63.嫉妬と身体検査

「なぁアリス。その来島ってどんな顔していた?」


 長年のファンであるアリスがレイジと誤認するくらいだ。来島の顔は凪人と似ているはずである。


 しかし言った直後に後悔した。

 これでは自ら地雷を踏みにいくようなものではないか。


「どんなって、髪の色は赤黒くてすごく変だけど顔はそれなりにまとも――――あれっ」


 そこでマジマジと凪人の顔を見た。


「なんでだろう……似ている気がする。ほくろの位置とか顔つきとか」


 目を細めてじぃっと見つめていたかと思うと、

 




「まさか――!!」



 と叫んだ。


(まずい、とうとうバレたか!?)


 どきんとする凪人をよそに、アリスは桃子を振り返る。


「凪人くんには生き別れの兄弟がいるんですか!?」


「そっちかよ!」


 間髪入れず突っ込んでしまった。桃子は大笑いする。


「まさかぁ、凪人は正真正銘の一人っ子。母子家庭だもの、二人なんて育てられないわ」


「それもそうですよね……ごめんなさい」


 突拍子もないことを言い出すアリスだったが、それだけ顔立ちが似ているということだ。


(一度会ってみたいな。あぁいや、会わないほうがいい。――きっとバレる)


 来島怜史がなぜ小山内レイジを名乗ったのかは分からないが、自分の顔を見たら一瞬で見抜くだろう。


(関わるべきじゃないんだ。おれはもう小山内レイジじゃない)


 アリスや愛斗。芸能界ワンダーランドの住民と頻繁に接していると自分の立ち位置を見失いそうになる。


 自分は自分。

 黒瀬凪人という名の一般人だ。


「そういえば。ねぇ凪人くん、ちょっと立ってみて」


 だしぬけにアリスから促され、凪人は理由も分からずに立ち上がった。同じように起立したアリスは無言のまま腰に手を回して抱きついてくる。


「なっ! なにを!」


「身体検査。いいからじっとして」


 両腕を背中に伸ばし、体を密着させてくる。何事かと息を止めつつ見下ろした先に、制服の隙間から覗く胸元がちらりと見えた。



『胸でかい?』



 唐突に国見の言葉を思い出し、どっと汗が噴き出してきた。


「どうしたの? 体熱いよ?」


 胸元に注目していたことを気づかれそうになり、急いで顔を背けた。


「あ、いや、意外となと思って」


「なにが?」


「むね――うわぁ、なに言ってんだおれのバカ!!」


 びっくりするのと恥ずかしいのとでアリスの体を押しのけてしまった。

 アリスはきょとんとしている。


「ごめんごめんごめん、おれは別にアリスの胸のサイズ知りたいなんて思ってな……あぁもう、違うんだ、そうじゃなくて」


 顔を覆って慌てふためく凪人。

 店内の空気がゾっとするほど冷たい。男女の比率は一対三で圧倒的に不利だ。特に福沢など「うわぁー」とドン引きしている。


「……凪人くん」


 しかしアリスは一歩踏み出して凪人の手首を掴むと、


「嬉しい」


 と微笑んだ。

 そのまま凪人の手を自分の胸元まで引き寄せる。わずかでも関節を動かせば触れられる距離だ。


「な、なな」


 緊張のせいで徐々に手のひらが熱くなっていく。まるでアリスの体そのものが赤外線でも発しているように。

 しかし当の本人はまるで気にする素振りはない。


「凪人くんは私の――恋人の体に興味持ってくれているってことでしょう? 触ってみたいってことでしょう? 付き合っているんだから当然じゃん。『おまえの体に興味ない』って拒絶されるよりずっとずっと嬉しい。やっぱり高校生なんだなぁって安心する」


 満面の笑みで返されては凪人も返す言葉が見つからない。


「いいよ、触ってみても」


「ほ……ほんとに?」


「うん、優しくね。あんまり乱暴にされると心臓飛び出しちゃいそうだから」


 アリスと同様、凪人の心臓もどきどきと高鳴る。


「てんちょー、もはや公害並みの超バカップルがいますぅー」


 すっかり忘れ去られていた福沢が自分の両目を覆いジダバタと足を揺らして抗議する。


「そうねぇ、恋人同士で盛り上がるのはいいことだけど、ここがお店で、外からも丸見えの公衆の面前ってことも思い出してほしいわね」


 ちくりと苦言を呈され、ふたりとも一歩ずつ後退して距離を置いた。


「えーと、で、アリスのさっきの行動はなんだったんだ?」


「うん、抱き心地を確かめていたの。久しぶりに会うけど凪人くんちょっと太ったよね?」


「太っ……」


 再び店内が静まり返る。




「そう、そうなんだよ! 三キロも太ったんだ!!」




 飛びつかんばかりの勢いでアリスの肩を抱いた。ものすごい笑顔だ。


「おれ頻繁に吐いていただろ、だから栄養が十分に吸収できなかったみたいで背丈も体重もなかなか変わらなかったんだ。だけどここ数ヶ月間ずっと吐いてないお陰で遅れていた成長期がきたんだよ。身長も二センチ伸びて171になったんだぜ!」


「だから目線が少し高くなった気がしたんだ。良かったね」


「ありがとう。アリスのお陰だよ」


 外でデートしたいと思ったから克服する決意ができた。

 もしもアリスと出会わなければきっとなにも変わらなかっただろう。

 なにも変えようとしなかっただろう。


「それで、なんだけど」


 凪人は少し自信なさそうに口を開く。


「今度、外でデートしてみないか?」


「だいじょうぶ、なの?」


 アリスは驚くよりも先に体を心配してくれた。凪人とてデート中に吐いてアリスに恥ずかしい思いをさせたいとは毛頭思わない。


「分からない。まだ完全に克服できたわけじゃないから早朝とか夜とか人目につかない時間帯になっちゃうし、アリスにも変装してもらわなくちゃいけないと思う。いろいろな制約や迷惑もかけるけど、でもおれ、頑張るから。外で堂々とデートできるように頑張るから。だから」


 答えるかわりに、ぼすん、とアリスが身を投げ出してきた。

 凪人の胸元に顔をうずめて幸せそうに目を閉じる。


「――――うん。しようね、デート」


「あぁ、きっとだ」


 恋人らしいふつうのデートはまだできない。

 それでもこれが最初の一歩だ。


「はーぁ、なんか疲れちゃった。あたしお先に失礼します」


 バカップルに見切りをつけた福沢はエプロンを外し、荷物を抱えて店を出ていく。

 凪人はアリスを留めてからいつもそうしているように外まで見送りに出た。


「お疲れ、福沢。なんか色々とごめんな」


 ふて腐れた様子の福沢は目を合わせない。


「べつに気を遣わなくていいよ。そのかわり今度あたしに付き合って」


「付き合う?」


「そう、兎ノ原さんとのデートの予行練習だと思って付き合って」


 思えば女性が好むようなスポットや月並みのデートの作法をまったく知らない。勢いでデートに誘ったものの、カフェや街をぶらぶらするだけではつまらないだろう。

 福沢が予行練習というのなら、それに甘んじて色々教えてもらおうと考えた。


「分かった、いいよ」


 さほど深く考えもせずに承諾すると、福沢はなぜかうんざりしたように息を吐いた。肩に提げていた荷物を叩きつけるように地面に下ろし、カッと目を見開く。


「だーかーら!」


 一瞬の隙をついて凪人の手首を掴み、アリスと同じように自らの胸元に引き寄せた。あまりに突然のこと凪人は思考が追いつかない。


「分かんないの? あたしがなんの下心もなくて誘ってると本気で思ってる? んなわけないじゃん。なのにどうして簡単に受け入れるのかな。誤解されると思わないの? それとも救いようのない鈍感バカなの?」


 あぁそういう意味か、とようやく理解した。


 今にも泣き出しそうな福沢を前に、自分のバカさ加減を思い知る。

 ごまかしはきかないと思った。元より答えなど決まっている。


「ごめん、福沢の気持ち全然分かっていなかった。曖昧な態度がイヤなら謝るし、今後一切関わるなと言うならそうする」


 そう断った上で、少し強引に手を引き抜く。


「友達やバイト仲間として福沢のことは尊敬しているし信頼もしている。でもおれ、触れたいとは思わないんだ。一緒に弁当食べてても店で頻繁にぶつかってても、なんとも思わない。どうしようもないくらい胸が震えるのは、いつだってアリスひとりだ」


 これはきっと福沢にとっては酷な返事だろう。

 申し訳なさでいっぱいになる凪人とは裏腹に福沢はかすかに笑みを浮かべていた。


「すっごく腹も立つけど、正直、羨ましいよ。いつかあたしもそんな恋をしてみたい。ふたりみたいに一切の濁りのない純粋な恋愛を」


「そんなキレイなもんじゃないよ」


 自分はまだアリスに隠し事をしている。それは純粋とは呼べないだろう。


「ヒステリックになっちゃってごめんね。なんか居たたまれなくて。……さっきの話、付き合って欲しいのはただの買い物なの。今度子犬をもらうことになって、お父さん腰を痛めているからペット用品を買うのに男手が欲しくて。だから、お願い」


 目元を拭った福沢はバツが悪そうに荷物を担ぎ直した。

 凪人は気にしてないように振る舞う。


「おれもそろそろクロ子の餌を買いに行こうと思ってたんだ。付き合うよ」


「ん、ありがと。それじゃあまた明日、学校でね」


 精いっぱいの笑顔を浮かべて去って行く福沢を見送ってから店に戻るとアリスと桃子が楽しげに会話をしていた。


「あぁ凪人、アリスちゃん今日はもうお仕事ないって言うから夕飯食べていくように勧めたの。大好物だって言うオムライス、作ってあげて」


 言い争う光景は見えていただろうに、何事もなかったように明るいふたりに感謝しつつ、凪人は強くうなずいた。


「分かった。飯食べたら遅くならないうちに家まで送っていくよ」


 隣にやってきたアリスは福沢とのことには言及せず、そっと腕を絡めてきた。

 目が合っても優しく微笑むだけだ。


 大丈夫。分かってる。

 そう囁くように。

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