65.裏アカウント

「新妻愛理? 聞いたことないな」


「――まぁ知らないよね、凪人くんは」


 簡単に説明されたところによると五人組のアイドルグループのひとりだという。グループ内ではドール・クロエと呼ばれているが、最近は「新妻愛理」の名で単独ピンの活動も精力的にこなしているらしい。


 どうりで、と凪人はレジで注文している新妻の後ろ姿に目をやった。


 アイドルだと気づいた店員が顔を強ばらせていることからも分かるように、芸能人ならではの独特の雰囲気がある。裏を返せば「見られる自信」というのかもしれない。しゃんと背筋を伸ばし一挙手一投足にいたるまで神経を張り巡らせているのが分かる。


(アリスも他の人からはそう見えるのかな)


 凪人の知るアリスは良くも悪くも自由奔放だ。突然抱きついてきたり、泣きそうな顔をしたり、キスをねだったり、抱いて欲しいと懇願してきたり。

 同級生たちの前でも気取った姿は見せずごく自然に振る舞っているように見えたが、少なからず意識はしていたのだろう。


(デートする場所、真剣に考えなくちゃな)


 凪人はぐっと気を引き締めた。

 アリスはアリスのままでいて欲しい。少なくともデートする時間はAliceであることを忘れてひとりの女性に戻って欲しい。そのためには場所選びがとても大切だ。


 福沢の意見を踏まえて家に戻ったら詳しく調べてみようなどと考えていると、注文を終えた新妻愛理が凪人の方を振り返った。軽く手を振る。


「サトシ」


 他人の名前だったので反応せずにいると今度は新妻自ら近づいてきた。

 机の隣に立ち、何事かと思った凪人が顔を上げた瞬間を見計らってさっと眼鏡を外す。突然視界の見え方が変わって驚く間もなく黒髪がかかってくる。


「珍しいのね、こんなところにいるなんて」


 アイドルで名を売っているとおり発声がしっかりしている。凪人のひかえめな抗議は覆い隠され、彼女の声だけが響いた。


 濃い眼鏡を外した新妻は手足の細さや顔の小ささに比べて目だけが異様に大きく見えた。パッと見てもかなり入念に化粧をしていることが窺いしれる。


(大変なんだな芸能人って)


 感想と言えばそれくらいだった。

 相手がアイドルだろうがどれほど顔が整っていようが、残念ながら彼女アリスには遠く及ばない。


「人違いだと思いますよ。おれの眼鏡返――」


「地味なダテ眼鏡ね。こんなもので自分の容姿を隠せると思っているの? ましてやわたしが気付かないとでも?」


 相手は完全に誤解しているらしい。

 注文したタピオカミルクティーを店員が運んでくると二人掛けの凪人たちの机に置くよう指示し、わざわざ椅子も用意させた。当然のように凪人に寄り添って話しかけてくる。


「サトシこの女の人はだれ? 今日は森田先生との映画館デートだと言っていなかった? 髪も染めたの? 赤い髪似合っていたのに」


 ここに来てようやく気づいた。

 彼女は勘違いしている相手は恐らく「来島怜史」だ。アリスに不意打ちのキスをしたという。


「――人違いですよ。おれの名前は怜史じゃありません」


 これ以上恥をかかせてはいけないと思い、さり気なく訂正しながら眼鏡を取り返した。向かいの福沢も「そうだ」とばかりに頷く。


「別人?」


 新妻はただでさえ大きな目をさらに大きくし紫のネイルが施された指先で凪人の顎を掴んだ。突然のことに声も出ない凪人にぐっと迫ってくる。


「……ほんとうね」


 ファンデーションの匂いにしばらく耐えていると、ようやく相手は指を離してくれた。まるで宇宙人でも見たような顔をしている。


「一目見た印象はそっくりだけれどよく見ると細かいパーツが違うわ。怜史はもう少しきれいな顔をしているもの」


 さらっとけなされた気もするが別人と分かってくれたのならそれでいい。


「まぁそういうことなので放っておいてください」


 拒絶したと分かってもらうべく顔を背けて完全に視界から除外した。

 さすがのアイドルとは言ってもこれで赤の他人として振る舞ってくれると思ったが、なぜか新妻は凪人たちの席に居座ったままミルクティーを飲み始める。

 

 気まずい。空気を察して話題を切り出してくれたのは福沢だった。


「あのぅ、マリオネットPの新妻愛理さんですよね。お仕事は?」


「そうよ。今日はオフなの」


「向こうの席でファンらしき方たちが見ていますよ。行ってあげたらどうですか」


 新妻の存在に気づいた客の二人組の女性がしきりに目線を送ってくる。手を振ると「きゃー」と小さく悲鳴をあげた。


「席を移動するのは面倒だからここでいいわ。それとも邪魔?」


 なぜか凪人に視線を向けてくる。まったくもって邪魔だった。

 しかしハッキリ告げるのはさすがに抵抗があり、早くどこかへ行ってほしいと告げるかわりにカップにかじりつくようにコーヒーを飲んだ。相手が引き下がらないのならこっちが店を出るまでだ。

 「来島怜史」を知る相手にアリスとの関係を知られるわけにはいかない。凪人を見て福沢も同じようにペースを早める。


 しかし新妻はしぶといのが空気が読めないのか構わず話しかけてくる。


「その制服、見覚えがあるの」


 高級そうなケースのスマホを操作して素早く目を通す。ものの数十秒もかからないうちにある画像を見つけ出した。


「分かった。モデルのAliceが前にいた学校ね」


 Aliceという単語が出た途端にむせそうになった。


「ほらこれよ」


 頼んでもいないのに見せてくれたのは一年次の教室の廊下でアリスと福沢がツーショットで映っている画像だ。おそらく終業式での一枚。投稿者名は『モンブラン厨』とある。「うげっ」と悲鳴を上げたのは福沢だ。


「これはあなたでしょう? Aliceと仲がいいの?」


 もはや言い逃れはできない状況。凪人は内心青ざめながら福沢の反応を待つ。


「あ、ええ、まぁ、同級生でしたね、一応。一年も経たずに転校しちゃったので話したことはほとんどないですよ。その写真は転校前にどうしてもとお願いして撮ってもらって。今ごろどうしているのかなーとか思っていたんですよ……」


 ボロがでないよう慎重に言葉を選んでいるのが分かる。


「わたしと彼女はいま同じクラスよ。それほど親しくないけれど怜史が気にしているようだから彼女に関連するSNSをチェックしていたの。怜史というのは同じくクラスメイトで、あなたにそっくりの相手のこと」


 またしても凪人に色目を使おうとするので福沢が横やりを入れる。


「そ、それで? 怜史さんと新妻さんは付き合っているんですか?」


「まさか。怜史は女性にモテるけれど他人を好きになったりはしないの。絶対に」


 返ってきたのは満面の笑顔だった。


 ようやくコーヒーを飲み終えた凪人はいそいそと荷物をまとめはじめた。福沢もそれに倣う。新妻はさも残念そうに食い下がってきた。


「もう行くの? もう少しお喋りしない?」


「すいません忙しいので」


 なるべく目を合わせないようにしながらトレイにカップをまとめて立ち上がる。

 すると。



 ぐい。



 突然腕を引かれた。バランスを崩した凪人は新妻の肩に受け止められるような形になる。カシャッと響くシャッター音で一気に青ざめた。新妻のスマホが光ったのだ。


「な、なにするんですか!」


 慌てて抗議してもあとの祭りだ。

 新妻は悪びれた様子もなく撮ったばかりの画像を見せてくる。


「記念撮影。せっかく怜史に瓜二つの男の子に出会ったんだもの、記録に残しておきたいじゃない。あなたもSNSにアップしていいのよ。アカウントを教えて」


 ばっちりカメラ目線の新妻と比べて凪人の間抜けな顔といったら。制止しようとしたのか隅に福沢が映り込んでいる。


「いりませんよ。SNSのアカウントだって持ってないし」


 つい口調がきつくなった。

 黒猫カフェの客でさえここまで傍若無人な人間はいない。


「じゃあメールアドレスは?」


「教えるわけないじゃないですか。見ず知らずの相手に」


「警戒心が強いのね。じゃあせめて名前だけでも教えてくれない?」


「おれは黒――」


 そこへ横から体当たりされた。


くん! もう行こう! じゃあ失礼します」


 福沢に腕を引かれトレイと食器を片づけて逃げるように店を出た瞬間、季節外れの陽気とともに大勢の人々に取り囲まれた。


「なぁ今話していたあの人ってやっぱり新妻愛理か?」

「ドール・クロエだろ」

「なに話してたんだよ」


 訳も分からず質問攻めにされる。福沢が焦ったように叫んだ。


「多分みんな『新妻愛理がいる』ってタレこみを見て集まったんだよ。あっという間に情報拡散するから。――――あ、大丈夫?」


 口元を覆って俯いている凪人に声をかけてくる。


「……とにかく、いこう」


 凪人たちは人ごみをかき分けるようにして一帯を抜けたが、人影が途絶えたところで弱々しく膝をついた。体の奥からなにかがせり上がってくる気配だ。しばらく忘れていた吐き気だと気づき、必死に唾を呑みこむ。

 状況を察した福沢が黙って背中を撫でてくれる。その温もりがあるだけで幾分吐き気がやわらいだ。


 しばらくして胃酸は体内に戻っていったが、一気飲みしたコーヒーの味がまだ口内を占めていた。

 こんなに苦いコーヒーは未だかつて飲んだことがない。




くん――ねぇ」


 店に残った新妻は外野の声にてきとうに手を振りながらスマホを見つめていた。

 映し出されているのはクラスの集合写真。三十人ほどいる生徒たちの奥にAliceがおり、その隣に「黒沢くん」が立っている。一心にカメラを見つめている二人の顔は同じようにほころんでいた。


 こんな表情のAliceは見たことがない。雑誌でもテレビでもクラスでも。


(いいわね、この幸せそうな顔。互いの好意を隠そうともしない顔。すごくいい)


 うっとりとした表情で見入っていた新妻は件の写真をSNSに投稿した相手――『モンブラン厨』に直接メッセージを送った。裏アカウントである『あいり』で。


『突然すいません。この制服ってそちらの学校ですか?』


 メッセージとともに先ほどの写真を添付する。凪人だけを切り抜いて顔をスタンプで隠した状態で。すぐに反応があった。


『ウチの学校です。ブレザーの校章の縁取りの色からすると同じ二年だと思いマス』


『ありがとう。人を探しているんですが制服しか手がかりがなくて。詳しく聞きたいので一度お会いできませんか?』


 そう打ってから先ほどの写真をふたたび加工した。今度は右端にいる自分の顔がはっきり見える状態にして。


(あーたのしい)


 スマホに映る自分の顔は興奮で口が開いていた。

 これから起きることを想像するだけで胸の高鳴りが止まらない。


(早く見たいなぁ。モデルのAliceが好きな相手をとられてボロボロに泣き崩れるところ、人目も気にせずに泣き叫ぶところ、髪の毛を振り乱してめちゃくちゃに壊れるところ、見たいなぁ見たいなぁ見たいなァ)



『連絡待ってます。ドール・クロエこと新妻愛理より』


 ――――送信。



(つづく)

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