第3話 夜はどの猫も灰色に見える

次の日、始業3分前になっても川名は来なかった。

藍川が青い顔をしながら近づいてくる。


「ど、どうしよ。川名遅刻かなあ?」


「か、かもね。」


俺も動揺が隠せない。あいつはもう遅刻しないと思ったのだけれど。

と、そこで藍川の携帯が音を立てた。


「あ、川名からラインきた!」


急いで携帯を操作する藍川は、見る見るうちに顔を青くしていった。


「川名……遅刻するって。」


マジかよ。あいつを信用した俺が馬鹿だったのか。

が、続く言葉が俺の不安をかき消した。


「通学路で迷子になってる子供を助けたって……。」


俺は間違ってはいなかったらしい。


「そうか。良かった。」


短く答えた瞬間、始業を告げる鐘が鳴った。


島田が入ってきて、教室をぐるりと見渡す。

前方にある空席を確認して、口角が吊り上げた。


「川名は欠席か?」


意地の悪い顔で聞く。

俺は、答えない。藍川も、答えない。

今ではない。わかっている。


何も言わない俺たちを見て、島田は冷めた顔でホームルームを始めた。


「伝達は以上。川名が来たら俺の元へ来るように伝えろ。西条もだ。」


俺を睨みつけて島田が教室を出ようとした時だった。


「はあ……っ。はあっ……。」


ドアが開いて、息も絶え絶えの川名が倒れ込むように入ってきた。


教室の空気が凍る。丁度、あの日のように。


島田は、静かに川名の前に立った。


「なあ。」


高圧的な態度。川名は顔を上げずに力なく答える。


「……はい。」


「俺、遅刻すんなって言わなかったか?」


「……言いました。」


「だよな。お前、何してんの?」


島田の表情は変わらない。淡々と、威圧的な言葉で川名を追い詰めていく。


川名は何も言わない。言っても無駄だとわかっているから。


「あー、黙るんだ。いいよ別に、何言ってもお前が遅刻したって事実は変わらないし。」


へらへらと笑う島田だが、目は笑っていない。


「俺はさ、嘘をつくやつが嫌いなんだよ。守れない約束すんなよ。ガキじゃねえだろ。」


またこれだ。一見正しいことを言っているように聞こえるけれど、事実こいつの言っていることはただの約束の押しつけだ。

本当にくだらない。


「約束破ったんだからさ、誠意見せてくれよ。」


島田は畳み掛ける。俯いて何も言わない川名に、上から好き勝手にものを言っていく。


「わかんない?土下座しろよ。」


そう来たか。いや、そうだろうとは思っていたけれど。本当に土下座なんて意味の無いことをさせるとは思わなかったのだ。


そして、あろう事か島田は次の手段へ出た。


「どーげーざ!どーげーざ!」


手を叩いて音頭を取り出したのだ。子供かよお前は。

こんなのに乗っかるやつがいるのか、と思う人もいるかもしれない。

けれど、このクラスの奴らはそうなのだ。


「……どーげーざ!」


案の定、授業中に良く発言する男子が手を叩き始めた。

こいつらは基本的に、強いやつに弱い。

長い物に巻かれることを第一に考えているので、島田と川名を天秤にかけた結果こいういう行動に出ている。


そして、1人目が出てからは早い。

2人、3人と手を叩いて叫び始める。

あっという間に土下座の大合唱が教室を埋め尽くす。


川名は、呆然とそれを見ていた。

教室が、彼女の生きる小さな世界が、自分に牙を剥くのを見ていた。

何もせず、何も出来ず、何も言わずに立っていた。

そうすることしかできなかった。


コールは続く。

突然、川名が顔を伏せた。

泣く、のだろう。泣かされるやつを大勢見てきたから分かる。彼女は今から声を上げて泣く。世の中の不条理に押し潰されながら泣く。


ふと、横に視線をやる。

藍川は、とっくに泣いていた。

友人が独裁者と集団心理に殺されていくのを見て、泣いていた。

「私に任せて」と胸を張っていた彼女にも、この局面は重すぎた。


なら、俺しかいないのだ。

出来るのは、ではない。やるのは俺しかいないのだ。

ここで言わなければ、俺は「俺」でなくなるのだ。

俺の好きな俺が死んでいくのも、俺に頭を下げた少女が殺されていくのも見たくはないのだ。


今だ、今しかない。

立て、怖いのは知っている。弱いのも分かっている。

でも、今の俺しかいないのだ。

綺麗事を並べる前に、震える膝を押さえて立つしかないのだ。


俺なら、出来る。なぜなら、俺は頭がおかしいから。


「おい。」


コールが止む。視線が俺を突き刺す。


ゆっくりと、川名の元へと歩いていく。


はじめにやらなければ行けないことは、一つ。


「俺が島田よりやばい人間である」ことを証明することだ。


教室という狭い、閉ざされた空間においてその支配権というものは「強い」者が手にするものだ。


なんでもいい。身体が大きいでも、声が大きいでも、運動ができるでも。

ただ、それでは時間がかかる。

だから、俺に残された選択肢は一つだけ。


「申し訳ありませんでした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


両手と両膝を床につけ、勢いよく頭を下げる。

勢い余って額が床へと激突するが、何度も何度も頭を下げる。


教室の音は死んでいる。俺の額が床を打ちつける音だけが響いている。

血が滴っている。額が擦り切れている。

これでいい。いや、こうでなければダメだ。


俺は静かに立ち上がる。

生徒は、呆然と俺を見つめている。

島田も、呆気に取られて何も喋らない。


今しかない。


「これで責任は取った。文句あるか?」


血塗れの顔で教室を見回す俺に口を出すものはいなかった。

今、この教室で一番強い発言権を持っているのは俺だ。


持っていくなら今しかない。


「おい、好き勝手言ってくれたなクソ教師。」


無言の島田に向き直る。


「お前のクソみたいな自分ルールの押しつけが生んだのがこの状況だ。」


「教師って立場を利用して子供でストレス発散するのは楽しいよな?分かるよ。

理解はしないけど。」


「川名はお前と違ってルールを守ってたよ。

お前に言われた通り、誰にも迷惑かけないようにお前のクソみたいな言いつけを守ってた。」


「今日だって迷子の子供を助けたから遅れた。それをお前は勝手に決めつけてわーわー騒いでたな。猿かよお前は、言葉が通じねーのはお前だよ。」


「なんで黙ってんの?ガキじゃねーんだからさ、責任取れよ。なあ。」


ここまで言っても、まだ十分ではない。

掴みは上々だ。後は状況ごとひっくり返さなければいけない。


「お前が悪いんだろ?生徒のせいにすんなよ。大人だろ?教師だろ?責任の取り方教えてくれよ。」


「俺はお前みたいな図体だけの猿が担任なんて御免だよ。お前の大好きな生徒はどう思ってんだろうな。」


ここが、一番重要だ。

ここで俺の読みが違えば、俺は終わる。

不安要素は多い。全てを排除はできない。

けれど、このクラスの奴らなら。

無責任なこいつらならば。


「こいつに担任続けて欲しいやつ、手挙げてよ。」


止めの一撃。

これで手を挙げる奴がいなければ、俺の勝ちだ。


「……」


誰も、何も言わない。

「手を挙げる」という能動的な動作に加え、今最も強い発言権を持つ俺に対しての反抗。

この状況で手を挙げられるほど頭のおかしい奴は、このクラスにはいなかった。


「いなかったな。お疲れ、もういらないよお前。」


島田は、何も言わない。

唇を噛んで、俯いている。先刻までの川名のように。

やがて、ゆっくりと歩き出す。

俺の横を抜け、川名の隣を歩き、教室のドアを出ていく。


俺の、俺らの勝ちだ。


が、これで終わりではない。


俺という支配者がいなくなってから、集団というものの真価が試される。


俺も黙って教室を出る。ぽたぽたと滴る血を拭いながら、階段を下る。


これで良かったのだ。


背後から、騒ぎ声が聞こえてくる。

そうだ。騒げ。今の出来事を大袈裟に受け止めろ。俺の異常さを、島田の醜態を伝えろ。


本棟を出て、別棟へと向かう。

この時間ならICT室は空いているだろうし、きっと授業で使っているクラスもない。

休むには格好の場所だ。


いつものソファーへ腰掛けて、大きくため息をつく。

取り返しのつかないことをした。良い意味でも、悪い意味でも。

制服の袖で擦り切れた額をおさえる。

今後の自分の学校生活を想像しながら肩を落とす。


「あー……どうしよ。」


今回の件で、俺は確実に悪目立ちをした。

俺と関わりを持とうとするものは消え、俺は無きものとして扱われるだろう。

当たり前だ。誰も爆弾の隣で生きていたいとは思わない。


少しぼーっとしていると、ICT室のドアが開く音がした。

授業だろうか、見られたら厄介だな。と霞む頭で考える。


「おい……おい!」


聞き覚えのある声だった。

ソファーに仰向けに転がる俺を見下ろすように、川名が立っていた。

川名は、泣いていた。

震える声で俺を呼んでいた。震える足でそこに立っていた。


「なんで……っ。」


なんでと言われても。思わず笑みが溢れる。


「心配すんなって、言ったじゃん。」


川名の大きな目が、更に見開かれる。

涙袋に溜められていた雫が、ぽたぽたと俺の頬へ落ちる。


川名は、もう謝らなかった。

子供のように俺に縋って、泣きながら「ありがとう」と何度も何度も告げていた。


なんだ、やっぱり不器用なだけじゃないか。

俺ほどじゃないけれど。


静かに、瞼を閉じる。


俺は、頭のおかしい俺が好きだ。

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俺は頭がおかしい 明名 冥 @yuunaginagi

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