19.断ちきれない想い

 隣で福沢が「うわぁっ」と声にならない悲鳴を上げた。


 斉藤マナト。いまやテレビで見ない日はない人気俳優が目の前に現れてはパニックになっても仕方ない。凪人は慌てて福沢の肩を抱いた。


「福沢、落ち着け。頼むから静かにしてくれ」


 ここで叫んだら最後。一瞬にして興奮が伝わり、狭い中庭に生徒や客が押し寄せてくる。それは凪人にとって地獄を意味する。


「深呼吸だ深呼吸。いいか」


 福沢はこくこくと頷くが目の焦点がずれている。凪人はとにかく彼女が騒ぎださないようにと落ち着かせてから椅子に座らせ、残っていたペットボトルを握らせた。そうしてから愛斗に向き直る。


「え、と、焼きそばですね。すぐご用意します。お代はいいので早くここを離れてもらえませんか」


「……きみに話したいことがあるんだけど」


「おれに?」


「アリスのことで。さっきうさぎ喫茶に行ったときも休憩に入るからと入れ違いになってしまって、仕方なくじゃんけん大会で勝ったのでウサ耳をもらったんだけど」


「なにしてるんですかあなたは……ッッ」


 自分の立場を自覚しろ、と言ってやりたい。


「あれ以来、連絡がつかなくて」


 そう語り出した愛斗は、悄然と目蓋を伏せた。


「現場で会っても無視されるし、電話もメールも拒否されている。黒猫カフェで待ち伏せたらきみたちに迷惑をかけるだろう。それで結局、こんな方法しか思いつかなかったんだ」


 冷静に考えれば高校の文化祭に自分が姿を現せば混乱することくらい分かっていただろう。

 それでも来てしまうくらい愛斗は追い詰められ、なりふり構っていられなかったのだ。

 アリスへの想いが彼を突き動かしている。


「我ながら情けないと思うけど、それでもアリスと話をしたいんだ。ちゃんと謝罪したい。受け入れてくれるかどうかは分からない、でも、こんな別れ方はいやなんだ」


 少し猫背になったウサ耳の愛斗はひどく真剣で、それでいてひどく弱々しかった。


(おれにどうしろって言うんだよ)


 苦い思いが胸の内にあふれ出す。ぎゅっと目をつぶって憤りを抑え込んだ。


(どうして頼ってくるんだ。どうしておれを巻き込むんだ。おれはただ普通に生きていきたいだけなのに)


「……悪かった」


 ぽつりと吐き出された愛斗の言葉にハッと息を呑んで顔を上げた。愛斗は弱々しいながらも精一杯の笑みを浮かべている。


「俺たちのことだ、きみには関係なかったな。聞かなかったことにしてくれ」


 ゆっくりと視線をそむけて歩き出そうとする愛斗。凪人は慌てて呼び止めた。


「これ、焼きそばです」


 差し出されたビニール袋を見つめた愛斗は、一拍置いて「あぁ」と受け取った。もはや食欲はなかったが、せっかく用意されたものを断るのも悪いと思い、一方で断る気力すらも失っていたのだ。


「……中、見てもらっていいですか。あとで」


 念押しするように告げると愛斗は不思議そうな顔をしつつも小さく頷いて踵を返した。意気消沈してサングラスをつけることを忘れていたせいで、存在に気づいた女生徒たちが途端に色めきたった。


「うそマナト!?」

「まじマナトじゃんッ、やばいやばいやばいッッ」


 狭い中庭にはたちまち人が押し寄せ、シャッター音とフラッシュで騒然としてきた。

 愛斗は人ごみをかき分けて玄関に向かおうとするが前から横から人がなだれ込んでくる。当然凪人たちの屋台も人で埋め尽くされ身動きがとれなくなった。


「うわっあれマズイよね、先生呼ばないと!」


 惚けていた福沢が慌てて立ち上がったところで、ある異変に気づいた。


「ちょ――黒瀬くん、大丈夫?」


 凪人は口元を押さえて地面にうずくまっていた。顔色は悪く、全身がぶるぶると震えて額から大量の汗が流れ出ている。



(――レイジ)


 頭の中で声がする。

 凪人は必死に抗って叫んだ。


(いやだ――イヤだ、ぼくは……おれはもうレイジじゃない)



「お前たち、いい加減にしなさい」


 騒ぎを聞きつけた教員たちがわらわらと出てきて興奮した生徒たちを抑え込む。愛斗はその隙を縫うようにして中庭を出て行った。しかし女生徒たちは諦めなかった。


「マナト写真撮ってよー」

「サインー、サインちょうだいよー」


 愛斗見たさに集まってきていた生徒たちは一秒でも多く接触しようと追いかけていく。そうして嵐が去った中庭は屋台が壊れたり物が散乱したりと惨憺たる有り様だった。


(行った……みたいだな)


 人ごみが消えたことで凪人はようやくまともに呼吸できるようになった。上体を起こして思いきり空気を吸う。


「もう大丈夫なの?」


 心配そうな面持ちで福沢が傍に座り込んでいた。


「あぁ、なんとか……」


 そっと胃を撫でる。


「急に具合悪そうにするから心配しちゃったよ。尋常じゃない感じだったし」


「あぁおれ、注目されたり人ごみで熱気に当てられたりすると発作起きるんだ。嘔吐とか脂汗とか。あ、さっき食べたばっかりなのに変な話してごめんな」


 笑ってごまかそうとしたが、福沢はやけに真剣な面持ちでうつむいている。


「――ごめん」


「ん?」


「前に週番をしたとき、あたし嫌がらせしたじゃん。国語の時間だって注目浴びさせるようなことして、黒瀬くんトイレに駆け込んだもんね。そんな事情があるとは知らなかったけど、でも、ごめん」


 正座したまま深々と頭を下げてくるので凪人は慌ててやめさせた。


「そのことはもうお互いに謝っただろう。遅れたおれも悪いんだ。発作のことは誰にも話していなかったし、福沢が知らなくて当たり前だ。だからもういいんだよ」


「……そっか。黒瀬くん友だちいないもんね」


 ずばっと痛いところをついてくる。


「もしかして発作があるから友だち作らないようにしているの? 一人ぼっちで淋しくない?」


「いいんだよ。おれは苔のように地味に目立たず生きていくって決めたんだから」


「ふぅん」


 福沢はマジマジと顔を寄せてきた。「なんだよ」と思わず尻込みするくらいに。


「本当にそう思っているなら兎ノ原さんと関わったりしないんじゃない?」


 あまりにも正論を突いているので凪人は返す言葉すら思いつかなかった。


「ま、いっけどね」


 福沢はやけにスッキリした顔つきで立ち上がり、おおきく背伸びする。


「さて、と。もうすぐ14時か。あんな混乱あったし、屋台もお開きかな。ここの片づけはサボっていた男子たちにさせるから黒瀬くんは休憩行ってきなよ」


「え、いいのか?」


 立ち上がった凪人と目を合わせた福沢はとびっきりの笑顔を浮かべた。


「任せて。そのかわり斉藤マナトのベストスマイル写真、一枚でいいから送って。あの感じだと知り合いなんでしょう?」


「いや、知り合いと言うか」


「ハイ約束ね」


 無理やりに約束をとりつけると話は終わったとばかりにスマホを手に取った。


「――あ、真弓? クラスに焼きそば係の男子たちいる? すぐ中庭に来いって言ってくれない? うんそう、学級委員長の福沢がちょー怒ってるって」


 行け、とばかりに手を振られた凪人は仕方なくその場を離れた。斉藤マナトの話題で盛り上がる生徒たちを横目に廊下を突き進む。右手には携帯、左手には一枚のメモを握っていた。ふだん携帯を使わないため、番号を入力するだけでも手間取る。


(今回だけだ。Aちゃんねるの責任もあるし)


 人気のない階段下のスペースに入り込み、苦心して入力した番号をコールした。

 一回、二回と呼び出し音が響きわたる。


『はい』


 五コール目でようやく相手が出た。凪人は軽く息を吸ってから話し始める。


「おれ――凪人だけど。今日文化祭が終わったら会えないか? 話したいことがあるんだ。アリス」

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