12.謎

71.俳優Mは推理ができない

 斉藤マナトこと愛斗はいまをときめく俳優である。


 二十一歳。身長は191センチ。端正な顔つきにアメフトで鍛えた男らしい筋肉、突き出た喉仏、キリリとした眉、八頭身ならではの腰の高さにファッションセンスの良さ、スポーツ万能なだけでなく帰国子女のため日本語以上に英語が得意だ。

 一方で人懐こい笑顔と紳士な態度に魅せられ芸能界にも隠れファンが多いという。

 しかしひとたびカメラの前に立てば役に入り込み、ベテランの役者をも呑み込む気迫で視聴率を3%以上押し上げる。


 そんな愛斗は――


「凪人、キャラメルマキアートのおかわり。バナナヨーグルトパフェも追加。あ、カードで」


 大の甘党で黒猫カフェの常連(上得意)である。


「はい、キャラメルマキアートお待たせしました。ホットでいいんですよね」


 この日仕事を終えた愛斗は六時半過ぎに黒猫カフェを訪れた。店は閉まっているが愛斗は母から与えられた特権でいつでも好きなときに出入りしていいことになっている。

 肝心の母は町内会の集まりで不在のため凪人はひとりで愛斗の接客をしている。


「ありがとう。五月になって暖かい日も増えたけど冷たいパフェにはあったかい飲み物が合うんだ。今日なんて海で撮影があったから余計にな」


 一口飲んだ愛斗はビールさながらに「あーうまい」とご満悦。唇についた生クリームをぺろりと舐めとった。そんな仕草ひとつにしてもサマになってしまうから俳優というやつは。


「それで、さっき言ってた生島がなんだって?」


「来島ですよ。来島怜史。おれと似た顔をしたアリスの同級生で数日前に遭遇したんです。――はい、パフェどうぞ」


「サンキュ。この芸術的な盛り方がいいんだよな」


 重力に逆らうような生クリームの塔をひと匙すくって口に含む。「んまい」とふたたび笑顔になった。甘い飲み物に激甘スイーツ。俳優の味覚は一体どうなっているのか。


「来島に関していくつか気になることがあるんです」


 今日愛斗が店を訪れたのは偶然だったが凪人にとっては願ってもないチャンスだった。小山内レイジの秘密を知っている愛斗には気兼ねなく話ができる。


 簡単に説明したのはこういうことだ。

・アリスに対して「小山内レイジ」を名乗ったこと。

・なぜか凪人のフルネームと店のことを知っていたこと。

・初対面にして「大事なものを全部奪ってやる」と脅されたこと。


「おれが帰ったとき母は『黒猫探偵レイジ』のDVDを流したまま気持ちよさそうに眠っていました。来島と会話した印象はどちらかと言えば好感触で、お昼としてオムライスを出してやったらすごく喜んでいたとか」


「ふぅん。随分な対応のちがいだな」


 事情を聞いている間も愛斗のスプーンは驚くべき早さでパフェを掘り進めていく。

 上から順にではなく縦に食べ進める食べ方をするのでパフェの絶壁が見えている。すでに半分ほどが胃袋に消えていた。


「それにしても桃子さんが店で――仮にも客の前で眠りこけるって珍しいな」


 探偵役も経験している愛斗は考え事をするときにぐっと眉根を寄せる。そうすると「画」になるのだとか。


「考えられるのは睡眠薬を入れて眠らせてからの家探しか盗聴器の設置だな。荒らされた形跡はなかったのか?」


「おれも心配になって確認しましたけど店の金品も自宅内もこれといって物がなくなったり動かされたりした気配はありませんでした。なにも触らずに見て回っただけなら分かりませんけどね、監視カメラがあるわけでもないし」


「じゃあ指紋鑑定で痕跡をたどろう」


「いやいや、実害がないのに警察が動くわけないでしょう。ドラマの観すぎ――いや演じすぎですよ」


 こうして話していても映画やドラマやCMに出ずっぱりの愛斗が目の前で生クリームを美味しそうに頬張っているのはとても不思議な光景だ。


「んーこれは俺の場合だけど、自分にそっくりの人間が近くにいるとしたら一度は見てみたいと思う。SNSを駆使すれば名前や住所も判明するだろう。無理やりだけどこれでひとつは解決する。だがどうして『小山内レイジ』を名乗ったのか、どうして凪人に敵意を向けたのか……そこらへんはまったく分からないな。自慢じゃないけど推理は得意じゃないんだ、ミステリー系のドラマに出ても最後まで犯人が分からない」


 愛斗なりに必死に考えてくれるが、辿り着いた結論は凪人と同じものだった。


「あの、『黒猫探偵レイジ』の九話を覚えていますか? 黒ずくめの客と放火魔の事件なんですけど」


「もちろん。DVDを何度も見返しているからな。黒ずくめの客は放火魔とはまったく無関係で、全身に疱疹ができて人目を気にする女性だった。いくつかの事件を解決して慢心していたレイジは彼女を犯人だと思い込み、まっくろ太の忠告もきかず追跡・張り込み・糾弾までした。そこでまっくろ太に猫ぱんちを食らう。『おまえの目玉はどこについてるにゃ、もっと周りをよく見ろ』――ってな」


 そこでレイジが冷静になって客観的に証拠を見てみると彼女が犯人でない証明が次々と見つかった。同じころ本当の放火魔の手が母の店に伸びていて、あと一歩遅ければ母もろとも火に包まれてしまうところだった。


「で、懇意にしている刑事が先に犯人に気づいて確保してくれるんだよな。お陰で母親も店も被害を免れる。レイジはまっくろ太に感謝を告げ、思い込みで捜査してしまった自分を反省するんだ」


「……やっぱりですよね」


 凪人の声音はどこか暗い。

 どういう意味かと怪訝そうな愛斗の前で続きを話す。


「店を訪れた来島が母に語って聞かせたところによると、黒ずくめの人物の正体は女性ではなくて――なんと行方不明だった父親なんです」


「……ハァ?」


 スプーンからぽとりとアイスが溶け落ちた。愛斗は空いた口がふさがらない。


「父親は自分をつけ狙う悪の組織から家族を守るため行方をくらましていたんですが、悪の組織の人間が放火魔の仕業に見せかけようと店を狙っていると知りひそかに訪れていたんです。母親は飲み方の癖で気づいていて、レイジも最後には正体を知って涙ぐみます。そして物語は組織との最終決戦へ――」


「待て待て待て! そんなことしたらドラマが終わってしまうじゃないか!」


 異議をとなえるのは当然だ。

 ドラマは300話まで続いているのだから。


「おれも改めてDVDを見直したんです。九話は愛斗さんが言ったとおりでした。父親は登場しません」


「だろうな。来島が勘違いしていたんじゃないか?」


「勘違い……自分の創造を語ってきかせたっていうのもなんだか不思議な話ですよね。そのあと母と一緒にDVDで九話を観たそうですが次第に言葉少なになり、最後にぽつりと『そういうことか』と呟いたきり黙り込んでしまったそうです」


 同じドラマで別々の話が存在するわけがない。

 だが来島の態度がどうにも気にかかる。


「福沢が似たようなことを言っていたんです。レイジの顔が違う、と。来島ひとりの妄言ならいいんですが福沢の思い違いだと切り捨てるのは躊躇いがあります。正直おれもワケが分からないですよ。――ただ、」


「ただ?」


「はっきり言って問題はそこではないんです。小山内レイジを名乗るおれ似の別人がアリスの側にいることのほうがよっぽど問題です。なんかこう、落ち着かない」


「ははん、そういうことか」


 肩をすくめた愛斗は最後のひと匙を口に含んだ。


「なんですか」


「いや、凪人もだいぶ人間臭くなってきたと思ってさ」


「失礼な言い方しますね。おれは最初から人間ですよ」


「これでも褒めてるんだ」


 愛斗は空になったパフェの容器を端によせた。

 まるで探偵が「謎はすべて解けた」とドヤ顔するようである。


「なぁ凪人。俺に頼みたいことがあるんじゃないか」


 はっとして顔を見返す凪人ににんまりと微笑んで見せる。頬杖をついた愛斗は年上の余裕とばかりに目を細めた。


「アリスのことが一番だろうが、ケンカを吹っかけられた立場としては来島のことが気になって仕方ないんだろう。しかし問題はかなり複雑そうだ。一般人である凪人では調べられないことも芸能界にコネのある俺なら関係者に当たれる。ちがうか?」


「でもこのことは愛斗さんには――」


「ひどいな。ここまで話しておいて関係ないって言うのか? 友人のためになにかしたいと思うのは当然だろう。もちろん気を利かせて調べてやってもいいが、恋愛じゃなくても片想いはいやなんだ。頑張って調べたのに『そんなことしなくていいのに』って言われたら悲しくなる」


 来島の言うことが事実だという証拠はない。

 しかしウソと断じるにはどこか不安が残る。


 こういうときこそ冷静にならなくてはいけない。

 まっくろ太が言っていたではないか。


 『おまえの目玉はどこについてるにゃ、もっと周りをよく見ろ』と。


 周りとはつまり正確な情報だ。

 私情を交えず客観的な証拠を積み重ねなくてはいけない。


「本当に、お願いしてもいいんですか」


「もちろん。ただし100%の回答は期待しないでほしい。俺にも付き合いがあるから」


「分かりました。それを承知で改めてお願いします。『黒猫探偵レイジ』のもうひとつのシナリオ、そしてもうひとりの小山内レイジのことを調べてください」


「了解した。そのかわり」


 これ見よがしに目の前に置かれたのは空のマグカップだ。凪人はすぐに察する。

 甘いものを飽きるほど飲んだ後にビターなカフェモカ→エスプレッソ→ブラックコーヒーで締めるのが愛斗のルーティンなのだ。


「次はカフェモカですね。もちろんサービスしますよ」


「やりぃ。ここのところ食べ過ぎだってマネージャーに窘められていたんだ」


 子どものように手を叩く愛斗は友人というより頼りになる兄のようだった。


(向こうのことは愛斗さんにお願いするとして、おれは――)


 来島のことを考えると気分が重くなる。

 これまで生きてきてあれほど強い敵意を向けられたのは初めてだ。そんな相手の近くにアリスがいると思うだけでそら寒い。


 時刻は七時過ぎ。アリスは今日仕事だと言っていたがそろそろ終わるころだろう。

 ポケットからスマホを取り出してメールを打つ。まだフリック入力に慣れないため一文字ずつ苦心して入力した。


 仕事やゴールデンウィークを挟んだこともあり先週のあの日以降アリスと来島は一度も顔を合わせていないそうだが明日は通常の登校日だ。なにがあるか分からない。


『もしよければ明日一緒に下校しないか? 迎えに行くよ』


 送信。

 ものの三秒後。


『するー♡♡♡』


 とレスポンスがきた。早すぎる。

 本当なら毎日でも一緒に登下校したいところだが無理をするとまた嘔吐してしまうかもしれない。

 アリスはダメなところも含めて自分を好きだといってくれた。だからこそ無理強いしてこないのだ。


『ありがとう。どこで待ち合わせしようか?』


 メールを打ちながらも自然と指先に力がこもった。


(来島のヤツおれの大事なものを奪うとか言っていたけど、アリスに変なことしたら許さないからな!)


 ――すまないまっくろ太。

 とてもではないが冷静な判断はできそうにない。


 お気に入りのクッションの上で丸くなっていたクロ子が『凪人は嫉妬深いわねー』とばかりに大あくびした。

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