9.デート(逆襲)

「あれ、いない」


 言われたとおりホットドックと飲みものを買ってきたのにベンチは空だった。


 こんな姿でうろついて目立ちたくないと思う一方で、急に心配になってきた。

 彼女はモデルだ。相手など掃いて捨てるほどいるだろう。

 けれど、なにも言わずに帰るとは思えない。

 自分をからかうつもりなら他にいくらでもやりようはある。


「……よし」


 覚悟を決めた凪人は迷子センターへと足を向けた。




「ぼくの手紙、読んでくれた?」


 人気のない場所を探して歩き回ったアリスは自販機の横にあるスペースで足を止めた。後ろをついてきた見知らぬ男は親しげに話しかけてくる。


「手紙って」


「ぼくの想いを書き連ねたラブレターだよ。一目で分かるよう封筒に印をつけていただろう」


「……あぁ気持ち悪いハートマークのあれね」


 ようやく目の前の男がストーカーだと判明した。


「覚えているかな? 一年前にぼくが出したファンレター。返事をくれたよね。応援ありがとう、これからもよろしくって」


「そうだっけ」


「サイン入りの写真も入っていた。その瞬間ぼくは運命の相手に出逢えたと思った」


 男は単なるファンサービスの一環を随分と大げさに捉えたようだった。


「ぼくだって身の程はわきまえているつもりさ。ぼくみたいな中年の男と美少女モデル、きっと周囲には反対されるだろう。だけど仕方ない、運命なんだから」


 ここまで熱弁されてもアリスは男の顔も名前も知らない。煮えくり返る怒りをこらえて慎重に言葉を選ぶ。


「その運命の相手の盗撮写真をどうして送りつけてきたの?」


「写真に添えたメモに書いただろう。Aliceちゃんは運命の相手なんだから変装したりウィッグをかぶって地味になる必要はないんだよ、そのままのキミが可愛いんだ」


「自宅や事務所に何度も電話をかけてきたよね」


「夜遊びしていないか心配で。だってお肌に悪いだろう。事務所にも仕事が多すぎてAliceちゃんが疲れているみたいだから休ませてやってくれって言ったんだ」


 まったく噛み合わない。

 あまりに理解できなくて心底腹が立ってきた。


「じゃあ、その運命の相手をホームから突き落として殺そうとしたのは何故?」


「殺す? ちがうよ。あれはちょっと驚かそうとしただけ。恋人同士で驚かすことよくあるじゃない。ね、Aliceちゃん」




 ―――ぷちん。

 堪忍袋の緒が派手に切れた。




「ふざけんな」


 休憩スペースにガラガランと乱暴な音が響き渡った。


「……あ、Aliceちゃん?」


 戸惑ったような男の横で空き缶が転がる。ゴミ箱を蹴り飛ばしたアリスはぎろりと睨む。


「ふざけんなって言ったッ」


 腹の底からわき上がる怒りだった。


「気持ち悪いんだよ! だれが運命の相手だ、だれが結婚を約束した、大体こっちはあんたの顔も名前も知らないし! いい大人のくせにラブレターとか盗撮とか恥を知れ、だれにも迷惑かけずイマジナリーフレンドとでも結婚してろッッ」


 二度三度とゴミ箱を蹴りつけると男は怯えた表情で後ずさりした。


「ウソつき、美人で可愛くて優しいと思っていたのに全部ウソだったんだな、そうやってぼくを騙したんだな。このウソつき――」


 パニックになった男は転がっていた空き缶を掴む。「まずい」と思ったときには振りかぶっている。アリスはとっさに顔を覆った。


(顔だけは!)


 モデルである以上、顔は命だ。キズをつけるわけにはいかないと必死だった。


「……いてっ!」


 しかし悲鳴を上げたのは別のだれか。恐る恐る前を見ると凪人が覆い被さるように守ってくれている。しきりに後頭部をさすっていた。


「なぎ……」


「危ないだろ!」


 凪人は怒鳴った。こんなに声をあらげるのは何年ぶりだろう。


「モデルの……女の子の顔に物を投げつけるってどういうことだよ! それでも本当にファンなのか!?」


 男の顔が更に引きつる。


「う、うう……ウソつき! Aliceのウソつき! もうおまえのファンなんかやめてやる!」


 捨て台詞を残してそそくさと後退する。

 途中で空き缶につまずいてひっくり返って鼻血を出しながらも「ウソつき」を繰り返して走り去った。


 恐怖と怒りで震えていたアリスの肩から力が抜けていく。そのまま魂すらも抜けそうだった。


(ウソつき? なにそれ、私は、私は……)


 風に転がされていくのは無残に潰れた空き缶。

 どんな相手であろうと一般人に対して怒鳴り散らしてしまったのは事実。更なるイメージダウンは否めない。潰れた空き缶はそんな自分の未来を示しているようだった。

 自動販売機に誇らしげに並んでいる飲み物も中身がなくなればあっさり捨てられ、誰にも見向きされなくなる。


「……良かったらこれ」


 凪人はハンカチを差し出した。アリスは無言で首を振る。凪人は困ったように笑う。


「頼むよ。いま無性にハンカチを貸したい気分なんだ。誰でもいいんだけど一番近くにいるから」


 アリスは黙って受け取ってくれた。目元を覆うように顔に当てつつ、唇には笑みが浮かんでいる。乱暴に鼻をすすって目元を拭う。


「ありがとう、助けてくれて」


「いや……なんか変な感じだったから」


 慣れないことをしたせいか吐き気がする。それでも今だけは我慢しようと思った。涙を浮かべるアリスを一人にはできない。


「見てた? ついぶちギレて癇癪起こしちゃった。きっと根に持つタイプだよね、いま以上にネットで叩かれるわー、もう回復不可能だわー、困ったなァー」


「いや、えらいよ」


「えっ?」


「さっきの人がストーカーだろ。追いかけまわされて随分怖い思いしていたはずなのに傷つけたりしなかった。すごく偉い」


「……えらくなんかないよ。私は、ずるいんだよ」


 アリスはごしごしと目をこする。ウサギのように目が赤い。


(本当にえらいよ)


 凪人は思う。本当はずっと怖かったはずだ。いつどこで誰が見張っているかもしれない。油断したところを盗撮されてネットにさらされるかもしれない。外にいる間は一瞬も気が抜けなかったはず。それなのに彼女は。


「ハンカチ、洗って返すね」


「いいよ、そんな安物。って鼻かむなー」


 モデルらしからぬ勢いで鼻をかんだアリスだったが、その顔はどこか晴れ晴れしていた。


「はースッキリした。マネージャーさんに報告して怒られてこよっと。あと社長にもちゃんと話ししないと。凪人くん今日は付き合ってくれてありがとうね、約束通り写真は消しておくから」


「助かるよ」


 ほっと胸をなで下ろした。これで苔生活も順調だ。

 と、安堵した矢先、腕を掴まれる。


「そのかわりお礼させて」


 アリスが身を乗り出してくる。身長差はほとんどない。

 彫刻のような顔がすぐ間近まで迫ってきて唇をふさごうとする。



(……ちょっ……)



 そこへ、


『お客様のお呼び出しを申し上げます。葵町からお越しのウサギさま、ウサギさま、黒猫さまがお探しです。至急……』


 館内放送が入った。あとわずかというところで動きを止めたアリスは不機嫌そうな顔をする。


「なにこれ」


「あ、迷子かなと思って、あははは」



 ――こうして凪人の受難は去り、アリスは華やかなモデルの世界へと戻っていった。

 めでたしめでたし。



  ※



 翌週、登校した凪人を待ち構えていたのは信じられない事態だった。


(ウソ……だろ)


 驚きのあまり言葉が出ない。

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