55.お別れ会

 終業式の朝。


 自転車で通学している凪人は信号待ちで止まった。


(結局メールの返事来なかったな)


 スマホを取り出してふたたび履歴を見るが昨日と変わらず未読のままだ。


 今朝起きたとき知らない番号から着歴があったので恐る恐る折り返してみたがどこかのホテルにつながったようだった。

 緊張による吐き気をこらえながら用件を伝えてみたが部屋番号が分からなかったため結局つないでもらえなかった。

 相手は恐らくアリスだろうが、時間からすると既に出立している可能性がある。どのみち話せなかっただろう。


(なんだかすれ違ってばかりだ)


 転校してしまえばきっと、

 もっと、

 遠ざかる。


 もしかしたら心の距離までも。


 学校へ着いてまっさきにアリスの下駄箱を確認したが登校した様子はない。

 どうにか調整して来るとは言っていたが、連絡がないので不安になる。

 もしかしたらこのままサヨナラなのではないかと。


 そんなことを考えながら教室に踏み入れた凪人は言葉を失った。


(なんだ、これ)


 一年三組の教室は色鮮やかな紙で作った花や輪つなぎでパーティー会場のように飾られていた。特にアリスの席は椅子や机にまでマスキングテープが施されてさながら誕生日会の主役。

 黒板には「アリスちゃん、元気でね」と綴られた文字を中心に画面いっぱいにイラストが描かれている。


「おはよう凪人くん。びっくりしたでしょう? 真弓たちと朝早くから準備したんだよ」


 笑顔で駆け寄ってきた福沢は誇らしげに鼻を鳴らす。


「兎ノ原さんのお別れ会しようと思って。転校するのかハッキリしなかったからなかなか進められなかったけど、昨日凪人くんに聞いて確定したからね、サプライズで。どう? 頑張ったでしょ」


「いいと思う……けど、でもアリスってほとんど登校しなかったよな。お別れ会するほど仲良かったっけ?」


 仕事優先のアリスは授業も学校行事にもほとんど参加できなかった。

 クラスメイトの名前だって覚えているかどうか。


「ちっち。分かってないな、こういうのは気持ちの問題なの」


「そういうもんか」


「はい、寄せ書き書いてね。早めに。兎ノ原さんが来たら隠さなくちゃいけないんだから」


 押しつけられた色紙はもう三分の二ほど埋まっていた。

 「元気でね」「また会おうね」「今度芸能人紹介して」などと好き勝手なことが書き連ねられているが、とてもカラフルで明るい。


 凪人は隅っこに一言だけメッセージを書いた。


 ふたりが付き合っていることはクラス内では福沢しか知らない。他の男子生徒と同じように当たり障りない文言で、けれど、ほんの少しだけ自分をアピールするように。


「……ふむふむ、なるほどねぇ」


 凪人の様子を見ていた福沢が思わせぶりにニヤリと笑う。


「なんだよ」


「ううん。やっぱり彼氏なんだーと思ってさ」


 笑いながら寄せ書きを回収して他の生徒のところへと持っていく。

 なんだか腑に落ちないが、あとはアリスの到着を待つだけだ。


(ちゃんと来るよな)


 席に着いた凪人は空っぽの隣席を一瞥して小さく息を吐いた。



 ※



「ねぇ、今日兎ノ原さん本当に来るんだよね?」


 15分ほどのホームルームを終えて次は終業式という時になって、福沢が心配そうに尋ねてきた。


「たぶん……」


 凪人もスマホを確認するがアリスからの連絡はない。


「おれも昨日から連絡とれていないんだ。でも、きっと来ると思うぜ」


「なら、いいんだけど……。じつはさ、」


 申し訳なさそうに口にされたのは、


「は!? 終業式が終わる頃に三年生たちが押しかけて来る? なんで? 卒業式終わって一足先に春休みを楽しんでるはずだろ」


 ついうっかり大声を上げてしまうほどだった。

 はっとして口を押さえた凪人にならうように福沢が小声でささやく。


「表向きはお世話になった先生や校舎へ感謝を込めた大掃除をするため。でも実際はお別れ会でモデルのAliceと一緒に写真を撮りたくてわざわざ来るんだって。昨日あたしが真弓に兎ノ原さんのお別れ会のこと話したあと、真弓が先輩に話して、その先輩からどんどん拡散して……それで。みんな学校にいる間は我慢していたみたいなんだけど、芸能人と同じ高校だなんてめったにないことでしょう、だから記念にって。ごめんね」


 悪意あってのことではないと凪人も分かっているが。


「もし来るとしたら何人くらいなんだ?」


「分からない。どこまで話が拡散したのか、何人が真に受けたのか、実際に何人が足を運ぶのか……三年生200人全員ってことはないと思う、けど」


「けど?」


「兎ノ原さんが転校しちゃう話は校内にも伝わっているみたいだから在校生も加わるかも知れない。単純計算で600人……」


 想像以上の騒ぎになりそうな予感がした。冷たいものが背中を伝う。


「前にアリスから言われてたんだ。今回は離島での仕事だから天候によっては飛行機が遅れるかもしれないって。今朝天気予報見たら問題なさそうだったから気にしなかったけど……。もしもアリスが来られなかったらどうなる?」


「そのときは謝るしかないよね。残念だけど」


 福沢は悄然と項垂れた。


 三年生も悪さをしに来る訳ではない。ただ純粋にAliceと写真を撮りたいだけだ。

 凪人だって思い出作りに協力したいのは山々だが、こればかりはアリス次第だ。


 終業式に間に合うかも、そもそも写真撮影に応じるかも。


 カップルとは言っても互いは互いの所有物ではない。写真撮影に応じてやって欲しいなどと口が裂けても言うつもりはない。

 もしもアリスが拒否するのなら福沢を見捨てでも守ってやらなくてはいけない。


 ただ。


 自分のしてしまったことに気付いて心なしか青ざめている福沢を前にして、そんな酷なことを言えるはずもなかったけれど。


「皆さん、もうすぐ終業式が始まりますよ。お喋りはそこまでにして講堂に集まってください」


 騒々しい室内に担任が顔を出した。


「あ、先生。兎ノ原さんまだ来てないみたいなんですけど」


 福沢に問われた担任は「今朝ほど連絡がありました」と応じる。


「マネージャーの柴山さんて方からね。整備不良が見つかって飛行機の到着が遅れているそうです。もしかしたら間に合わないかもしれないと」



 ※



 校長の挨拶で粛々と進む終業式。

 いつもなら「早く終わらないかな」と生あくびを繰り返す凪人だったが、今日ばかりは違う。

 どこかで聞いたような校長の話が少しでも長引き、アリスが到着するまでの時間を稼いで欲しいと思っていた。


 しかし願いはむなしく、空気を読んだ校長の話は三分とかからずに終わり、一年の最後を締めくくる終業式はあっという間に閉会となってしまった。


 教室へ戻るすがら三年生の姿をあちこちで見かけた。垢抜けた私服姿なのですぐに分かる。

 みな表向きの理由である大掃除を遂行するため箒や雑巾やらを持っているが、記念撮影という目的があるせいか心なしか生き生きとしている。


 ひとりが福沢を見つけて声をかけてきた。


「福沢さん、久しぶり」


 福沢は恐縮したように頭を下げる。


「ご無沙汰してます、先輩」


「やだ、もう先輩じゃないって。Aliceとの写真を撮りたくて押しかけたミーハーだよ」


「すいません、兎ノ原さんはまだ……」


「聞いたよ、到着が遅れてるんでしょう。午前いっぱいは待つつもりだからヘーキヘーキ」


「でも、もしかしたら」


「あ、次の掃除場所に移るみたい。じゃまたね」


「え、あの……あぁ行っちゃった」


 うなだれてため息をつく福沢。彼女が悪いわけではないのに、傍から見ても憔悴していて気の毒なほどだ。それだけ責任感が強いのだろう。


「さっきの先輩、知り合いか?」


「生徒会長だよ、元」


「えっ!」


「どうしよう……生徒会長まで来るなんて」


 しかし無情にも時間は進む。

 慌ただしく担任がやってきて春休み中の過ごし方や宿題、次の登校日などを説明する。もう少しゆっくり喋ってくれればいいものを、やたらと早口だ。


 チラチラとしきりに外を気にする福沢。アリスが来るのを今か今かと待っているのだろう。

 凪人もこっそりスマホを確認してみたが音沙汰はない。こうなると本当に時間切れかもしれない。


(最悪、別日に都合をつけてもらって……いや、おれにそんなこと言える権利はない。頼むから来てくれよ、アリス)


 隣の席へ視線が吸い寄せられる。

 華やかに飾られているものの、そこにいるべき主の姿はない。


「それから最後になりますが、兎ノ原さんは本日をもってこのクラスを離れ、新しい学校に行かれます。お別れ会をしてあげたかったけれど、ご覧のとおり本人はお仕事の都合で欠席です。今後テレビや雑誌で見かけた際にはぜひ応援してあげてくださいね。それではこれで解散となり」


 あぁもうだめだ、と顔を覆ったとき、


「ちょっと待ってください!!」


 鋭い声が割り込んできた。

 クラス全員の視線が教室の後方に向けられる。


「遅くなってすいません……アリスです。兎ノ原アリスです。たったいま到着しました」


 いささか髪を乱したアリスが顔を覗かせていた。

 静まり返る教室。


 いつもと違う空気を察し、アリスが目を瞬かせた。


「……あれ、私クラス間違えていないよね?」

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