8.デート(異常発生)

「なんとなく、だけどな。やり方があからさまだからそう思っただけだ」


 それは半分嘘だった。


 小山内レイジであったころ、凪人に求められていたのは「子供らしい」純粋さと賢さ。いろんな勉強をさせられ、スポーツをさせられ、大人に媚びる方法を教わってきた。世間が抱く「小山内レイジ」のイメージを壊さないよう言動にも気を遣い、いつも傍らでマネージャーに監視されていた。


 アリスも同じなのだ。きっと「Alice」を演じている。


「でも分からない。どうしてそこまでするかが」


「そんなの決まってるじゃない」


 アリスはふんと鼻を鳴らした。


「売れたいから。それが理由じゃあダメ? 私はどんな手を使ってでも有名になりたい」


「なんで?」


「なんででも! 私モデルとしては身長低い方だし、顔と髪色以外は目立ったところないし特技もない。だから社長さんが手っ取り早く売れるにはこれが一番だって……」


「そのせいでストーカーに怯えてるんだろ。事務所は守ってくれてるのか?」


「……被害届を出すのは待てって。いちばん同情を買いやすいタイミングで指示するからって」


「自分の命まで事務所に預けるのか?」


「だって……仕方ないじゃない。私にはなにもないんだから」


 堂々巡りだった。

 「売れたい」という一点で合意している事務所側とアリスの結びつきは強い。部外者である凪人が入り込む余地などないのだ。


 けれど。


「自分が何者なのか分からなくなる気持ち、おれにも分かるよ。いまだって分からない。黒瀬凪人ってなにって聞かれたらなんにも答えられない」


「そういうの不安じゃない?」


「不安だけど他人に採点を任せるなんてヤダな。結局自分で落としどころを見つけるしかない。決めるのは自分なんだ。他人なんかに決めつけられたくない。おれはそう思う。おまえは?」


「……私は……」


 問いかけられたアリスは驚いている、というよりは呆れたような顔をして――。


「……ぷ、ぷふふふふ、くくくくく」


 腹を抱えて大爆笑しはじめた。

 周りの客たちが不審そうに振り返るので凪人は慌てて手を掴んで歩き出す。

 人のいないところを探して歩き回った凪人は屋内から外へと出た。焼けつくような日差しが肌を刺す。空いているベンチを探してアリスを座らせた。


「あーおかし、あー笑いすぎてお腹痛い、あっついー」


 涙目になりながらも笑い続け、自分の帽子を団扇がわりに扇いでいる。


「いつまで笑ってるんだよ……」


「ごめんなさい、ちょっとセンチメンタルな演技したら凪人くんがあんまりにも真面目な顔したのがおかしくて」


(演技だとぉっ!)


「ごめんってば。ふだんの仏頂面よりああいう顔している方がカッコイイよ。私のお墨付き」


「悪かったな無愛想で」


「褒めただけなのにどうして怒るかな? それともギャップがいいのかな。私を助けてくれたときなんか必死な顔していたもんね」


 あのとき無我夢中だった凪人は自分がどんな顔していたかなんて分からない。けれど少なくともアリスの心には強く残っているのだ。


 そこでふと思った。

 このデートはもしやストーカーのためではなく。


「あのさ。もしこのデートが口止めの一環だっていうなら、誰にも言いふらさないって」


「半分アタリで半分ハズレ。私は痴漢から守ってくれた優しい人に恩返しがしたかったの。ミッションなんて嘘。まぁ、そうなればいいけど」


「痴漢……まぁ、気持ちだけでいいよ。モデルのAliceと直接話せただけでもう十分だ」


「欲がないんだね。友だちになりたいとか連絡先交換したいとか。なんならモデル仲間も紹介できるよ?」


「そういうのはいい。……目立ちたくないんだよ」


「吐いちゃうから?」


 あっさりと核心を突いてくる。


「この前吐きそうだったよね。あれ、周りに注目されたからでしょう。人込みがダメなら電車に乗る選択肢はまずないだろうし、学校にも通っていないはず。嘔吐用の袋を常備していなかったのはそれだけ目立たず行動できていたってことでしょう」


「……分かっているなら傷口に塩を塗るようなことはせずに放っておいてくれ」


 関わらないで欲しい、と言外に突き放したつもりだった。わずかな時間で凪人の状況を察した頭の良い彼女ならすぐに理解できるはずだ。


 しかしアリスは塩をまぶすようなジェスチャーをする。


「どうして? リンゴもスイカも塩ふるとより美味しくなるんだよ?」


(なんでいきなりバカになるんだよ)


「だって私、凪人くんのこともっと美味しく味わいたいもん」


「アホか」


 わざとそうやっているのだと分かっていても呆れるしかなかった。



 目の前のプールではペンギンたちが気持ちよさそうに泳いでいる。ちょうど食事タイムで、係員が配る魚を美味しそうについばんでいた。


「ペンギンのお食事タイム見ていたらお腹空いちゃったねー」


 笑ってお腹をさするアリスを見ていると凪人も空腹を覚えた。


「私、売店でなにか買ってくるよ、デートに付き合わせたお礼に」


 そう言って腰を浮かせたので慌てて制した。


「おれが行く。チケット代を払ってもらったし、貸し借りはなしにしたいんだ」


「じゃあお言葉に甘えようかな。私、チリホットドックが食べたいです」


「すぐ買ってくるからここで待ってろよ。右往左往して目立ちたくないから」


「うん。ありがとう、黒猫くん」


 うまく扱われているような気がするが、まぁいいかと諦めてしまえる。


 炎上が代名詞となっているアリスだが、それは本人の意思ではない。売れるという甘言に踊らされ業火の真ん中で身動きとれずに焼かれているだけだ。


 出会って日の浅い凪人には自ら炎の中に飛び込んでアリスを救い出すほどの勇気はない。

 けれど少しでも元気を取り戻したのなら、それでいい。

 レイジは鳴いている猫と女の子の味方なのだ。


(なんて、今日以降会うことはないだろうけどな)



 ※



(さて、と)


 ベンチに深く腰かけたアリスはスマホで撮った写真を確認していた。いかにもデートを楽しんでいるようなもので、他人が映り込んでいないものを探していく。


(ペンギンが泳ぐトンネルと、ジンベイザメの遊泳、あとは)


 アルバムを眺めていると水槽に凪人が映り込んでいる写真を見つけた。

 まるで初めて来た子どものように目を輝かせている。その横顔にはレイジの面影が確かにあった。


(さっきは、びっくりしたなぁ)


 事務所の指示だと一瞬で見抜かれた。

 売れたいのなら悪行を重ねるほうが手っ取りばやい。そうして日本中に敵を作ったところで被害届を出して公にしたなら、世間の人々は手のひらを反して「かわいそう」だと同情してくれる。

 機が熟すまでひたすらに自分を貶めていく。いまはそれしかない。

 そう言われてAちゃんねるで火事を起こしてきた。


(でもそんなことをしている間にどんどん目標から遠のいている気がしたんだよね。でも誰にも相談できなくて)


 そんな苦しさを察してくれた。

 まだ三回しか会っていない相手に。


 だから演技だったと茶化して誤魔化した。これ以上踏み込まれたくなくて。


(凪人くんって何者なんだろう)


 写真にじっと目を凝らしていると一度目の前を横切った人影がわざわざ戻ってきてアリスの隣に腰かけた。


「すみません」


 どきっとした。相手はこちらを覗き込むように体を傾けてくる。


「は……」


 スマホを構えたまま顔を上げる。そこにいたのは中年の男性だった。白髪交じりの髪は乱れているわけでもなく、ハイネックのシャツにジーンズと至ってまともな格好をしている。人当りの良さそうな笑顔を浮かべ、娘にでも話しかけるように近づいてくる。


「デートだって? どうせ脅されたかなんかで無理やり連れてこられたんでしょう? 心配だから来ちゃったよ、Aliceちゃん。ぼくのこと覚えてる?」

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