24.本気になってはいけない
「そうか。なら良かった」
言葉のとおりに捉えるのなら「ライバルではなくて良かった」と聞こえるのだが、どうやら違うらしい。
「アリスは愛情に飢えているんだよ。『恋に恋してる』とでも言うのかな、相手がどうこうではなくて、誰かに恋している自分が好きなんだと思う」
「なんですか……それ……」
「アリスはいい子だし、大切な友人だ。もちろん凪人のこともそうだと思ってる。だからこそ忠告する。おまえは本気になったらいけない。できるだけ長くアリスの気持ちをつなぎとめておくんだ。凪人はいい人だから問題ないけど、新たにアリスが好きになる相手がまともだという保障はないからな」
「すみません、おれにはよく分からなくて……」
愛斗がなにを言わんとしているのか分からない。混乱する。
「アリスが求めているのは小山内レイジだ。だからこそ芸能界に身を置いて彼を待っている。おれや凪人の存在は彼に至るまでの恋愛ステップに過ぎない、そう思うよ。――あ、カフェラテ一つ。カードで」
混乱しつつもその場を離れてエスプレッソマシーンを操作した。
愛斗の言葉を心の中で反すうする。
(小山内レイジ。そうか、アリスは初恋だって言ってたもんな)
夏祭りに行きたいと誘われなかったアリスは、同時に誘う勇気がなかったということでもある。そんなアリスが芸能界という複雑な世界へ飛び込んだ理由は一つ。小山内レイジをここで待つ。そう決めたからだ。
(もしレイジがおれだって知ったらアリスはどうするんだろう。いま以上に「本気」になる? でも、だとしたら凪人への態度は「本気ではない」?)
付き合っていないと言いながらどうしてこんなに動揺しているのか分からない。
考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
『しっかりするにゃ、レイジ』
突然飛び込んできた声にびっくりしてのけ反った。
「あぁ悪い。チャンネル変えるって言ったの聞こえなかったか?」
申し訳なさそうに詫びる愛斗の手にはリモコン。カウンターの上に置いてある中型テレビのものだ。
「あ、平気です。ちょっと音量に驚いて」
本当はまだ心臓がばくばくしているが、そうとは悟られないよう平静を装ってカフェラテを運んだ。テレビの中では親しい人が犯人だと知って推理をやめようとしていたレイジがまっくろ太から猫パンチされ、涙を振り絞って推理を展開していた。
凪人はある違和感に気づく。
「これ録画じゃないですよね?」
母が毎朝見ているのは六年前にビデオデッキで録画したものだ。しかしいまテレビに映っているのはデジタルリマスターのキレイな映像。
「あぁ、先月くらいからこの時間に放送しているんだ。なんでも開局七十周年の一環で、過去に人気を博したドラマやアニメを再放送しているらしい。『黒猫探偵レイジ』がこんなに面白いとは知らなかったから凪人に教えてもらって良かったよ。特にまっくろ太がキュートだ」
テレビの中のまっくろ太はCGながらも良く動いている。必要に迫られて実際の猫が登場することもあった。
愛斗はカフェラテに手を付けることも忘れてテレビに見入っている。
「こんなに面白い作品がどうして打ち切りになったんだろうな。DVDで全話観たけど最終話はとても納得できるものじゃなかった。推理は駆け足だったし、行方不明だった父の手がかりを入手した感動のラストシーンなのにレイジは喜ぶどころかか死んだような目をしていた。セリフも少なかったし、発された言葉もまるで棒読みだった」
愛斗の指摘があまりにも的確で、だからこそ凪人はなにも言えなかった。
胃の辺りをおさえて立ちすくむしかない。
長くて短い十五分が終わった。
『黒猫探偵レイジ』を見て満足した愛斗は腕時計を見ながら立ち上がる。
「そろそろ会場に行こう」
「その目立つ恰好でですか?」
「任せろ。変装には自信がある」
と言って目元が隠れる大きなサングラスをつけ、ついでに文化祭でもらったウサ耳のカチューシャを装着する。
「これをつけていると変人だと思って誰も近寄ってこないんだ。実にいいアイテムを入手した」
「ご満悦なところ悪いですけど、ただでさえ背高くて邪魔なのにウサ耳なんてされたら後ろの人が花火見えないですよ」
「あぁ、そうか」
「だいいち、そんな人と行動するおれの身にもなってくださいよ。何回吐いたって間に合いません」
しょんぼり。愛斗はものすごく残念そうにウサ耳を外した。
(ちょっと言い過ぎたかな。せっかくおれのことを気遣ってくれたのに)
心の中で反省する凪人だったが、愛斗はめげていなかった。
おおきなスポーツバッグをあさり、とあるアイテムを取り出してくる。
「仕方ない。じゃあ百均で調達した禿げ頭のカツラにするか」
「だからー、そういう問題じゃないんです!!」
結局サングラスとマスクをつけてもらい、形ばかりの変装をして会場に向かうことになった。身長の高さはどうやっても隠しようがないので、できるだけ離れた場所でアリスのステージを見守るつもりだ。
「店の自宅も戸締りオッケー。よし、行きましょう」
鍵の束をポケットに押し込むと愛斗と並んで歩き出した。会場までは徒歩だ。
電車を使うほうが早いが花火の見物客による混雑に巻き込まれたら逃げ道がないし、斉藤マナトの顔をまじまじと見られて騒ぎになるのも嫌だ。よって徒歩。
軽く一時間半はかかる距離だが隣をゆく愛斗はご機嫌らしく、時々鼻歌が聞こえてくる。
会場に近づくにつれて次第に人が増えていくが誰ひとりとして斉藤マナトには気がつかない。夕陽が落ちて辺りは暗くなっていくし、まさか芸能人がここまで堂々と歩いているとは思わないのだろう。
「……愛斗さんはまだ好きなんですか?」
なんとはなしに訊いてみた。だれの、とは言わない。
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