10.小山内レイジを名乗るもの

60.にぶい男

(小山内レイジが目の前にいるってどういうことだよ)


 昼休み。凪人は困惑を隠しきれないままアリスのメールを読み返していた。

 件のメールが来たのは九時すぎだ。凪人はすぐさま「どういうことだ?」と返信した。しかしこの時間になっても反応はない。


 小山内レイジが凪人だとアリスは知らない。

 レイジに会うことよりも凪人を優先し、気持ちの上では卒業したと思っていたのに心のどこかでは意識していたのだろう。



『いた』

『やっと会えた』

『目の前にいる』



 矢継ぎ早の文面からは隠しきれない興奮が見て取れる。

 それを目にする度にたとえようもない不安に襲われて足元がふらつく。


「なぁに? まだ返信ないの?」


 向かい席で弁当を食べ終えた福沢が無遠慮にスマホを覗き込もうとしたので「見るな」と手で遮断した。


「いいじゃんケチケチしなくても。どうせ『彼女』からのメールでしょう」


「ぐ……そうだよ。だから見るなって」


 二年に進級し、席替えもしたというのに福沢は相も変わらず凪人の席でお弁当を広げている。昨年別れてからずっとそうだ。最初は気兼ねしていた凪人も一ヶ月も経てばどうでも良くなった。

 福沢の親友・真弓は昼休みを彼氏と過ごしているため居場所がないのだと知っている。一緒にいれば店のことも気軽に相談できるのでそう悪いこともない。


「おまえら本当に仲良いのな。それで付き合ってないってマジ?」


 近くにいた茶髪・細眉の男子生徒が冷やかしてきた。


 国見良太。成績はそれほど良くないがバスケ部のエースである。

 クラス替えはないので一年次から面識があるが、話をするようになったのは最近のことだ。


 福沢はつんと唇を尖らせて首を振る。


「バカ国見。付き合っているわけないじゃん。ありえない。だって凪人くん二股かけたんだよ。だからビンタして振ってやったの」


 途端に国見が目を輝かせた。


「マジマジ!? 二股? やるじゃん黒瀬!」


「…………」


 これに関しては反論の余地がない。

 アリスと仲違いしていた時期に福沢と付き合い(仮だが)、アリスへの気持ちを自覚して振って欲しいと頼んだのは紛れもない事実だ。


「なぁなぁ黒瀬、いまの彼女どんな子だ?」


 興味をそそられたらしく、国見はわざわざ近くの椅子に腰かけて会話の輪に入ってきた。気兼ねしないのはありがたいが一足飛びで関わってこられるとまだ緊張する。

 凪人は急に口内の渇きを感じ、ごくんと唾を飲んでから言葉を紡いだ。


「あぁ、えっと、同い年だけどこの学校の生徒じゃないよ。店――バイト先で知り合ったんだ」


 厳密に言えば三月まではここの生徒だったが嘘ではない。


「へぇー美人?」


「美人、だと思う。それなりに」


 美人どころかモデルである。


「写真ねぇの?」


「撮らないことにしてるんだ。おれもア……彼女も写真好きじゃなくて」


 スマホに替えたばかりで写真を撮っていないだけなのだが、覗かれる危険性を考慮し今後も撮影しないでおこうと今決めた。

 手元に写真がなくてもテレビや雑誌でいくらでも顔を見られるのだし。


「くふふ、いろいろ大変よねー」


 事情を知っている福沢が口元を覆って爆笑しているが無視した。


「んーじゃあさぁ……」


 次に何を聞かれるのかと身構えていると、国見が内緒話をするように身を乗り出してきた。ジェスチャーつきでなにやら膨らみをアピールする。


「これは? でかい?」


「なんだよ、それ」


 国見は小声になる。


「だ・か・ら、胸だよ。む・ね」


「それは……え、胸!?」


 つい大声で聞き返してしまった。

 教室中の視線を感じて慌てて顔を伏せたが火が噴くように恥ずかしい。


(む、むむむ胸だとぉ!?)


 胸。

 アリスの胸なんてまったく意識していなかった。普段は(当然ながら)服に隠れているし、水着姿を見たのは昨年の夏に海まで追いかけて行ったときだ。当然じっくり見る余裕などない。

 その後に写真集をプレゼントされたが恥ずかしくてろくにページを繰ることができず、いまも新品同様のまま自室の本棚に置いてある。


「どうなんだよ。でかいのか」


 国見はなおもしつこく聞いてくる。

 凪人は敵のようににらみながら必死に声を振り絞った。


「そんなの分からねぇよ……無理やり手を引っ張られて触ったことはあるけど」


「なにぃー!!」


 国見が大声で叫んで立ち上がる。


「マジ? マジで触ったのか!? ど、どど、どんな感じだった?」


「だ、だから確かめたわけじゃないんだって。目の前で浴衣を脱ごうとしたり、抱いてほしいって頼まれたことはあるけどそれだけだよ」


 なだめるつもりが教室内がどよめいた。皆それとなく聞き耳を立てていたのだ。


「黒瀬がなー」

「意外とやるよなー」


 好奇の眼差しが次々と飛んでくる。


「え、ちょ、なんだよ」


 よっぽど変なことでも言っただろうかと慌てふためいた。

 

「はぁーまさか黒瀬の口からそんな発言がでるとはなー」


 国見は腕を組み感心したように頷く。


「ほーんと凪人くんってウブだよねー反応が」


 福沢は感慨深そうに頷く。


「ちょ、なんでみんな目をそらすんだよ、この状況を説明しろよ」


「いやいや、かわいーなーと思ってだな」


「全然分からねぇ。目を見て話せよ」


 教室全体が生暖かい笑いに包まれる。凪人ひとりだけが取り残されていた。


(あれ、もしかしておれ……)


 凪人はハッとして自分の胸元に手をやった。


(おれ、もしかして)


 驚くべき事実が浮かび上がる。

 それは。




(これだけ注目されても吐き気がない。病気を克服しかけている?)




 残念。

 凪人はまだまだ鈍かった。




「黒瀬ってさ」


 おかしそうに笑っていた国見は凪人を見てニッと口角を上げた。


「暗くてつまんねー奴かと思ったけど意外と普通のオトコノコなんだな」


「意味わかんねーよバカ」


 思わず言い返してしまったが。

 長いこと男友達のいなかった凪人にとってついニヤけてしまうくらい嬉しいやりとりだった。

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