33.アリスとアリッサ
ミルクティー色の髪をした美女はターコイズの瞳を瞬かせて首を傾げる。
「Who are you? What are you doing?」
「え、えと……えと……」
凪人の英語力はゼロ。
なんとなくの内容は分かっても答えられない。
「It smells nice!(いい匂いだね!)」
続けて顔を出したのは目鼻立ちの深い男性だ。髪も眉毛も金色で瞳は深いブルー。しかも英語。
(だ、だれ?)
アリスは母親との二人暮らしだと聞いていた。だとしたらこの美女と男性は一体何者なのか。
固まっている凪人をよそに二人はひそひそと話し始める。もちろん英語で。
『アリッサ、彼は誰だい?』
『知らない。来たらいたの』
『アリスのボーイフレンドかな?』
『アリスはレイジにしか興味ないはずだけど……あぁでも』
カツカツと靴を鳴らして美女が近づいてくる。あっという間に距離をつめると凪人の顎を捉えて引き寄せた。軽く十センチは背の高い彼女の腰は凪人の胸辺りにある。もはや同じ人間かと疑ってしまうほど股下が長い。
「…………レイジ?」
一気に血の気が引き、慌てて否定した。
「ちがう、おれは凪人」
「NAGI?」
「凪人。なーぎーと」
そのとき、怒号にも似た絶叫が響き渡った。
「パパ! アリサ!!」
アリスである。男性がハグしようと手を広げたのを華麗にスルーして美女ににじり寄る。
『彼に手を出さないで』
『アリスのボーイフレンド?』
『とにかく離れて。それからブーツ脱いで。日本の家は土足厳禁だって知っているでしょう』
英語でのやりとりではあるが、アリスが激しく怒っていることは伝わってきた。
「アリスただいまー」
最後に現れたのは幾分日本人らしい女性だ。しかし親近感を覚えるまもなく不審人物のように目を細められる。
「どなた? 何のご用?」
「ママちがうの、この人は」
言い差したアリスは一度凪人を見た。妙な間が空く。
「この方は? まさか泊めたんじゃないでしょうね」
アリスの母親が激しい剣幕で迫ってくる。
詰問されたアリスは必死に言い訳を探す。
「この人は……そう、行き着けのカフェの店員さんで出張サービスで朝ご飯作りに来てくれたの」
(そんなサービスあるか)
と突っ込みたかったのだが、
『ママ、お腹空いた』
『ミドリ、早く食べよう』
早々に食卓についた二人が器用に箸を持って今か今かと朝ご飯を待っていたので、なし崩し的にそういうことになってしまった。
ごめんね、とばかりにアリスが手のひらを合わせてくる。
※
「さっきはごめんなさい」
朝食後、肩を並べて皿を洗っているとアリスが申し訳なさそうに謝ってきた。凪人とアリスを除く三人は荷物などを整理するために別室にいる。
「気にするな。お父さん……だっけ、おれの作った朝食絶賛してくれたし次も頼むなんて言われたんだぜ」
フランス人であるアリスの父はとてもよく社交的な人物で、日本語も多少は分かるらしい。初対面の凪人に対していかに日本を愛しているのかを熱心に語っていた。一見おしゃれに思える彼のYシャツの下に日本のアニメキャラが描かれたシャツが見えたことは衝撃だったが。
「でも聖地巡りだなんだってしつこくて凪人くんは朝食べそこねたじゃない」
「帰りにコンビニでも寄るから大丈夫だよ。それよりお母さんずっと不機嫌そうだったけど」
朗らかな父親とは対照的に、母親は犯罪者でも見るような目つきで凪人を警戒していた。アリスが何度もたしなめても表情が緩むことはなく、父親の笑い声だけが響く異様な食卓となった。
もしあの場で凪人も一緒に食卓を囲んでいたら即嘔吐していた。それくらい居心地が悪かった。
「ママは少し潔癖で、家族以外の人間が家にいるのを嫌がるの。自分は好き勝手に海外を飛び回って私のことなんかちっとも気にしないくせに、ほんと身勝手」
早口でまくし立てるところを見るとかなり憤りを感じているようだ。
とりあえず話題を変えることにする。
「もう一人のアリサ? アリッサ? っていう子は妹なんだろう?」
「うん、血のつながった妹。正確にはAlyssa――アリッサだけど私は昔からアリサって呼んでる。いま十四歳」
十四歳。つまり中学生だ。
中学生であの身長、あのスタイル、あの顔立ち……日本人は幼く見えると言うが、それにしても世界は広い。
アリッサは「行儀が悪い」と母親に叱られながらも椅子に体育座りしてご飯を口に運んでいた。その間一言も喋らないので口に合わなかったのではと戦々恐々としていたら、まさかのおかわり要求を寄こしたのである。しかも二回。
「パパとママは私が九歳のときに離婚して、アリサはパパと一緒にフランスで暮らしてるんだけど仕事で日本に来るときは家に寄ってくれるんだよ。今回は半年ぶりだけど」
「九歳ってことは六年前か。サイン貰ってから間もなかったんだな」
「……あれ、アリサが小山内レイジのサイン貰った話したっけ?」
危うく皿を取り落としそうになった。
「や、やだなぁ、したよ。もぅばっちり。忘れたのか?」
冷や汗をかきながら取りなすとアリスはとりあえず納得したように顔を背けた。
心なしか表情が暗い。久しぶりに父と妹に会えたはずなのにちっとも嬉しそうじゃない。
「私……アリサのこと苦手なんだ。ううん、嫌いなんだと思う、たぶん」
アリスはうめくように吐き出した。
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