61.サイテーな男
――そのころアリスは。
「もう、どこ行っちゃったの
地団駄を踏んでいた。
授業中ずっと居眠りしていた来島と話をしようと昼休みを待っていたというのに、チャイムが鳴った瞬間教室を出て行ってしまった。急いで後を追い方々探し回っているのだが一向に見つからない。
芸能コースと一般コースは同じ校舎内にあるため行き交う生徒も多い。転校生であるモデルのAliceを見かけて生徒たちが視線を向けてくるが目的の人物はいない。
(あの顔、間違いない)
一目見ただけで分かった。「小山内レイジ」だと。
(まさか同じ学校だなんて。しかも芸能コース在籍ってことは芸能活動を継続するってことだよね)
小山内レイジの活躍を間近で見られる。
それはファンにとってこの上ない喜びである。
(『帰ってこない黒猫探偵』のDVDを何回も観たけどやっぱりレイジは最高だった。あの声、あの口調、姿勢、動き、ぜーんぶ最高)
会ってどうするということはない。「これからもがんばってください。応援しています」と一言告げるだけでいいのだ。
(あーでもサインくらい欲しいかも。それからハグ……はダメダメ、凪人くんが嫉妬しちゃう)
(でも凪人くんもちょっとくらい嫉妬してもいいよね。福沢さんやアリサのことで私ばっかりヤキモキしてさ)
(うん、とりあえず一緒に写真を撮ってもらおう。それ見せたら凪人くんどんな反応するかな)
嫉妬してムッとする彼の顔も見てみたい。
それを踏まえて「でも私には凪人くんが一番だよ」と伝えてあげよう。
(そしたら『おれも』って抱きしめてくれるかな。凪人くんって嘔吐するせいか体すごく細いけど体温高くてあったかいんだよね。私は冷え症だから嬉しい。で、密着しようとすると少し及び腰になって引くの。そう引くの。そこがまた可愛いんだよね。だから逃げないようにぎゅーっと腰にしがみつくんだけどさ)
触れる。
肩を抱く。
キスをする。
異性に慣れたアリスにとっては当たり前のことも凪人が相手だと新鮮な反応が返ってくる。だからアリスも一挙一動に緊張してしまう。
(付き合って半年以上経ったんだからそろそろ慣れて欲しいところだけど、それはそれで物足りなくなるのかな)
ふと思い出すのは初めて恋をしたときのこと。
相手は言うまでもなく小山内レイジだ。
放送五分前になると身だしなみを整えてアリサとともにテレビの前に正座した。画面の向こうからこっちを見ていると思い込み、お気に入りのリボンで髪も可愛く結んだ。
レイジが泣けば一緒に涙を流し、レイジが怒れば一緒に叫んだ。
観覧申込み用のハガキを自分のお小遣いで買い、下手なりに一所懸命名前や住所を書いたがはみ出したり掠れたりして十枚ほど失敗し、追加でハガキを購入しようとして母に叱られたこともある。
(小山内レイジのこと本当に好きだったんだよね、私)
懐かしさとともに胸の奥がジンと熱くなる。
レイジは自分ことなど知らない。だから完全な片想いだ。
けれど今こうして必死に探している自分がいる。
(ちがうよね、これは恋じゃないよね)
凪人への愛情とレイジへの憧れは別の感情だ、そう信じようとしていた。
――キーンコーンと予鈴が鳴り響く。
(時間切れ、か)
諦めて教室に戻ろうとしたアリスは通りかかった階段上でふと足を止めた。話し声がしたからだ。
「ほんと、悪い子」
「うるせぇ」
男女の話し声だ。興味本位で上から覗き込むと階段踊り場の暗がりの中に二人の姿があった。男は後ろ姿しか見えないが赤い特徴的な髪色なのですぐに分かった。
(いた来島くん――と、一緒にいるのは同じクラスの
新妻愛理は五人組アイドルグループ『マリオネットP(パーティー)』のひとりだ。ドール・クロエという芸名で、操り人形のようなロボットダンスを得意とする。
その顔立ちは市松人形を思わせる純和風。眉のあたりできっちり揃えた前髪と背中まで伸びる漆黒のストレート。外国の血が入っているアリスにはどうやっても手に入らない容姿だ。
二人は暗闇の中で身を寄せ合い、肌を舐めるようにして唇を移す。来島の手は新妻の制服を割って中へと入り込んでいたが新妻は挑発するように相手のボタンを外した。
(うっわぁ……濃厚)
アリスは口をあんぐりと開けて観賞してしまった。二人の唇は磁石のようにくっついては離れてを繰り返す。
「ここんところずっと寝坊ね。ママに起こしてもらえないの?」
そう告げられた瞬間、来島はパッと体を離した。
「あいつの事を口にするな」
すさまじい形相を見せつけられ、新妻は黙り込む。本鈴が鳴ったのを合図に二人は距離を置き、乱れた制服と呼吸を整える。
「今日来た転校生どう思った?」
「べつに」
「嘘ばっかり。本当は興味あるんじゃない? いつもの貴方なら『転校生なんていたか?』って聞くじゃない」
「はぁ?」
「図星でしょう? いいけどね。でもわたしはアイツ嫌い」
先に階段をあがってきたのは新妻だ。
まずい、そう思ったときにはばっちり目が合っていた。
新妻はなにも言わない。そのかわりギロッとにらんで通り過ぎていく。
(こ、こわい)
ぶるりと震えていると遅れて来島があがってきた。
その顔は浮かない。無表情というわけではなく静かに悲しんでいる。アリスには見覚えがあった。
(この顔、そうだ、レイジがお父さんの手がかりを見つけられず落ち込んでいるときの顔だ。お母さんを心配させたくないから表面上は明るく振る舞っているのに、ひとりになるとこうやって俯くんだよね)
やはり彼は小山内レイジだ。そんな確信が胸に広がる。
「来島くん」
思わず名前を呼んでいた。目蓋だけ持ち上げた来島は無言で立ち止まる。
「話したいことがあるの」
「……なんだ、おまえもか」
来島は呆れたように肩をすくめる。
正面に向き直った彼の体つきは驚くほど細かった。その分、顔や手足が華奢に見える。
鋭い眼光でアリスを睨みつけながら来島は訊く。
「おまえもオレに抱いてほしいんだろ?」
「……………………は?」
思いっきり低い声が出た。
「いやーなんか知らねぇけど急にモテ期が来てさ、次々と女に言い寄られるんだ。どいつもこいつも彼女になりたい・抱いてほしいって言ってくるんだよ。まぁオレは見ての通りめちゃくちゃカッコイイから無理もないけどな」
(なに言ってるのこの人)
「おまえも彼女になりたいんだろう? いいぜ。ただし有料だ。デート一回につき三万円。時間じゃなくて回数だ。交通費は別途もらう。特別なイベントがある日は五万だ。いまなら二ヶ月後が空いてる」
「あのねぇ私にはとっくに」
無遠慮に来島の手が伸びてきた。壁に追いつめられる。汗の臭いがして、一瞬だが心臓が跳ねた。
「初回のキスは無料だ。それくらいはサービスしてやる」
言いながらアリスの顎を掴んできた。
凪人とは違う強引さ。しかし目の前に迫った顔から逃げられない。
(やだ、だって私は凪人くんの――)
「くーるーしーまー」
ヒッと息を呑んだのはアリスだけではなかった。すぐ真横に女性教師が仁王立ちしている。
「あぁ森田先生じゃないですか。どうしたんです、こんなところで?」
ぱっと手を離した来島は何事もなかったように愛想笑いを浮かべる。
「とっくに授業は始まっているんだぞ。さっさと来い」
「やだなぁ、美人なんですからそんな怖い顔しないでくださいよ。すぐ行きます」
にへら、と笑うと教師に続いて歩き出した。
「待って!」
アリスは思わず呼び止める。来島が億劫そうに立ち止まったところへさっと詰め寄った。
「先に言っておきますけどね、私には超超超ちょーぅ好きな彼氏がいるんですからね。土下座されたって彼女なんてお断り!」
「じゃあなんの用だよ」
決まっている。聞きたいことはひとつだけだ。
「イエスかノーで答えて。あなたは小山内レイジ?」
一瞬顔を強張らせた来島は、またあの顔をする。
苛立ちながらもどこか淋しさをまとわせる瞳だった。
なぜかアリスの胸もぎゅっと痛む。放送時の名残りでレイジに
「……なんだ、おまえも結局は『レイジ』目的かよ」
あっと思ったときには腕を引かれ、乱暴に唇を吸われていた。
荒々しい気性とは裏腹に驚くほど丁寧に唇を包み込む。
「やめて!」
アリスは無我夢中で突き飛ばした。来島は一瞬よろめいたものの、その瞳は相変わらず見るものを惹きつける。
「オレの名前は来島
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