42.思いがけない告白
「なぁ福沢!」
「うわびっくりしたぁ、大きい声出してどうしたの?」
「デートって付き合ってるカップルが行くもんじゃないのか?」
福沢は一瞬目を丸くしたあと「そうだよ」と頷いた。
「だから真弓たちとのダブルデートなんじゃん。あたしと黒瀬くんは付き合っているわけじゃないけど、なんていうかほら候補……みたいな?」
「だったらなんでおれを誘うんだ? 福沢は斎藤マナトが好きなんだろ?」
「はぁ?」
福沢はものすごく驚いたように体をのけぞらせた。しかし凪人は真剣そのもの。他人との関わりを避けて色恋沙汰に縁がなかったツケがきたのだと知る由もない。
「ちょっとやだ、本気で言ってるの? あたしなんかが『向こうの世界』の人と付き合えるわけないじゃん」
福沢は腹を抱えて笑い出した。どこか壊れたんじゃないかと思うほどの大爆笑で、ヒーヒ―言いながら涙を拭っている。あたかも常識だと言わんばかりの口ぶりだ。
「なにがそんなにおかしいんだよ」
凪人は腑に落ちない。だって自分は芸能界(ワンダーランド)の住民であるアリスと電話もメールもするし、指輪を贈ったり手を握ったりキスまでする。
「はいはい、言いたいことは分かるよ。黒瀬くんは兎ノ原アリスのファンなんだね。じゃあこんなふうに考えて。兎ノ原さんはお姫様。黒瀬くんはせいぜい飯屋の息子ね。二人が出会って恋に落ちました。結婚したいです、さてどうします? 黒瀬くんが王様も認めるような英雄になる? それともアリス姫を王宮からさらってくる? どのみちリスクしかないじゃない。駆け落ちして二人は幸せになったとしても姫を奪われた王は悲しむだろうし、その怒りが飯屋の主人に向くかもしれない。結局周りは不幸になる。ま、現実で言うところのマスコミに追いかけられたり激高したファンに嫌がらせされたり、ってところかな。お店だって簡単に特定されて潰されちゃうよ」
思えばアリスとの出会いもストーカーによるものだった。昨今マスメディアへの露出が増えて人気が出てきたアリスの周りにそういった輩がいても不思議はない。
けれどそれとこれとは別だと思う。アリスはお姫様でもなんでもなく「モデル」という職業を選んだだけの同じ世界の住民だ。
人づきあいの薄い凪人にはそれが普通ではないことがいまいち分からない。
「向こうの世界の人たちは色恋沙汰をバラエティー番組のネタや好感度に結び付けられるけどあたしたちはそうじゃない。だからあたしは斎藤マナトを好きだけど普通の人と恋をするし、普通の人と結婚するつもり。黒瀬くんはどうなの?」
福沢が黒板消しを上下させると波やウサギは跡形も残らず消えていく。
ふいに言い知れない不安が胸の内に押し寄せてきた。ひとたび波が足元をすくえばアリスとともに築き上げた痕跡はあっという間に消えてしまい、あとには何も残らないのかもしれない。確かなものなど一つもない、そんな危うい場所に立っているのだ。
「いまだってお互いに遠慮しているんじゃない? 兎ノ原さんは誰もが振り返るモデルで、凪人くんは目立つのが嫌い。長く続くはずない。だって住む世界が違うんから」
すっかり黒板をきれいにした福沢が振り返る。開けっ放しの窓から吹き込んだ風で髪の毛が揺れた。
「ためしにさ、なんにも遠慮する必要のない隣人と付き合ってみたらどう? あたし実験台になってあげるよ」
「……え」
実験台に名乗りを上げた福沢はどこか不安そうに髪の毛を押さえた。改めて見るとアリスほどではないせよバランスの整ったきれいな顔立ちをしている。
「どういう意味か分かる? 分からないよね、黒瀬くんは鈍いから」
おもむろに近づいてきたかと思うと手近な机によじのぼり、近くにいた凪人に抱き着いた。耳元に唇を寄せてくる。吐息がくすぐったい。
「だから、好きだって言ってんの!」
「えっ」
驚きのあまりモップの柄を放してしまった。横倒しになったモップなど視界に入らないのか福沢は肩にきつく抱きついてくる。ほんのりとシャンプーの匂いがした。
「ちょっと前から黒瀬くんのことイイなって思ってたの。朝ごはん食べてるときも教室でも放課後でもお風呂入ってても考えるようになって、昨日は夢にも出てきた。その夢の中では水のあるところでデートしてて、帰りに告白して付き合うことになるんだけど……ダメだなぁ、あたし、起きたときに嬉しすぎてフライングしちゃった」
福沢に抱かれているとどんどん体が熱くなっていくのが分かった。アリスとはまた違う緊張感が伝わってくるのだ。
「あたしいますごく不安、だけどすごく幸せ。こんな気持ち初めて。ねぇお願いだから責任とってよ。他にいくらでも男がいる兎ノ原さんよりあたしの方が絶対にいいよ。だからさ、――付き合ってくれない?」
※
とぼとぼと歩いて家に近づいたとき、凪人は学校に自転車を置いてきてしまったことを思い出した。
告白されたあと、どんな言葉を交わしたのか覚えていない。「そっか」とか「ありがと」とか答えて、最後に「少し待ってほしい」と言った気がする。
(なにを待てって言うんだ。だっておれはアリスのことが――)
アリスのことが好きなはずなのに、いまは福沢の顔ばかりが頭に浮かぶ。
どうして揺さぶりをかけられた途端に自信がなくなるのか。所詮はその程度の気持ちだったのか。混乱してなにも考えられない。
「んにゃ」
ふと声がするので足元を見るといつかの黒猫がすり寄ってきていた。しゃがんで喉を撫でてやると気持ちよさそうに目をつむる。
「おまえ野良なのか?」
見たところ毛並みはきれいだがゴミがついていたり汚れていたりする。首輪もないし、片手で持ち上げられるくらい痩せている。
「もしまっくろ太がCGじゃなかったら、こんな感じだったのかな。おれ猫飼ったことなくてよく分からなかったんだよ。だから友だちの家や猫カフェ見に行って勉強しようとしたんだけど、いつも逃げられて」
膝の上に乗せても黒猫は大人しく撫でられていた。
「――飼いたかったな、猫」
――お母さんほんと? お仕事頑張ったから猫飼っていいの? ぼく一生大切にするよ。まっくろ太って名付けて、一緒に名探偵になるんだ。あぁ早くもふタッチしたいなぁ。きっとすっごく柔らかいんだよね。
「あっ」
するりと黒猫が逃げて行ってしまう。尻尾に触られたのが嫌だったようだ。民家の生垣の向こうに消えるまで見送ってから、小さくため息をついて再び歩き出す。
「あぁ凪人、お帰りなさい」
珍しく店の前に立っていた母が凪人の姿を見つけて手を振った。困り果てたような表情を見てどことなく嫌な空気を察知する。
「どうも」
店のカウンター席で待ち構えていた葉山が軽く会釈した。
一転して険しい表情になる凪人を諭すように母が口を開く。
「話ができるまで何度でも来ると言うから待っていてもらったの。でもどうするかは凪人の判断に任せるわ。お母さんは接客をしていただけだから」
たしかに何度も来られては迷惑だ。とりあえず話を聞けというのなら聞いておいた方がいい。
「……話だけなら、伺います」
「ありがとうございます。お母さまもご同席願います。凪人くんは未成年ですから保護者の了解がいりますしね」
テーブル席を囲んでさながら三者面談のような体裁になる。いまさら『レイジ』になんの用事があるのかと警戒する凪人の前に『企画書』と題された一枚の紙が差し出された。
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