76.文化祭騒動記(3)~モンスター~
12:35を過ぎるころには客足もまばらになってきた。
アリスと約束した時間まであとわずか。凪人はラストスパートをかけるべく立て続けに注文が入ったパフェの盛りつけにいそしんでいた。
「ねぇ見つかっちゃったみたいだよ」
福沢が肩を叩いてきた。「ほら」と目の前に示されたのはスマホの記事で『Aliceを母校の文化祭で発見!』と書かれ、変装した後ろ姿がアップされている。
「なっ……!」
驚きのあまり前のめりになる凪人。「近すぎ」と額を押さえられた。
「これAlice-Watcherっていう非公式のファンサイト。誰かがリークしたみたい」
「!」
「記事内に学校名は書いてないけどファン同士で情報交換して特定したっぽいよ。これはファンが押しかけてくるのも時間の問題かもね」
「!!」
「Aliceのファンってめちゃくちゃ怖いらしいよ。お姫様を守る親衛隊のごとく顔がいかつくて腕っぷしが強いんだって。……ってうわ、すんごい生クリームの塔」
動揺していたせいでパフェにはピサの斜塔のような生クリームができあがっていた。しかし凪人の気持ちは落ち着かない。
もしいまこの瞬間にもアリスが見つかってしまったらと想像すると――。
『凪人くん助けて』
涙目のアリスの顔が脳裏に浮かんだ。
「福沢、頼む! 休憩とらせてくれ――いや、とらせて下さい!」
土下座する勢いで頭を下げた。
先の騒ぎで遅れたため迷惑をかけたことは承知している。けれどアリスのことが気になってちっとも集中できない。福沢は呆れたように腕を組む。
「そうくると思った。凪人くんてほんとお人好しだよね」
「ごめん」
「そういう意味じゃなくて。要領のいい人はあれこれ言い訳して持ち場を離れて戻ってこないっていうのに、バカ正直だと呆れていただけ」
福沢はざっと周囲を見回して客の出入りや係の人数を確認してから凪人に向き直る。
「まぁ、けしかけたのはあたしだし。凪人くんのお陰で繁盛して材料も終わりそうだから休憩入っていいよ」
「本当か?」
「そのかわり片づけはちゃんと手伝ってよね。また電話するから」
「分かった。ありがとう!」
廊下は走ってはいけない。なのでできる限りの早歩きで人の合間を縫っていった。体育館に近づくにつれて人の密度が増加していく。13時から劇があるのだ。
爪先を伸ばして周りの人間たちを観察してみたがアリスが着けていたブロンドはない、ミルクティー色の髪もない。凪人は列を横に抜けて外に出た。裏口で落ち合う約束をしている。
(待ってろよアリス)
建物の角を勢いよく曲がったとき前方に数人の男子生徒の姿が見えた。険しい表情でこそこそと会話している。
「いたか?」
「いや見つからない」
「どこ行ったんだよ、さっきまで」
(もしかしてアリスを探しているのか?)
爪先に急ブレーキをかけた。追っかけファンだとしたら鉢合わせするのはまずい。きびすを返して逆方向に戻りながらアリスに電話をかける。
「くそっ、出ない」
コールはするが応答しない。もしかして別のファンに見つかってすでに――。
(なに変な想像してるんだ。そんなことあるわけないじゃないか!)
パニックになりそうな自分を叱咤しつつ体育館の裏口から中に入る。
劇の開演を前に浮足立つ演劇部の面々を横目にスロープ横のトイレを通り過ぎようとしたとき、
突然、
多機能トイレのドアが開いた。
中から飛び出してきたのは毛むくじゃらの
「うっ……わぁああ!!」
わけが分からないまま腕を掴まれ強引に中へと引きずり込まれる。
――ガチャン。と施錠する音が響いた。
「……ぎとくん、凪人くん、起きて」
聞き覚えのある声に恐る恐る目を開ける。一瞬意識が飛んでいたらしい。
目の前にいるのはゴ●ラのフォルムを想起させる全身毛むくじゃらの怪物だ。よくよく見れば赤い毛糸を張りつけた着ぐるみだと分かる。
「その声、アリス、なのか?」
こくんと頷き、重たそうに頭部を脱いだ。ミルクティー色の髪が広がる。
「ふぅー暑かった」
ずんぐりとした着ぐるみは華奢なアリスにはかなり大きいらしく、肩からずり落ちるほどだ。ともすればもう一人くらい入れるかもしれない。
「その格好どうしたんだ? もしかして身を隠すために?」
「待ち合わせの体育館裏に行ったら無造作に置いてあったの。凪人くんが置いたんだと思ったけど違うの?」
「まさか。こんなもの用意してないぞ」
「そっかぁー。急に周りがAliceAlice言うから気をきかせてくれたんだと思ったのに、これ着たら余計に追い回されるし大変だった……ふぅー」
随分と走り回ったのか肌が上気して汗ばんでいる。ピンク色に染まったアリスの頬は売れた果実のように瑞々しく、凪人は指先を伸ばして額に張りついている髪を払いのけてやった。
アリスは一瞬驚いた顔をしていたが凪人の手を掴んで鎖骨のあたりに触れさせる。
「感じるよ。凪人くんの手、すごく熱い」
「あぁアリスのこと探して走り回ったからな」
「ごめんね。私がなにも考えず
(アリス……)
うなだれる彼女の中には二人のアリスがいる。
後先考えず思ったまま行動する子どものアリスと、自分の行動を客観的に反省する大人のアリス。
どちらが良いとも悪いとも言えない。どちらも必要で、どちらも大切で、どちらも好きだ。
「ち、がう。違うんだ」
「えっ」
「アリスが会いに来てくれて、おれ、本当は嬉しくて、今だって大変なことになっているけどワクワクしている自分もいる」
毛むくじゃらの腰に手を回してぐいっと抱き寄せた。
「会いに来てくれてありがとう。アリスのこと、大好きだ」
「…………私も、好き」
毛むくじゃらの姿で甘えてくる。こんなシチュエーションも悪くはないか、などと呑気に考えていると扉がノックされた。
「すみません使いたんですけどー」
(やばい!)
この状態で見つかるのはまずいと焦る凪人。先に動いたのはアリスだ。
「私は平気だから凪人くんは行って!」
「だめだアリスを置いていくなんてできない!」
「お願いだから行って。大丈夫、きっと凪人くんの元に帰るから」
アリスは真剣だ。ターコイズの瞳には強い決意がにじんでいる。
けれど見捨てることはできない。ここから一歩出ればアリスは追い回される身だ。ファンに見つかればとんでもない騒ぎになるだろう。
(おれは大切な人ひとり守れないのか?)
アリスを騒動の渦中に残したまま悠々と文化祭を満喫するなんてできない。
ともに苦楽を乗り越えてこそ恋人ではないか。
「――――決めた」
凪人は大きく息を吐き、強い眼差しでアリスを見つめ返す。
「おれも入れてくれ」
トントン、再び扉がノックされる。相手は車いすの母親を連れた生徒だった。
「まだですかー? 早くしないと劇始まっちゃうのに」
待ちくたびれているとガチャンと鍵が解けた。扉の向こうからのっそりと現れたのは赤い怪物一体。
目を丸くするふたりをよそに怪物はのっしのっしと前に進んでいく。
その中身は。
「アリスごめん、足踏んでないか?」
「ううん平気。この着ぐるみ大きいから余裕だよ」
「それなら良かった。――にしても」
怪物の中には凪人とアリス。
凪人が前に立って手足を動かし、アリスは爪先立ちになって後ろからしがみついている状態だ。着ぐるみの足が大きく、アリスの手足が細いのでなんとか入れる。
「くっつきすぎじゃないか」
バランスをとるためと言いつつアリスは凪人の腰に腕をまわして抱きついている。いつも以上に距離が近く、アリスの体温がいやというほど伝わってきた。
「そう? 私は平気だよ。もっとくっついても」
「やめろよ。背中に、その、あたる……だろ」
「んー? なにが?」
「くそぅ」
今更ながらアリスはこういう人間だったと思い出す。人をからかってその反応を楽しむのだ。
(とにかく一刻も早くひと目につかないところに逃げ込んでアリスを解放しよう。残念だけど恋人の鐘は無理だ)
差し当たって思いついた職員室近くのトイレに向かっていると足音がし、数人の男子生徒たちが目の前に立ちふさがった。目の位置にあたる覗き穴から確認した姿は先ほど体育館裏で「アリスを探していた」生徒たちに違いない。
(まずい)
着ぐるみの動きは緩慢な上、取り囲まれたら逃げ場はない。絶体絶命のピンチだ。
彼らのうちのひとり、眼鏡の生徒が肩をいからせて近づいてくる。目があった瞬間、彼は大きく息を吸いこんだ。
「やっと見つけたぞ――――飯田!」
「飯田ってだれ?」とばかりにアリスと顔を見合わせる。
しかし相手はまったく意に介する様子なく凪人の手を掴んで連行していく。
「緊張しすぎて腹が痛いだと? 笑わせるな、それでも演劇部員か。一世一代の舞台で華々しく悪役を演じてみろ。おまえにならできるはずだ!」
頭の中に「???」が乱立する。明らかに勘違いをしているようだ。
「あのぅ……」
「いいか、おまえは森を壊された怒りで人間に復讐するイザ神なんだ。その怒りを観客にぶちまけてみせろ、爪痕を残すんだ、観客の心に」
なんだかよく分からないままイザ神について滾々と語られているうちにステージ裏に到着していた。あと三分で開演だという。
「いいか、最初が肝心だからな。例の決め台詞しっかりな」
まずい。こうなってはもはや逃げられない。
凪人は焦って手をばたばたを動かした。
「ん、なんだ? 台本が見たい? これが最後だぞ、ちゃんと覚えろよ。劇の最中にスマホで台本を見ていたら灯りが目立つからな」
気持ちが通じたのか台本の冊子が口の中に押し込まれる。着ぐるみの中は暗くて見えないのでアリスが後ろからスマホで照らしてくれた。
ざっと目を通したところによると凪人&アリス演じるイザ神は故郷の森を破壊されて人間を恨むボス役らしい。
(うわ、気持ち悪いほどの長台詞……)
中二病丸出しの恥ずかしいセリフが長々と羅列してある。立ち回りについても細かく指示されていた。
「ねぇどうするの?」
心配そうにアリスが問いかけてくる。
「こうなったらやるしかないだろ。飯田ってやつが現れない限りは」
「でもセリフだけでもかなりあるよ」
「平気だよ」
凪人はこともなげに答える。
「これくらいの量ならたぶん記憶できる。でも念のためアリスも覚えてくれ。おれが言葉に詰まっているようだったら後ろから教えてくれると助かる」
「それはいいけど……凪人くんてお芝居やったことあるの?」
沈黙がおりる。
台本を閉じた凪人はまるでなにかの儀式のように眼鏡を外した。まとう空気がかすかに変わる。
「――――まぁ、ほんの少しだけな」
その口元はかすかに
開演のブザーが鳴り、幕が上がる。
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