11.どきどきのデート

66.木を隠すなら森の中デート

「こっちだ」


 背伸びして手を振ると、駅の改札をすり抜けて小柄な人影が駆け寄ってきた。真っ黒な三つ編みのウィッグを着けつば広の麦わら帽子で顔を隠したアリスである。


「へへ、遅くなってごめんね」


 淡いピンク色のワンピースにデニムのジャケットを着て、かごバッグを提げている。念には念を入れて黒縁の眼鏡をつけているためパッと見ただけではモデルのAliceとは分からないだろう。


「大丈夫。おれもついさっき着いたとこだよ」


「あ、そのセリフ!」


 もったいぶったアリスは軽やかに腕を絡めてきた。


「デートの待ち合わせで一度は言われてみたかったセリフだー」


「なんだよそれ」


 苦笑いしつつも並んで歩き出す。



 四月のとある日曜日。

 凪人とアリスはとある場所で待ち合わせしていた。

 念願のデートである。


「それにしても新宿駅に集合だなんて随分と思いきったね」


 アリスは今更のように周囲を見回す。

 何千、何万という人間が絶えず行き交う駅構内。日本人はもとよりスーツケースを引きずった外国人観光客も目立つ。


「いろんな国籍の人がいるし、ここならデートしても目立たないってこと?」


 クォーターであるアリスの顔立ちも旅行客の中に混じってしまえばそれほど目立つことはない。木を隠すなら森の中、というわけだ。


 しかし凪人はあっさりと首を振る。


「いや目的地はここじゃないよ」


「じゃあどこ?」


「まだ秘密。こっちだ」


 そう告げてアリスの手をとるとスピードを上げた。


 今日はデート。カップルであるふたりはだれに遠慮することもなく手をつないでいい。


 そう自覚した途端アリスはドキドキしてきた。

 彼に一目惚れした当初はこんな日が訪れるとは夢にも思わなかったからだ。


 背が伸びた凪人は人混みをかき分けて前へ前へと進む。それでもアリスを置き去りにするほどのハイペースではない。自分がちゃんとついてきていることを視界の端でちらちらと確認しながらも足取りはしっかりとして力強い。


 アリスの位置からは彼のおおきな背中が見える。肩、肩甲骨、たくましい腕。これだけで既に絶景スポットだ。


 つないだ指先が熱い。


 ずっとこのままでもいいと思ってしまうくらい幸せな気持ちだった。


「よし着いたぞ。あれが目印」


 ぴたりと足が止まったのは西口だ。頭上で揺れるフラッグを見てアリスはようやく目的地を察した。




『ハイ皆様こんにちは。本日は○×観光の『極楽!極上!桜めぐりツアーin信州』にご乗車いただきありがとうございます!』


 ツアーガイドの挨拶を受け車内は盛大な拍手に包まれた。

 前から三列目の座席に腰掛けていたアリスは驚きのあまり何度も隣の凪人を見つめ返す。


「日帰りの、バスツアー、なの?」


 戸惑うのも無理はない。ふたりの初デートはなにを隠そうバスツアーである。

 あまりにも予想外すぎて思考が追いつかないアリスをよそに凪人は恥ずかしそうに肩をすくめた。


「店の常連客が話していたのを聞いて閃いたんだ。バスなら移動手段をあれこれ考える必要はないし、行列で待たされることもない。集団で動くから部外者に顔を見られるリスクも減る。木を隠すなら森の中ってわけだ。観光先は厳選されているし昼食は間違いなく美味い、お土産だっていくらでも買える。だから打ってつけじゃないかと……思ったんだけど……」


 自信なさそうに頬を掻くのは客の年齢層の高さだった。


「あれ随分と若い人たちがいるもんだね」

「カップルかい? カップルなのかい?」

「お煎餅食べるかい?」


 六十はとうに過ぎているだろう年配の客たちが物珍しそうに顔を覗かせてくる。この中にあって十代のふたりはとてつもなく浮いていた。


「んんーお嬢さんどこかで見たことあるな」


 おもむろに隣の席の男性が身を乗り出してきた。老眼鏡を外してアリスの顔をじぃっと見つめる。通路側にいたアリスはどきっとして凪人の腕にすがりつく。


「おまえさんアレの……アレじゃないかい?」


 アレのアレとは一体。


「アレってなんですかお父さん」


 凪人たちが抱いた問いを隣の奥さんが聞いてくれる。


「アレだよ……アレ、アレはなんだったかいな」


「知りませんよ。ごめんなさい、ボケはじめているものだから」


「失礼なやつだな。アレだよアレ、分からないのか」


「知るもんですか」


 男性は必死に考えているが結局「アレ」がなんなのか分からなかった。

 都内を抜けて高速道路に入ったバスは少しもいかないうちにパーキングに入る。トイレ休憩だ。

 ふたりは「もう?」と首を傾げたが乗客たちはここぞとばかりに降りていく。


「ここから長野に着くまでにあと二回トイレ休憩がありますよ。ご老人が多いからどうしてもね」


 四十代くらいのガイドの女性は車内に残ったふたりにニコニコしながら話しかけてきた。

 その親しげな様子は客相手だからだけではないようだ。


「あのぅ、彼女さんモデルですよね。最近CMにもよく出てる」


「はい、そうですが……」


「やっぱり。娘が大ファンなんです。とてもキレイなのに気取ったところがなくて憧れているって、CMの歯ブラシ買ったり部屋中にポスター貼ったりしてるんです」


「ありがとうございます、嬉しいです」


 芸能人の顔に戻ったアリスは丁寧に頭を下げる。ガイドはちらっと凪人を盗み見た。


「今日はお忍びのデートでしょう。だいじょうぶ、邪魔はしませんから。そのかわりどこかで一緒に写真撮ってもらえませんか? 一枚だけでいいので」


「分かりました。また声かけてください」


「ありがとうございます! わー嬉しいー」


 ガイドはぴょんぴょんと飛び跳ねそうな勢いでバスを降りていき、トイレから戻ってきた客たちを「おかえりなさーい」と元気よく誘導していた。


(いくらなんでも早すぎるだろ)


 ばれる可能性がゼロとは思っていなかったがここまで早いとは。もはや変装ではごまかせないくらいアリスは有名人になってしまったということだ。


 知名度が高いのはモデルとしては喜ばしいことだが、自身の彼女としては……。


「ごめんなアリス。おれがもう少し考えれば」


 詫びる凪人にアリスは「ううん」と首を振る。


「ガイドさんに承知してもらっている方が後々助けてもらえるだろうから良かったよ。今日はせっかくのデートなんだし、そんな顔しないで楽しもう?」


 そっと肩にもたれかかってきた。シャンプーの匂いが鼻をくすぐる。

 思えばアリスとデートできるのなら場所はどこだっていいのだ。トイレ休憩中のバスの中でだって、こんな幸せな気持ちになれる。


「ねぇ凪人くん。今日はデートだから……」


「ん? うん?」


「思いっきりイチャイチャしてもいいんだよね?」


 アリスはずるい。

 甘えるような上目遣いで問いかけられては「あたりまえだろ」としか答えられないではないか。



 ※



「いまごろふたりはデートか……いいわねぇー」


 桃子は黒猫カフェで様々な妄想をめぐらせて楽しんでいた。

 日曜日なので店は休みなのだが、ふたりのことを想像すると落ち着かないので店内の掃除に精を出している。黒猫のクロ子も足元をウロウロしていた。


「バスツアーをチョイスするなんて正気かと疑ったけれど、考えてみれば利点も多いわよね。幸か不幸か年齢層高そうなツアーに申し込んでいたし、いまごろはバスの中でイチャイチャしているのかしら」


 凪人は母の手を借りずすべて自分でやりたいと言った。

 バス会社の選定からツアー選び、申し込みまでひとりでこなし、ふたり分の料金を自分の小遣いから支払ったのだ。


 桃子がしたことと言えば未成年者だけが乗車するので親権者として同意書に署名したことと、柴山を通じてアリスの母親に同意書を書いてもらったことくらいだ。


 モデルという仕事上こういった「同意書」類は頻繁にあるらしく、アリスの母親は内容について言及してこなかったらしい。

 娘がデートすると知って反対されたら、と気が気でなかった桃子は一安心した。


 と同時に別の感情が湧く。


「子どもの心配をしない親なんていないはずなのに。ねぇクロたん」


 膝の上に抱き上げてクロ子の喉を撫でてやる。


「わたしはとっても心配よ。いまバスはどこを走っているかしら? 渋滞にはまってない? 昨日は緊張で寝つけなかったみたいだけど平気? 車酔いは大丈夫? 薬はちゃんと飲んだの?」


 凪人ももう立派な高校生だと言うのに心配でたまらない。


「こういうの親バカって言うのかしら。だって凪人ってばますます『あの人』に似ていくんだもの、心配にもなるわよね」


 問いかける相手もなくクロ子を撫でていると、なにかに反応して耳をそよがせた。店の入り口の方に視線を向けてじっとしている。


 がたん。

 施錠してあった扉が音を立てた。だれかが扉を開けようとしたらしい、すりガラスの向こうに人影が映る。


「お客さま?」


 表にはCLOSEと札が出ている。しかし人影はなかなか動く気配を見せない。


(もしかして強盗? こんな明るい時間に?)


 そんな不安に駆られてじっとしていると人影は諦めたのかどこかへ歩いて行く。

 ほっと胸をなで下ろした次の瞬間、


 ピンポーン――!


 自宅玄関のチャイムが高らかに鳴った。

 慌ててインターフォンを覗き込んでみると、


「…………うそでしょう」


 息子そっくりの顔立ちをした赤髪の少年がカメラを睨みつけていた。

 つまらなそうに引き結んだ唇を開き、一歩進み出て用向きを伝える。


「来島といいます。黒瀬凪人さんに会いたいんですが」


 発された声は息子のそれより幾分低く聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る