綿あめみたいだ』



 ステージの真ん中に立ったイザ神は腕をいっぱいに伸ばして深呼吸した。毛むくじゃらの腕が小刻みに震え、最後に尻尾までちゃんと揺らす。台本通りである。

 愛嬌のある姿に今度は笑いが起きた。


 ふと鳥のさえずり(BGM)が聞こえてきた。イザ神はステージ上をゆっくりと歩き回りながら森の美しさをひとつひとつ讃える。



『見るといい。なんと朝日の眩しいことよ、鳥たちの囀りのなんと賑やかなことよ、水を吸い上げで咲き誇る花々のなんと美しいことよ、枝葉を伸ばす木々のなんと力強いことよ。ああ……この森は命に満ち満ちている!』



 歓喜に震える喉。

 すでに観客たちは毛むくじゃらの変な怪物としてではなく「イザ神」と舞台と凪人にのめり込んでいた。




(――ちくしょう、なんつー『てきとう』な台本だ)


 で凪人は奥歯を噛みしめていた。

 先ほど目を通した台本には『喜びをアピール。てきとうに何回か』とこともなげに(しかも鉛筆でさらっと)書いてあった。


 なので政治家のごとく大げさにアピールしてみたのだ。右へ左へと動くので後ろで爪先立ちしているアリスにはその都度注意を促している。


(まぁでも演技としてはこんなもんかな。着ぐるみで顔の表現が出来ないから全力は出せないけどお客さんも静かに聞いてくれているし、真似トレースとしては及第点だろう)


 凪人が参考にしているのは以前に愛斗が主演していた2.5次元の舞台だ。

 ステージを縦横無尽に動き回るだけでなく、表情やセリフ、息遣いにまで神経を遣っていた。あれを思い出して再現してみることにしたのだ。


 しかし問題は次だ。

 人間によって森を焼かれたイザ神が怒りで「魔王化」するシーン。台本には『怒り狂って暴れまわる。てきとうに観客を巻き込んで』と書いてあった。


(なんでも『てきとう』って書くんじゃねェよ)


 しかし台本にあるからには仕方ない。

 実際にどんな打ち合わせをしていたのかは知る由もないが、いまはとにかくやるしかないのだ。


「アリス、ちょっと派手に動くからしっかりと掴まっていろよ」


「う、うん」


 先ほどからアリスは変だ。

 舞台上なので静かにしているのは当然なのだが、なんというか目線が……。


(キスをねだるときみたいに、ちょっと潤んでいるんだよな)


 おかしなものだ。自分はただ真似をしているだけなのに。



 ※



 森に火が放たれる。

 イザ神はなんとか火を消そうと右往左往。しかし無情にも(火の粉役の人間が走り回り)あちこちに燃え移る。



『一体だれが……なぜ森を……ワシの愛すべき森を――――許せん……許せんぞ――』



 絶叫するなりステージ横の階段からゆっくりと降りてくる。

 前列にいた観客たちが驚いて一斉に退いた。ある子どもは泣きべそをかく。


 イザ神は尻尾を振り回し足を踏み鳴らして咆哮する。



『許せん! 断じて許さんぞ! 人間どもに復讐してやる! 根絶やしにしてやる! 絶対だ! 絶対だ! 絶対にだ!! ガーッハッハッハッハ』



 舞台は暗転。

 イザ神はゆっくりと退場していく。


(ふぅ、なんとかなったな)


 出番が終わって舞台袖に下がった凪人は安堵の息を吐いた。

 階段で転んだらどうしようと心配だったが上手く降りられた。


(このあと勇者が出てきて魔王化したイザ神を倒しに来す旅に出るからしばらくゆっくりできるかな。隙を見てアリスだけでも出してやりたいけど)


 ふと不安になってアリスを振り返った。目を閉じてぎゅっと腰に抱きついたままでいる。


「アリス大丈夫か? つらくないか?」


「あ、ううん。平気。ちょっとドキドキしただけ」


「胸が苦しいのか!?」


「ちがうちがう。興奮しているの。凪人くんこそ吐き気は大丈夫? ここからじゃ見えないけど結構注目されているよね」


「あぁ、この着ぐるみだと視野が狭いからお客さんどれくらいいるか分からないんだ。そのお陰か今のところ問題ないよ」


「そっか。だから……なのかな。私、凪人くんの演技に圧倒されていたの。魅入られていた」


「?」


 なかなか目が合わない。まるで憧れの俳優を前にして恥じらうファンのように態度がよそよそしい。


「意外――って悪く聞こえたらごめんね。でもびっくり……ホントにびっくりしてる。凪人くんすごいよ、全然緊張してないし堂々としているしセリフも演技もほぼ完璧なんじゃない? ここにいてもお客さんが夢中になっているのが分かる。これまで上手い役者さんは何人も見たことがあるけど負けてない。むしろ――」


「なに言ってるんだよ全然大したことないって。前に愛斗さんが主演してる舞台のDVDを観たことがあって、動きやセリフ回しはあれを真似しているだけだよ」


「真似……?」


 どこか思いつめたような表情だったアリスは驚いたように目を丸くする。


「こんな本番一発勝負の舞台で真似できるほど何度も見たの?」


「いや、一回だけ」


 凪人はあっけらかんと笑う。


「おれは演劇部のイザ神がどんなものか知らないし、自分でイメージを膨らませるのは苦手だから真似するしか能がないんだ。しょうもないだろ」


「なに言ってるの! すごいことだよ! 私も演技の練習しているけど、本職の役者さんですらどう演じたら製作者側のイメージする役になれるかで苦労するんだから。ふだんの自分を捨てて役に没頭するって……ほんとに、ほんとに大変なことなんだよ。表情だけじゃなく声音も仕草も癖も姿勢も全部リセットして上書きしなくちゃいけないんだから」


 制服のシャツに皺ができるほどの強さでしがみついてくる。

 潤んだターコイズの瞳が間近に迫る。


「ねぇ凪人くんてもしかして――」


「飯田ぁー!!!」


 突如タックルしてきた眼鏡の生徒に力強く首を抱かれた。

 感極まっているらしく鼻息が荒い。


「飯田、素晴らしい演技だったぞ。観客はみな息を殺して見入っていた。とうとう殻を破ったんだな! 部長兼舞台監督としてこんなに嬉しいことはない!」


 どうも、と応じるかわりにこくこくと頷いておく。

 劇中の声は聞いていただろうからニセモノだと分かってもおかしくはないのに、この部長兼舞台監督はなかなかに鈍い。


「ほら見ろ、評判を聞きつけて次から次へと客がやってきている。最初は四、五十人ほどしかいなかったのにすでに満杯。立ち見まで!」


 満杯と聞いた途端、びくん、と胃が震えた。


(ちょっと待て……体育館いっぱいって少なく見積もっても三百人以上じゃないか)


 それほど大勢の客が押しかけているとは思いもしなかった。

 急に胃液がせりあがってくる。


「……凪人くん」


 事態を察したアリスがぎゅっと手を握ってきた。

 その手を握り返すことでなんとか吐き気をこらえる。


 そんなこととは露知らず部長は満足そうに、


「うむうむ、勇者役たちもいつも以上にいい動きをしているな。おまえに触発されたのかもしれない。次の出番も頼むぞ」


 と肩を叩いてダッシュで離れていった。

 なんとも騒がしい相手だ。


 凪人は注意深く周りを確認してから小声で話しかけた。


「アリス、いまなら隙を見て出られそうだぞ」


「でも凪人くんはどうするの?」


「いまイザ神が抜けたら困るだろう。飯田ってやつが戻ってきたのならともかくとして、最後までやるよ」


 成り行きとはいえ、部外者である凪人がここにいる時点ですでに舞台を台無しにしていることは重々承知しているが、だからといってイザ神役を放棄したら部長や観客たちはどう思うだろう。それこそ台無しではないか。


「凪人くんが残るなら私も一緒にいる」


「でも」


「一蓮托生。なにかあったら芸能人パワーでごまかすから凪人くんも付き合ってね」


 そう言って身を乗り出すと凪人の顎を捉え軽くキスした。多少無理な姿勢ながらもアリスの熱い唇の感触が伝わってくる。


 だからこそ凪人も思い直した。


(やるしかない)


 こんな状況――しかも着ぐるみの中で嘔吐するなんてありえない。あってはいけない。たとえアリスがいいと言っても自分が許せない。

 嘔吐のことを忘れるくらい集中すればきっと最後までイザ神を演じきれる。


 そのためには。


「先に謝っておく。ごめんアリス」


「なに、どうしたの突然」


 凪人はどこか虚ろな目でアリスを見返した。

 森を焼かれて復讐に燃えるイザ神になりきるためだ。


「役に集中する。だからしばらく話しかけないでくれ」

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