13.文化祭騒動記

74.文化祭騒動記(1)~嫉妬~

『でーすーかーら、わたくしも最近まで知らされていなかったんですよ。小山内レイジの別人がMareに所属していたなんて』


 電話口の葉山は不満そうに声を荒げた。



 ――六月。

 三毛猫フーズの新CMはテレビや動画配信チャンネルで流れるようになった。


 モチーフはアンデルセンの童話:人魚姫。海で生まれ育った人魚姫が海水浴に来ていた男子高校生に一目惚れし、人間になって会いに行くというストーリーである。


 人魚姫はアリス。CGによる人魚姿がテレビ画面に現れたときは思わず凪人も身を乗り出してしまった。生来のミルクティー色の髪とターコイズの瞳が脳内でイメージしていた人魚姫そのままだったからだ。

 アリスが恋する相手は小山内レイジこと来島である。ある子どもが大切にしていた浮き輪が沖に流されてしまい、それを取り戻すため泳いできた来島と、可愛らしい浮き輪を見つけてはしゃぐアリスとが出会う。

 彼のことが忘れられないアリスは魔法で人間の姿になり街へと向かうのだ。偶然にも彼を見つけるが緊張から上手く言葉が出てこない(この辺りの設定は童話とは違う)。


『どうして恋をすると喉が渇くんだろう』


 そんなキャッチコピーで炭酸飲料水を紹介しつつ、ふたりは急接近していく。ラストシーンはアリスが教室でうたた寝している来島にそっと口づけしようとし、相手がパッと目を開けたところで切れる。


 このCMのはまたたく間に話題となり、ロングバージョンのCMの再生回数はわずか数日で100万回を突破。CMの第二弾が今か今かと待ち望まれている。


 凪人としては、正直、面白くないのだが。



「葉山さんはあいつ……もう一人の小山内レイジのマネージャーではないんですか?」


『違います。今年ヘッドハンティングされた非常に優秀で愛想が良くてずる賢くて腹の立つ男性がマネージャーです。わたくしはいま全ての担当を外されて書類係として忙しくしていますよ、忙しくね』


「葉山さんも大変なんですね」


『ほんとですよ。事務所あてにかかってきた電話片っ端からとってるんですから』


 閉店直後に店に電話をかけてきたので何事かと思ったら単に愚痴を言いたいだけらしい。けれど納得しかねているのは凪人も同じで、つい長話に耳を傾けてしまった。


 言うまでもなく『小山内レイジ』の芸名や関係する権利はMareに帰属している。それを事務所がどう行使しようと一般人である凪人にはどうすることもできない。顔が似ているだけの別人が名乗ろうと自由なのだ。

 凪人にできることはせいぜい「アイツは偽者だ」とネット上で暴露することくらいだが、ただの嫌がらせにしかならない。巡り巡って自分だけでなくこの店に迷惑がかかるかも知れず、リスクが大きい。


『わたくしが思うに、彼がここまで注目されているのは他ならぬ凪人くんの行動が大きいと思いますよ。ほら視聴者って謎が好きじゃないですか。『黒猫探偵レイジ』で抜群の知名度がありながらこの六年は消息不明、昨年ドラマで突然復帰を果たしたものの顔は不鮮明……そんな『小山内レイジ』がCMに登場、しかもかなりの好青年とあったら食いつかないはずないでしょう』


 好青年かどうかはともかくとして、CM内の来島はいつも笑顔でたくさんの友人たちに囲まれるキャラとして描かれている。本人を知っているだけに補正しすぎでは、と不満だ。


「事務所内ではおれとあいつが別人だってことは認識されているんですよね?」


『当然でしょう。だからこそ元マネのわたくしを閑職に追い込んだに違いありません。常に監視の目を光らせているのでいまもトイレの中からかけているんですよ』


(どうりで反響すると思った)


 凪人と来島は現実リアルでも間違えられるほど似ている。CMという加工が容易な世界であれば視聴者を騙すことは簡単だ。事務所にとってはネームバリューが金につながればそれで良いのだろう。


 アリスが注目されることは嬉しいが、一方で、歯がゆい。


「あ……そうだ、教えてほしいことがあるんです。おれが演じる前に黒猫探偵って放送されていたんでしょうか?」


『前ですか?』


「時期は分からないんですが三年も四年も前ではないと思うんです。心当たりがあれば教えてください」


 当初から小山内レイジについて聞くのなら葉山が適任だと分かっていたが、むかしのことがあって凪人は彼女のことが大の苦手だった。できれば関わりたくない。


 しかし先日愛斗から「ちょっと時間かかる」と連絡が入った。聞けば映画のロケが長引いているらしい。

 多忙な俳優を巻き込んだことを反省していた矢先に葉山の愚痴電話である。情報が多いに越したことはない。


「……というわけなんです」


 細かいことはさておき、来島怜史と面識があること、店を訪れた来島がが凪人が出演していたものとは別のドラマについて話していたことを説明した。

 電話口の葉山はしばらく「うーん」と唸っている。


『すぐには浮かびませんが調べてみれば分かるかも知れません。わたくしもさすがに何百人といる所属タレント全員は把握していませんから、彼が以前もMareに所属していたのなら出演作として記録があるかも。資料をあたってみますよ』


「すみません、ちょっと気になってて」


『いいんですよヒマですから。惜しいですね、これを貸しとしてドラマや映画に出て欲しかったんですけど』


 やはり事務仕事はヒマらしい。性格上強がらざるをえなかったことを思うと少し同情してしまう。


「葉山さんは本当に仕事が好きなんですね。おれに対してもなにかあればドラマ、CM、映画って、そればかり」


『当たり前じゃないですか。わたくしは一番のファンなんですよ。凪人くんの圧倒的なまでの演技が見たいんです。いまの小山内レイジは素人に毛が生えただけのようなぎこちなさがあって、正直、名前を汚されるのがイヤなんです』


「……」


 凪人自身、芸能活動を再開しようとは微塵も考えていない。いまの生活に満足している。


 けれど葉山が求めるのはいつだって凪人が演じる『小山内レイジ』だ。

 職業柄仕方ないと分かっていても遠回しに自分や自分の人生を否定されているような気がして、だから苦手なのだ。




 電話を終えてから自宅のリビングに向かうと母が夕飯の支度をしていた。BGMがわりにテレビをつけておくのが常で、例によってアリスと来島のCMが流れている。


『――ねぇ、どこにいるの』


 脚を得たばかりの人魚姫は砂浜を一歩進むごとに激痛に苛まれる。たどたどしい足取りで痛みをこらえながらも意中の相手を探すアリスはとてもキレイで、同時に胸が痛くなる。


(最近ろくに話せてないな)


 仕事のオファーがひっきりなしに入るらしく、毎晩のように違う場所にいるアリスとは電話のやりとりもままならない。もちろん会えてもいない。


『会いたいの。話したいの。私を知ってほしい。この喉の渇きを癒したい』


 テレビを通してこうして姿を見、声を聴いているとどうしようもない淋しさがこみあげてくる。彼を求める人魚姫の心が移ったみたいに。


(おれも会いたい)


 不安そうなアリスの元にいますぐ駆けていって、この腕の中にぎゅっと、抱きしめたい。



『きみ、もしかして海で会っ……』


 来島の顔が映った瞬間、即テレビを消した。同じ顔とは言っても別人だ。そんな相手が(演出上とは言え)アリスと仲睦まじくしているなんて――。


「ちょっとぉ、テレビ観てたのにー」


 母の隣に立ち、無言かつ猛烈な速さでキャベツの千切りを始める凪人。

 不満そうに唇を尖らせる母の足元でクロ子が『ヤキモチねー』と鳴く。



 ※



「いらっしゃいませー、こちら白猫喫茶でございます。本物の店員が作るスイーツをご賞味くださーい」


 六月中旬。文化祭当日。

 家庭科室を利用した白猫喫茶はおおいに賑わっていた。


「プリンアラモードひとつ」

「こっちはコーヒーふたつね」

「パフェお願いします」


 衝立の奥で調理を担当していた凪人の元には次々と注文が入ってくる。

 調理の邪魔だからと猫耳は外させてもらったが、尻尾はエプロンにマジックテープで固定されてしまったので外せない。人前に出るわけではないので我慢することにした。


「いやすごいね、どんどんお客さん来るよ。やっぱり本物の店員っていう呼び文句がいいのかな」


 隣で既製品のプリンを皿に出しながら福沢が嬉しそうに話しかけてきた。


「福沢だって本物だろ?」


「あたしはまだ入って半年のアルバイト。凪人くんの熟練の生クリーム絞りには勝てないよ。――はいプリンアラモードできましたよー」


 福沢は謙遜するが、サクランボやイチゴで縁取られたプリンは十分目を引く。盛りつけや細工が丁寧だからだ。飾り包丁を自宅でも練習していると言っていた。


「きっと将来は立派な店員になれるな」


「なに? いいお嫁さんになれるって?」


「それだけ器用ならパティシエにもなれるよ」


「ちょっとスルーしないでよー」


 などと笑いあっていると接客係のクラスメイトが困り顔で駆けこんできた。


「ねぇいまさ、外国人ぽいお客さんから注文が入ったんだけど濃いエスプレッソが飲みたいっていうの」


 凪人と福沢は顔を見合わせた。


「文化祭の喫茶だもん、安物のドリップコーヒーとインスタントしか用意してないよ。断っちゃえば?」


「向こう片言の日本語だから伝わるか分からないじゃん。それになんだか怖いんだもん」


 どんな相手かと思って衝立の隙間からこっそり覗いてみると奥のテーブルに一目でそれと分かる客がいた。

 肩にかかるブロンドヘアーの癖は強く、着ている服はヴィンテージっぽいジャケットにミニスカート。真っ赤なハイヒールを履いている。黒々としたサングラスが表情を隠しているためクラスメイトが怖いというのも理解できる。


「いいよ、おれが対応する」


 凪人が手にしたのは普通のインスタントコーヒーだ。びっくりする福沢たちの前で60℃に冷ましたお湯をゆっくりと注いでいく。クレマがたって香ばしいにおいが広がったところで客の元へと運んで行った。


「お待たせいたしました。『なんちゃってエスプレッソ』でございます」


 客はちらりと視線を向けたが黙ってコーヒーに手をつける。

 一口飲んで、一言。


「おいしい」


 凪人は接客用のスマイルを浮かべる。


「低めの温度で丁寧に煎れました。お気に召したようで幸いです。――――そうだろ、アリス」


「え、もうバレたの?」


 サングラスの下で大きな瞳が瞬きした。先ほどまでの怖そうな外国人から一瞬にして雰囲気が変わる。いつものアリスだ。

 凪人は机の上を布巾で拭くふりをしながら囁きかける。


「どんなに髪型や服装をごまかしたって姿勢や癖は簡単には直せない。ちょっと見ていれば分かるに決まってるだろ」


「そっか、彼女だもんね」


「まぁそうだけど……あれほど来るなって言ったのに」


「ごめん。『たまたま』『偶然』『奇跡的』に休みだったから来ちゃったの。尻尾似合ってるよ、猫耳もつければいいのに」


「余計なお世話だ」


 ついいつもの調子で反論しながらも本音では会いたくてたまらなかった。

 気を抜くと顔がニヤけてしまいそうになる。他の生徒や客たちにバレないようこらえるのに必死だった。

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