7.デート(ミッション満喫中)

 水族館内でのアリスのテンションは異様だった。


「やばいやばいやばい、チョウチンアンコウ! キモイ、可愛い、美味しそう!」


「おまえあれだろサバの大群見たあとにサバ定食食べるタイプだろ」


「サバ美味しいよね。大ー好き」


 しかしテンションが異様なのは凪人も同様で。


「見て見て見てチンアナゴだって。にょろにょろー」


「ガラスを叩くな、シャッターチャンスなのに引っ込んじゃっただろう」


 カメラとパンフレットを手にすべての水槽を見て回った。


「おおー、ジンベイザメ、おおきいけど優しい目しているね」


「説明によると、魚類の中では最大だって。そのくせプランクトンや小魚が主食らしい」


「見せて見せてー」


 凪人が見ているパンフレットをひょいっと覗き込んでくる。距離が迫るだけで心臓がドキッと鳴った。


(おれ、なにしてるんだろう)


 水族館を本気で満喫している。これでは本当にデートだ。


「こうやって外で遊ぶのは久しぶりだなー。……ね、恋人らしく手とかつないでみる?」


 アリスはからかうように手を伸ばしてきた。


「いや、それはちょっと」


「カップル万歳!」


 ものすごく強引に、しかも訳の分からないセリフとともに手を握られる。

 こんなことをしていたら周りに注目される……と思ったが、


「誰も見てないよ」


 アリスの笑い声で気づいた。


 客たちはそれぞれの水槽に夢中で、誰ひとりとして凪人に注目していない。

 ここはそういうところなのだ。


(ほんと、なにしてるんだろ、おれ)


 呆れつつも手を振り払えない。それどころかもっと強く握ってほしいとすら思っている。

 こんな気持ちは初めてだった。



「――ねぇ、私のこと調べてみた?」


 水槽の青白い光を受けたアリスが何事もないように呟く。


「……いや。なにも」


「嘘が下手だね」


 鼻先に指を突きつけられた。


「鼻膨らんでるよ」


 指摘されて慌てて鼻を押さえたが、動揺しているのは見抜かれていた。


「少しだけだよ。調べなかったら怒られそうだったから」


「……ありがとう」


 アリスはつないでいた手を離して背中を向ける。


「なかなか面白かったでしょう? 私は小学校ではいじめ相手を自殺未遂にまで追い込み、中学では非行を繰り返して補導され、高校では男遊びに忙しいらしいよ」


「どうせデマばっかりだろう。噂なんて尾びれ背びれがつく。ネットなんて特に」


「でも事実として私は歯ブラシ騒動を起こしたし、他にもいくつか被害を訴えられてるんだ。身に覚えのないでっちあげばかりだけどね。この前だって生着替えに挑戦してわざと失敗したし、仲の良かったモデル仲間の悪口をいっぱい話した」


 自分の悪事を得意げに語る一方、アリスは少しずつうつむいていく。


「この前ファンは三千人いるって言ったけど、アンチはその三倍以上いてアンチファンクラブを作ってるんだ。きっと私が死んだらこぞって花を贈ってくれると思うよ。なんなら記念日になるかも」


 アリスはガラスに手をついて魚たちを眺めている。

 青白い光に彩られた横顔はどこか淋しそうだ。


「私ね、水槽の中の魚をちょっと尊敬しているんだ。だってこの子たち生きている間はずぅっと人間に見られているんだよ。食事もトイレも交尾さえも丸見え。私なら気が狂いそう。だけど平然としている。でももしそれだけの覚悟ができたのなら、もっと売れるのかなぁって考えちゃう」


「おまえは水族館の魚じゃないだろ」


「でも似たようなものだよ。水槽がカメラのレンズに代わっているだけ。でもそれでも不十分なの。素のままの私はとっても未熟。だからフィルターを挟む。……私、どうしても負けたくない相手がいるの。だから自分が載っているページが一ミリでも増えるためならどんな『設定』だって受け入れてやるつもり」


 とんでもない覚悟だ。

 と、感心した。


 とんでもなくバカげた覚悟だ。

 と、呆れた。


「おれにはよく分からないけど――その辺の悪事って全部、事務所の指示なんだろう?」


「えっ」


 驚いたように振り向くアリス。

 図星を当てられたというよりは、気づかれたくなかったと顔に書いてある。

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