75.文化祭騒動記(2)~アリスを探せ~
「来てくれてありがとう。時間的に案内はできないけど楽しんでいってくれよな」
昼を前に喫茶が忙しくなるため自分が抜けるわけにはいかない。あと二時間も経てば休憩できるだろうがアリスを待たせるのも酷だ。
「今夜また電話する」
キスも抱きしめることもできないかわりに机の下でそっと手を握った。アリスも指を絡めてくる。
「そう、だよね。忙しいもんね」
うつむくアリス。
片手でくしゃりと握りしめたのはパンフレットだった。受付で配られるもので、校内のどこでどんな展示やイベントを開催しているかが記載されているのだが赤いペンで大きな○印がしてあるのが見えた。
「それは?」
「ううん、なんでもないの。エスプレッソごちそうさま。校内少し見てから帰るね」
そう言ってパンフレットを鞄にしまいこむとエスプレッソを飲み干して立ち上がる。茫然とする凪人を横目にさっさと教室を出て行ってしまった。呼び止める隙もない。
「黒瀬君ありがとう。話し込んでいたけど大丈夫だった?」
食器を下げつつ衝立の奥に戻ると接客係のクラスメイトが話しかけてきた。文句でも言われたのかと心配しているようだったので「喜んでたよ」とだけ返しておく。コーヒーを用意している福沢は無反応だがなにか察したようだ。
「なぁパンフレット持ってないか? 自分のは家に置いてきちゃったんだ」
「うんあるよ。見る?」
接客係から受け取ったパンフレットにざっと目を通す。凪人が注目したのはアリスが印をしていた部分だった。
(恋人の鐘?)
生徒会が屋上に用意した『恋人の鐘』をカップルで鳴らすと結婚ができると書いてある。昨年結婚した音楽の先生にあやかったイベントらしい。
(一緒に鳴らしたかったのかな)
たかが文化祭の一イベントでと思う反面、残念そうに立ち去ったアリスの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。パンフレットを手にするなり大きく○を描いた姿を想像するとじわじわと胸が痛む。
「十五分」
沈黙していた福沢が突然顔を寄せてきた。驚く凪人の目の前でさも不快そうに、けれど仕方なさそうに両手で十五と示す。
「喫茶の責任者として許可する。十五分なら休憩してもいいよ。行かなくちゃいけないところがあるんでしょう」
「いいのか?」
「ボサッとしないの。もうカウント始まってるんだけど」
とスマホのストップウォッチを示されたので急いでエプロンを外した。「悪い、戻ったらがんばって働くから」と言い残して教室を飛び出す。背後から「いいの?」「いいんじゃない。ちょっとくらい」という会話が聞こえてきた。本当にありがたい。
(アリスはどこにいるんだろう)
まだ遠くには行っていないはずだが近くにそれらしい人影はない。仕方なくスマホを鳴らすことにした。
(おかしいな、出ない)
二十回近くコールしているのに応答しない。なにかあったのかと不安になっていると、
『――し、もしもし』
突然声が聞こえてきた。周囲に人がいないことを確認して声をひそめる。
「アリスか? いまどこに」
『助けて』
切羽詰まった声にスマホを取り落しそうになる。
「助けてって、一体どうしたんだ」
『閉じ込められたの』
「だれに」
『分かんない。四階の展示を見ようとしたらアリスって聞こえて、咄嗟に近くのロッカーに逃げ込んだの。中は空っぽで助かったけど急に鍵が――あっ』
ガタン、と乱暴な音が響いた。
「アリス? どうしたアリス!?」
ぶつりと通話が切れる。再度コールしてもつながらない。
なにかアクシデントがあったのだろうか。「行かなければ」という衝動に突き動かされて自然と足が速くなっていた。
(待ってろよアリス)
一段跳びで階段を駆け上がって四階へ。
ここでは一年生の教室が一組から六組まで並び、それぞれテーマに沿った展示をしている。ロッカーは教室内に人数分あるのでざっと計算すると六組×40個となる。アリスが閉じ込められたことはだれにも気づかれていないらしく、廊下を往復して各教室の様子を探ってみたがそれらしい騒ぎは起きていない。
(アリスはどのクラスに入ったんだ? それさえ分かれば)
先ほどのパンフレットを思い出しながら廊下をもう一往復した。
一組:ミニチュアを用いた町の歴史紹介
二組:巨大パネルを見比べての間違い探し
三組:段ボールの迷路
四組:プラネタリウム
五組:四季折々の写真展
六組:童話・絵本の世界
もし自分が「アリス」だったなら――と考えて真っ先に向かったのは昨年過ごした一組の教室だった。机や椅子は片づけられ、人工衛星から撮影した街の風景がミニチュアで再現されている。
「ねぇ昨日のCM観た、第二弾の。レイジちょーカッコいいんだけど」
「この前雑誌にインタビュー載ってたよ。俳優を目指してて斉藤マナトを尊敬しているんだって」
暇を持て余しているのだろうか、黒板の前で女子生徒数人がスナック菓子を食べながらお喋りしている。教室に入った凪人をちらっと見たもののすぐ興味を失ったようだ。
(あ、うちの店がある)
ミニチュアの中にマッチ箱くらいの大きさで「黒猫カフェ」と書かれた店がある。めちゃくちゃ可愛い。思わずスマホで撮影しようとして我に返る。
(ごめんアリス。ひとりで楽しみそうだった)
改めてロッカーを確認する。アリスは「近くのロッカー」と言っていた。果たして慌てているときに自分が使っていたロッカーにピンポイントで入るだろうか。
念のため自分とアリスが使っていたロッカー二つを開けようとしたが鍵がかかっていた。ノックしても返事がない。
周りのいくつかも同じようにノックして中を覗いていると「なにあれ」とばかりに背後から視線を感じたので素知らぬ顔をして教室を出た。
(教室内はミニチュアばかりで視覚を遮る障害物はない。となると黒板前にいた子たちがロッカーに隠れたアリスやおれとの話し声に気づかないはずはない。スナック菓子は半分以上終わっていたから相当前からいたはずだし)
となると一組である可能性は低い。
(もし最初にここを見たのなら、順に隣のクラスを見ていくよな)
吸い寄せられるように隣の二組へと入る。一枚に数百人の人間が描かれたイラストがあり、隣にそっくりのパネルが置いてある。この中には間違いが十個あり、すべてを見つけて係に申し出ると粗品をもらえるそうだ。入口で紙を渡されたのでなんとはなしに参加してみた。
(この女の子の服装だろ、あとこの子の髪の長さ、靴の色……そういえばアリスはどうして「見つかった」んだろう)
完璧とは言えないが一目では分からないほどの変装をしていた。よほど注意して見なければアリスとは分からないだろう。けれどいくら目立つからといって外国人の顔を注視する生徒はさほど多くないはず。となればパッと見てアリスだと分かる「なにか」があった可能性が高い。
(たとえば――!)
凪人は教室を飛び出した。十個の間違いに○をつけた紙を残して。
「ここか!?」
飛び込んだのはプラネタリウムを行っている四組だ。
カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中央に水を張った桶があり、中に浮かぶ機械から光が出て部屋中に星空が映し出されている。
アリスはサングラスをしていた。この暗がりの中では見づらいので外したに違いない。そこをだれかに見られて――。
凪人は早速ロッカーを探した。が、雰囲気を出すためなのか暗幕によって覆われている。念のためスマホを鳴らしてみるがどこかで鳴っている気配はない。
よく考えれば咄嗟に身を隠すのなら暗幕の向こうに行けばいいだけで、その上わざわざロッカーの中に潜む必要はない。
思いきって近くにいた生徒に「なにか気になることがなかったか」と聞いてみたがこれといった反応は返ってこなかった。
(ここもハズレか)
なかなかスムーズにいかない。
こうしている間にもアリスが不安な思いをしていることを想像すると、いっそのこと教師に申し出て一斉捜索してもらった方がいいかもしれないと考えてしまう。
――と、ピリリとスマホが鳴った。凪人はすぐ耳元に押し当てる。
「アリスか!?」
『――福沢です。すみませんねぇ』
地の底から響いてくるような声だ。
「福沢……あ、うわ、ごめん。とっくに十五分過ぎてるよな。本当にごめん。アリスが見つからなくて。どこかのロッカーに閉じ込められているみたいなんだ」
そう前置きして事情を説明すると福沢は真剣に耳を傾けてくれた。
『ふぅん、そっちも大変なんだね。こっちも人が来すぎててんてこ舞いだけど。あ、これ別に責めてるわけじゃないからね』
「ほんとごめん。アリスを見つけたらすぐ向かうから」
『でも変だよね。喫茶に来る人たちだれも話題にしてないよ。モデルのAliceが来たって』
たしかにそうだ。
一組の生徒たちも三組の生徒も「Alice」のことは一言も話題にしていなかった。二、三年生であれば終業式に写真を撮ったのでそれほど騒がないかもしれないが、一年生が売れっ子モデルのAliceを見て黙っていられるだろうか。
(じゃあアリスが聞いた「アリス」って一体――――あ!)
ピンと閃いた。
「福沢のお陰で分かったよ。ありがとう」
『ん? あぁそう、良かったね』
電話を切って走り出す。向かう先は――。
「アリス、お待たせ」
ガチャガチャと乱暴に鍵が解かれた。狭いロッカーの中で身動きとれなくなっていたアリスはゆっくり開かれる扉の向こうに彼の姿を見る。
「なぎと……くん、私……」
「し、静かに。ゆっくり出てくるんだ。いま周りにだれもいないから」
差し伸べられた手をとり、おぼつかない足取りでロッカーを出るアリス。通話中足元に落としてしまったスマホが転がり出てきた。
ここは五組。生徒たちが撮影した写真がパネルで展示がされている。
「どうして分かったの? 私スマホ落としちゃって、ロッカーの中じゃ身動きとれなかったのに」
「うん。アリス、って言われたんだろう。それ隣の六組でやっている童話・絵本の展示の中にある『不思議の国のアリス』のことじゃないかと思ったんだ」
つまりこういうことだ。
プラネタリウムでサングラスを外して廊下に出たときに「アリス」と聞こえて驚いたアリスが飛び込んだのは間にある五組。昼前で人が少なく、かつ展示用のパネルが並んでいたので視覚も遮られる状態だった。しかし足元が見える形状のパネルであったため、目立つヒールを履いていたアリスは急ぎロッカーへと隠れたのだ。
「で、スマホを鳴らしてみたら振動音が聞こえたからこのロッカーを開けたってわけ。鍵が壊れているらしくて、付箋で小さく使用禁止って書いてあったよ。だから中が空だったんだ」
「……」
凪人の謎解きを聞いたアリスは涙目のまま体を寄せてきた。
「こわかった」
「遅くなってごめんな」
震える背中をそっと撫でてやる。
「凪人くんに会えないままミイラになっちゃうんだと思って、すごく、怖かった」
「ばかだなぁ、ここは学校だぜ。必死にロッカーを叩けばだれかが見つけてくれるのに」
「うん、でも来てくれるって信じてたんだ。きっと、凪人くんならって」
甘えるように顔を寄せてくるのでぽんぽんと頭を撫でてやった。ずれてしまったブロンドのウィッグをついでに直してやる。
「大丈夫だ。アリスになにがあってもおれが必ず――――……あっ! お腹痛いんでしたらトイレはあっちですよ!」
凪人は突如アリスを引き離して回れ右をさせた。何事かと振り返るアリスの目には、五組の展示を見に来ていた数人の生徒たちの驚き顔が映る。
凪人は背中を押しながら耳元にささやく。
「はやく、気づかれる前に。一時間……いや四十分だけ待てるか? 体育館裏で合流しよう」
「え、でも」
「福沢に頼んで休憩もらってくる。恋人の鐘鳴らすんだろう。おれもアリスと鳴らしたい」
「分かった、じゃあとで。――Je vais au toilettes!(トイレ行きます!)」
強く頷いたアリスはいかにも外国人らしくフランス語で叫びながらヒールを鳴らして駆けていった。今更ながら気づいたのだが、あれだけ目立つ格好をしていたのだから一年生たちに聞けばすぐクラスを特定できたかもしれない。
(それでもおれが見つけたかったんだ。おれが見つけてやりたかった。もっと冷静にならなくちゃいけないのに、ダメだなおれ)
もし緊急を要するようなら今回のように悠長なことはしていられない。
来島への対抗心もほどほどにしなければ。
すでにアリスの姿は四階からは消えている。このまま気づかれずに体育館裏に行ってくれるといいのだが。
(……なんだろう、イヤな予感がする)
この文化祭、まだまだ簡単には終わりそうにない――。
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