56.撮影会

「兎ノ原さぁん!来てくれてありがとう!!」


「えっ、なになに!?」


 福沢は感極まって抱きつくが、事情が分からないアリスは腕の中でうろたえている。


「あのね、今日最終日でしょう。だからお別れ会をしたかったの。昨日の夜から大急ぎで準備して、今朝も早くに登校して教室飾ったし、色紙も回して、お小遣い出し合って花束も買って、記念撮影会もしたくて」


(なんだよ福沢のやつ、サプライズどころか全部バラしてるじゃないか)


 本人を前に洗いざらい白状する様子に苦笑いしつつ、凪人もホッと息を吐いた。


「では学級委員長、改めて兎ノ原さんのお別れ会をしてちょうだい」


 担任に促され、元気よく福沢が返事する。


「分かりました!じゃあ兎ノ原さん、荷物置いたら黒板の前にいい?」


「あ、うん」


 近づいてきた彼女と目が合う。

 教室内での関係は「机が隣同士の同級生」。それ以上でもそれ以下でもない。


 ターコイズの瞳が懐かしそうに細められた。


「……黒瀬くん、久しぶり」


「ひさしぶり」


 ほころびかけた顔をキュッと引き締め、アリスは凪人のほうを見ないようにしながらカバンを置く。


「昨日、スマホ壊れちゃって……」


 ぼそりと呟かれた言葉に破顔した。


「だいじょうぶだよ。いろいろ大変だったな。飛行機も遅れたみたいだし」


「うん。でも無理してでも来て良かった」


 今年になってから直接顔を合わせたのは数える程度だが、見る度にキレイになっている。髪も伸びて、化粧も少し変わって、ネイルも違う。


 それでも。


「最後にこのクラスでみんなに会えて良かった」


 眼差しが交錯する。

 ほんの一瞬の、やわらかな笑顔。

 それだけで十分だった。


「はい、ではこれより兎ノ原アリスさんのお別れ会を開催します。礼」


 福沢の仕切りの元、いよいよお別れ会がスタートする。

 クラスからの寄せ書きと花束を贈られたアリスは満面の笑顔。

 担任からのプレゼントである「成績表」を受け取ったときは渋面を浮かべた。


 短いセレモニーはアリスの挨拶で締めくくられる。


「改めまして、兎ノ原アリスです。こんな形でお別れ会をしてもらえるとは思っていなかったので、驚きと感動でいっぱいです。化粧も直さずに来てしまったので、記念撮影は少しだけ待ってください」


 どっと笑いが起きた。


「えー、と、昨年このクラスに来てからの出席日数は150日にも満たないと思います。遅刻や早退も多く、ほとんど幽霊のようなものでした。でも、かけがけのない体験をたくさんしました。辛いことも悲しいこともあったけど、とても大切な人たちに出会えました。このクラスで過ごした日々は一生忘れません。もし今後私を見かけたら遠慮なく声をかけてください。皆さんにとって私はモデルのAliceではなく、同級生の兎ノ原アリスなんですから。――本日は、ありがとうございました」


 割れんばかりの拍手とともに女生徒たちに取り囲まれてしまうアリス。

 凪人は遠くで見つめるだけだが、テレビとは違う嬉しそうな笑顔を見ていると、それだけで良いと思える。


 だって彼女はここにいるみんなの同級生、兎ノ原アリスなのだから。




「すごい、Alice本当に来てくれたんだ!」


 お別れ会が終わる頃合いを見計らって元生徒会長が顔を出した。と同時に廊下で待機していた三年生たちが次々となだれ込んでくる。


 騒ぎを聞きつけた在校生たちもいつの間にか混じっていて、教室内はさながら満員電車のようなカオスと化す。


(……あ。やばい、かも)


 口元を押さえて慌てて隅に避難したのは凪人だ。喉元をじわりと這い上がってくる吐き気。予期せぬ人ごみは発作の誘因になる。


 一刻も早くトイレに避難したかったが流入する生徒たちに塞がれて完全に閉じこめられている。

 勝手に撮影会を始めた生徒たちの向こうでアリスが心配そうな顔をしていた。「大丈夫だ」と頷く余裕もない。それくらい焦っていた。


 刹那、凄まじい絶叫が響き渡った。


「ちゅうもーーーーーくくく!!!」


 驚いて皆が見つめる先には福沢。

 教壇の上に膝立ちになって一身に注目を集めた福沢はぐるりと周りを見回す。


「注目していただきありがとうございます、学級委員長の福沢です。この混乱では撮影会もままなりません。兎ノ原さんも困惑されています。ですので僭越ながらこの場を仕切らせていただきます。ご了承ください」


 そう告げ、集まった生徒たちを十数人ずつのグループに分けた。一組あたり三分と決めて流れ作業のように撮影会を進めていく。


 カメラを持つのは福沢と次に撮影するグループだ。カメラマンがひとりでは全員分のスマホにおさめるために何ショットもとらなければいけないが、頭数がいれば一回で済む。

 撮影が終わったグループは自らのスマホを回収して速やかに退出することになっていた。


 福沢の見事な仕切りは店で客をさばくそれを遥かに上回り、修学旅行生たちを次々とカメラに納めていく観光地のカメラマンのようだ。


(見事なもんだよなぁ)


 カメラ慣れしているアリスは何度シャッターを切られても雑誌さながらの笑顔で映っている。

 それも一種の職人芸だと感心していると、ふと凪人の後ろに人影が現れた。私服の男子生徒だ。

 どこのグループにも入らず、撮影に興じるアリスたちを遠巻きに眺めている。手には高そうな一眼レフ。どちらかといえば目立たない容貌で、やや猫背で前傾姿勢になっているがその足が撮影隊の元に向かうことはない。


「入らないんですか?」


 見かねて声をかけると、いま気づいたとばかりに凪人を見た。


「あ、いや、ぼくは別に……」


 もごもごと歯切れが悪い。人と話すことが苦手なのか、前髪をかきむしりながら手で顔を隠している。


(なんだか昔の自分を思い出すなぁ)


 うつむいて、口を閉ざし、だれとも目を合わせなかった小中学生時代。


 小山内レイジであることを隠すために常にマスクをしてもごもごと喋っていたので、気味悪がって誰も近づいてこなかった。

 友人と呼べる人はおらず、その日話をした相手が教師と母だけだったこともある。


 遊びに誘ってくれる友達がいない放課後は店の手伝いや料理本を見ることで過ごしていた。自転車を飛ばして遠出し、誰もいない林の中で一人遊びに興じたこともあった。


 そんな自分を変えてくれたのは、ひとりの少女だ。


「なぎ……黒瀬くん」


 控えめに腕を引かれて我に返った。アリスだ。


「写真とらない? やっとウチのクラスの番になったんだよ」


 付き合ってることがバレないようにと意識するあまり笑顔がぎこちないが、そんなところも愛しいと思える。


「すぐ行くよ。もし良ければセンパイも一緒に……」


 しかし男子生徒は何故か床にしゃがみこんでいた。なにかを見つけたように。


「どうかしましたか?」


「あ、いや、アリス、ちゃ……ん」


 視線の先にはアリスがいる。

 しかし男子生徒は目が合った途端、壊れたオモチャのようにぶるぶると首を振るわせて一目散に走り去っていった。


 当のアリスは不満げだ。


「なにあれ、まるで私をバケモノみたいに」


「そんな怖い顔するなよ。どうどう」


「ケモノでもないんだけど」


 にらまれた。怖い。


「そこの二人、早くーぅ」


 福沢が催促してくるので「あぁ」と頷いて歩き出した。


「撮影何回も大変だな、疲れただろ?」


「あ、ううん。全然へいき。一日がかりで撮影することもあるもん。変なポーズとらされないだけマシだよ。仰向けに寝転べとか開脚しろとか逆立ちしろとか、なんじゃそりゃって感じ」


 黒板を背にクラスメイトたちが揃う。


 立ち位置に悩んでいた凪人にカメラマンの福沢が告げた。


「凪人くんは兎ノ原さんの隣に立ちなよ。クラスの中ではいちばん親しいだろうから。ね!」


 嫌みったらしい。


「じゃあ撮るよー笑顔ちょうだーい」


 隣り合ったアリスの手の甲が軽く当たってきた。

 なにかと思えばそのまま指先をぎゅっと握りしめてくる。


(おい、こんなところで)


 視線だけで抗議を送るがアリスは素知らぬ顔。

 他の生徒たちはカメラに集中しているとは言え、大胆な。


「ちょっとだけ。ね?」


 視線があうと悪戯っぽく微笑んできた。


(仕方ないな)


 だから凪人も手を握り返す。包み込むように優しく。


「お、いいねその表情!」


 浮かれた福沢がカメラのボタンを連打する。

 響きわたるシャッター音はまるで旅立つアリスへの祝砲のようだった。


「せっかくクラス全員が集まっているんだから他の場所でも撮ろうよ」


 女生徒たちの提案で教室を離れることになった。


 玄関、校庭、体育館、屋上。付き合いきれない男子たちは一人また一人と離脱していったが、アリスは最後まで根気よく付き合っていた。凪人も途中からは撮影する側になり、親友のように肩を寄せ合うアリスたちをカメラに収める。


「ごめんなさい、そろそろ行かないと。夕方の飛行機なんだ」


 中庭にある銅像の前での撮影が終わって教室に戻ったところでアリスが申し訳なさそうに頭を下げた。


 「また仕事なの?」「忙しいんだね」と同情を寄せる女生徒たち。アリスは笑顔で首を振る。


「最後にみんなと写真とれて嬉しかった。もしネットにアップするなら私のアカウントと紐付けしてくれると嬉しいなー、なんて」


 ここにきてようやく、アリスが何十回という撮影に応じた理由が分かってきた。

 簡単に言えばモデルのAliceのためだ。


 いまどきの高校生たちがなんでもネットに載せるのは必定。Aliceと同じ学校にいたとアピールしたくなるだろう。

 そこに自分のアカウントを紐付けしてもらうことで不特定多数に「Alice」の知名度アップと親しみやすさをアピールする作戦なのだ。


 どらちもWin-Winだ。


(ちゃっかりしてるな)


 別れを惜しむ生徒一人一人と丁寧に握手するアリスはモデルとしてのAliceに近い。親しげだがどこか近寄りがたさを感じさせる。


 最後に福沢が歩み寄った。握手はしない。


「兎ノ原さん忘れ物はない? 引き出し、ロッカー、上履きを持って帰るの忘れないようにね」


「大丈夫大丈夫」


「それからカバンやポケットの中をチェックした方がいいよ。撮影会の混乱に乗じて変なもの入れられてるかもしれないから。手紙とか盗聴器とかね」


「まさかー」


 笑いながらポケットに手を差し入れたアリスは――――固まった。


「………………ない」

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