第2話 真実は目に痛い

ホームルームが終わって、その日は解散だった。


青白い顔をした佐竹が恐る恐る話しかけてくる。


「おい……やべーよお前……なんであんなことしたんだよ……。」


確かに俺はやべーけれども、あれを黙って見ているお前らも相当やべーと思うが。

が、ここでそんなことを言っても痛いやつだと思われそうなのでお茶を濁しておく。


「いや、新クラスだし目立ちたくて。」


自分でも意味がわからない。目立ち方にも善し悪しがあるだろう。

が、佐竹は単純なので勝手に納得してくれる。


「あ、お前あれだろ。川名のこと狙ってんだろ。」


「川名?」


「あの遅刻してきたやつだよ!名前も知らねーのかよ。」


呆れたと言わんばかりに手をひらひらと振る佐竹に内心イラっときつつ、会話を続ける。


「有名なの?川名って。」


佐竹は待ってましたとばかりに身を乗り出してくる。

こんな見た目でミーハーなのかこいつ。


「あの見た目だから最初はすげー人気あったんだけどさ。性格がアレだから今は腫れ物扱いされてんだよね。お前も気つけた方がいいぜ?」


こいつは相変わらず語彙力がアレなので何を言いたいのか分からないけれど、あいつが性格に問題を抱えていることはわかった。

まあまともなやつは登校初日に遅刻はしないし。


「へー、まあ格好も不良って感じだしな。」


何気なく相槌を打ったところで、そういえばこいつも不良だったなと気づいた。


「芥も人のこと言えねーだろ、ピアスしてるし。なんだその腕のやつ。」


そう、この学校はあまり校則にうるさくないのでピアスや染髪も軽く注意されるくらいで済むのだ。

ついでに俺は腕に大量の装飾品をぶら下げている。

その数約15本。良くアフリカの呪術師と間違われる。


そんな他愛もない会話をしつつ、帰り支度をしていた時だった。


「おい。」


初対面の相手においはねーだろ。と思いつつも振り返ると、そこには川名が立っていた。


「……なんだよ。」


引け目でも感じているのだろうか。と思ったけれど、川名は仁王立ちで俺を睨みつけていた。

助け船を出してくれた相手にこの態度とは、こいつは相当イカれているらしい。

俺だったら初日にあんな醜態を晒して平静は保っていられないけれど。


「余計なことすんな。迷惑なんだけど。」


マジかよ……。予想はしていたけれど、本当にこんな奴がいるのか。

川名もプライドが高いタイプのようで、大勢の前で恥をかかされて悔しかったのだろう。

だとしてもこれはないけれど……。


「あ……ごめん。」


俺は基本的に気が小さいのですぐに謝る。相手が女子なら尚更だ。


俺が謝ると、川名は表情を変えずに振り返って去っていった。

マジでなんなんだあいつ……。


「やべー……やべーよあいつ……。」


佐竹も後ろでビビっていた。不良じゃねーのかよお前は。


ぶるぶる震えている佐竹を置いて、鞄を肩にかける。


「俺、ちょっと用事あるから帰っててくれ。」


「お……おう……。」


佐竹がぎこちなく頷いたのを確認して、教室を後にする。


別に用事がある訳では無い。強いていえば暇を潰さなければならないのだ。

というか、家に帰ってもやることがないだけなのだが。


階段を降りて、別棟へと向かう。

この学校は本棟と別棟に分かれており、クラスや職員室等がある本棟と違って別棟には図書室や家庭科室を始めとした教科室が多く置かれているのだ。

ちなみに部室も大体ここにある。


3階に到着し、ICT室へ入る。

ここは授業などで使うコンピューターが配置してある部屋なのだが、生徒も自由に使用できる上に何故かソファーやテーブルが並べられているのでよく生徒が入り浸っているのだ。


流石に登校初日ということもあり、ICT室に生徒は少なかった。

3、4人だろうか。必死に画面を睨みつけているもの、本を読んでいるもの、あとは……


なんだあいつは?


そいつは、長い黒髪を真っ直ぐ伸ばした女子だった。

そいつは、他の生徒と同じように画面を見つめていた。

それはいい。が、画面に映っているものがおかしかった。


HIKAKINだった。


あろう事かそいつは学校のコンピューターでYouTubeを視聴して爆笑していた。

いや、そんな笑うほどHIKAKINは面白くないだろ。


ああいうやつは絡むと面倒なことになる。

俺は静かに無人のソファーへと移動して腰掛けた。

鞄から「カメ九郎」を取り出して肘置きにする。

ちなみに、カメ九郎はめちゃくちゃでかい亀のぬいぐるみだ。

何故そんなものを持ち歩いているのかと言うと、大した話ではない。

キャラ作りだ。「いい歳してクソでかいカメのぬいぐるみを持ち歩いているやつ」は面白いだろうと思って常に鞄に入れている。

ついでに言うとカメ九郎はリーズナブルだ。

1mを超える巨体でありながら2000円くらいしかしない。買い得だ。


カメ九郎のついでにカバーのついた文庫本を取り出して開く。

眉間に皺を寄せて読んでいるが、これはライトノベルだ。

教室で読んで同級生にバレてオタク扱いされるのが怖いのでここで読むことにしている。


俺は断じてオタクではない。ラノベも読むしアニメも読むけれど、オタクではない。

コミケにも行くし、漫画も好きだけれどオタクではない。

いや、オタクなのだろうけれど。オタクと呼ばれるのが嫌だ。俺は俺なのだ。

多分、誰にもわかってもらえないので「オタク」と思われそうな行動は人前では慎むようにしているが。


ラノベを半分ほど読んだところで、嫉妬心が最高潮に至った。

俺は恋愛ものが嫌いだ。俺以外の人間が俺を蚊帳の外に青春を謳歌しているのが気に食わない。

じゃあそんな本買うなよ、と言われるかもしれないが、それは違うのだ。

俺は恋愛ものが嫌いだが、ひとつの事実としてこれを認識することが好きなのだ。


「こんな青春がこれから俺に訪れるかも」という妄想が、俺を上機嫌にさせる。

冴えない男がある日突然美少女に好意を抱かれて、波乱万丈の青春を送っていく。

そんな有り得ない物語が好きなのだ。


これを聞くと大概の人間は、「現実と物語の区別がつかない恋愛脳」と俺を蔑むのだが、それも見当違いだ。


俺はそもそも恋愛というものを信じていない。

というか、女性というものを信用していない。

俺が中学生の時に入り浸っていた掲示板の住人は口を揃えて「女はクソ」「男を金蔓としか見ていない」と言っていた。


モテない男性の嫉妬と一笑されてもおかしくない戯言だが、当時の俺にはこれが真実に思えて仕方がなかった。


そもそも、男性が女性を求めるのは子孫を残したいが故だ。女性はその為に経済力のある男性を求める。

おかしい所はない、不変の自然の摂理だ。

だからこそ、この世に純粋な愛は存在しないのだ。

誰も彼も人の内面を見ていない。

お互いの身体と財布以外眼中に無いのだ。

悲しいけれど、これが事実だ。故に俺は恋愛というものを信じていない。


そんなことを言うお前は矛盾している、と言われる。

その通りだ。俺は矛盾している。相反している。頭がおかしい。

だからなんだ?俺はそんな俺が好きだ。

俺を俺より知らないくせに偉そうに俺を語るな。


そんなことを一人頭の中で考えていると、がさがさと音がした。


誰か来たのか?ソファーに座りたかったのだろうか。などと考えていると、隣に誰かが座った気配がした。


「ねえ、それ。」


横を見ると、あの女だった。

HIKAKINを見て爆笑していた女。

大口を開けていなければ意外と端正な顔立ちをしている。

その女が指さす先には、カメ九郎が押し潰されていた。

慌てて肘を退ける。


「こ、これ?」


声がうわずる。俺は女と話すのが苦手だ。

男相手なら何も考えなくていいけれど、女が相手だと「なにか気の利いたことを言わなければ」という強迫観念に駆られる。


女は面白いものが好きなのだ、と在りし日の掲示板の住人が言っていた。


「そう、なんでカメ?」


そこかよ。こいつも大概ズレている。

何故カメなのかと言われれば、さっき述べた通りなのだが……。

気の利いたセリフを言わなければ。

思考が混乱して、正常な判断が出来なくなってくる。


「俺、浦島太郎だから……。」


最悪の一言だった。何も面白くない上に意味不明。俺がこんなことを言われたらぶん殴ってしまう。


「おお……そうなん……。」


案の定女子の方は困惑していた。いっそ殺してくれ。


「あの、さ。」


そいつは急に真面目な顔になり、俺の目を見つめてくる。

俺は人と目を合わせることが出来ない。

思わず視線を外すと、予想外の一言が飛んできた。


「ありがとね。さっきの。」


さっきの?HRのことだろうか。


「私、川名と結構仲良くてさ。私が言うべきだった。ごめん。」


頭を下げるそいつは凄く真剣そうで、とてもさっきまでYouTubeを見て大笑いしていた女とは思えなかった。

けれど、この謝罪は見当違いだ。

謝るべきは川名でもこいつでもなく、あのクソ教師なのだから。


「い、いや。べべ別に……。」


格好つけようとしたらめちゃめちゃ吃ってしまった。早く俺を殺してくれ。


そいつはくすりと笑って続ける。


「私、藍川。よろしくね、浦島くん。」


顔が熱くなるのを感じる。なんでこんな辱めを受けなければいけないのだ。

差し出された白い手を見つめて、数秒思考する。

女子の手に触れるというのはセクハラになるのか?いや、でもこの場合相手から差し出してきているのだから合意の上なのか?

悩んだ挙句、俺は誤魔化すことにした。


「か、川名はいつもあんな感じなの?」


右手を残念そうに引っ込めた藍川は、人差し指を顎に当てて少し考える。


「んー……不器用なんだよね。あの子は。」


確かに、不器用そうだ。不器用以前に色々問題はあると思うが。


「さっきも、かなり気にしててさ。見てるこっちがキツかったよ。

『色んな人に迷惑かけちゃった』『どうしよう』っておろおろして、見てらんない。」


意外がった。あいつもそんなことを言うのか。

なおさら、さっきの俺への発言への謎は深まるけれど。


「ああいう事はなくもないんだけどさ。あいつ、いつも孤立してたから。

今回みたいに誰かに助けてもらったことないんだよね。」


なるほど、だから『余計なことをするな』か。余程不器用な人間なのだろう。


「私が言えばいいんだけどね。……なんか、勇気が出なくて。」


「……普通だよ。それが。」


そう、普通なのだ。皆、悪目立ちをするのが怖い。集団から外れるのが怖い。

後ろ指を刺されるのが怖い。

言えなくて当然、言わないのが正義なのだ。

だから、俺は言う。

声を発しなければ、何も変わらない。

崇高な理念なんてない。俺は気に入らないから好きなようにやる。

もしかしたら、俺の方が彼女より不器用なのかもしれない。


「もう、遅刻はしないって決意してたから大丈夫だと思うけど……。

何かあったら、私に任せて。色々ごめんね。」


だから、謝らなくていいのに。

そんなことを言える訳もなく、俺は黙って頷く。


藍川は寂しそうに微笑んで、ソファーを立った。


「でかっ。」


思わず口に出してから、失言だったと気づいた。

いや、本当にでかいのだ、この女。

ためしに立ってみても、俺と大して変わらない。むしろこいつの方が大きい。


口を押さえる俺を見て、彼女は楽しげに笑った。


「でしょー?こんなんだからモテなくてさー。分けてあげたいよ。」


いや、モテないというより敬遠されているというのが正しいだろう。

この長身に端正な顔、普通の男だったら隣に立つと劣等感に押し潰される。

俺は、スタイルのいい女性が好きだ。

いや、性的にどうとかではなくて普通にかっこいいので憧れている。

なんなら俺もこの身長のまま女になりたい。


「かっけー……。」


呟きが盛れてしまった。

またも口を押さえると、藍川は目を丸くしていた。


「……はじめて言われた。変なやつ。」


笑いを堪えながら去っていく藍川を見送って、頭を抱えた。

完全にやってしまった。

浦島太郎に続いてこの失言。俺は完全に満足にコミュニケーションが出来ないやつだと思われただろう。

時間、巻き戻らねーかな。

いや……巻き戻っても同じか。






意外なことに、次の日から川名は遅刻をしなくなった。

授業も寝てはいるけれどちゃんと出席しているし、友達は藍川以外いない様だけれど目立った問題も起こしていない。

友達がいないのは俺も同じだが。


「西条、購買いこーぜ、購買。」


大声を上げながら近づいてくるやつがいる。

そう、俺の唯一友達と言える友達、佐竹だ。

こんなのを友達と認めたくはないのだが、こいつは案が良い奴だった。馬鹿なところを無視すれば。


階段を下って購買へと向かう。

購買のある2階は既に大勢の生徒でごった返しており、まともに近づくことさえできない。

しかし、俺には大した問題ではない。

食品が並んでいる机の一番端、誰も買おうとしない商品が俺の昼飯だ。


「これください。」


「はい、激辛ハバネロパンね!」


そう、俺の昼飯は激辛ハバネロパンだ。

あまりの辛さと不味さに誰も購入しようとしないが、俺はこの痛みとも言える辛さの虜になってしまった。

誰も買わないこの商品の生命線は俺が握っているのだ。


メロンパンとハンバーガーを購入して人混みを抜けてきた佐竹と合流し、教室へ戻る。


「うわ、お前またそれかよ……。」


ハバネロパンを見てドン引きしている佐竹に憤慨しながら教室へ入ると、俺の机に川名が座っていた。


え?何?怖いんだけど。本当に何?


困惑している俺と背中で震えている佐竹を見て、川名が静かに立ち上がる。


「この間はごめん。あの言い方はなかった。」


深々と頭を下げた。


さらさらと流れるショートボブの白髪に目を奪われる。

ああ、やっぱり不器用なんだなこいつ。


プライドの高いこいつが、教室という場所で俺に頭を下げている。

これが、川名なりの誠意の見せ方なのだ。


なら、俺も誠意を見せなければいけない。

空気に流されたとか、女子に良いところを見せたかったとか、そんな下らない理由でお前を助けた訳ではないということを示さなければいけない。


「気にすんな、あと心配すんな。」


言ってから、ちょっと格好つけ過ぎたな。と後悔する。


川名が去った後、教室の後方でハバネロパンを貪りながら考える。

後は、俺が口だけでないことを証明するだけだ。

待ってろよクソ教師。二度とでかい顔出来ないようにしてやるよ。

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