俺は頭がおかしい

明名 冥

第1話 猫には玩具 鼠に涙

初めに言っておくが、俺は頭がおかしい。

俺は頭がおかしい俺の事が好きだし、頭がおかしい俺を好きなやつのことが好きだ。


俺は自分が好きだ。それは別におかしいことではないと思っている。

俺は俺の好きなように自分を作って、俺の好きなように演じている。

俺は満足している。他の奴らがどう思っているかは知らないけれど。


俺には友人が少ない。これは別に俺が悪い訳ではなく、俺を理解しようとしないその他大勢の奴らのせいだ。

あいつらは「一員」になりたがる。何の特徴もない、流されるがままの枯葉になりたがる。

何が楽しい?何が面白い?俺にはわからない。


だから、俺はこの一年を無為に過ごしたのだと思う。

後悔はしている。俺は自分には有意義な時間を過して欲しいと思っている。

理解する気は無いけれど、もう少し。

この一年は、もう少し優しく生きてみよう。




喧騒が、廊下を包む。

「うわー、久しぶり!」「何組だったー?」「あー、別になっちゃったねー。」

どうでもいい会話を聞き流しながら、喧騒の原因へと目を向ける。

新学年のクラスが張り出された掲示板の前には人だかりができていた。

自分の一年の命運を分けるあみだくじに、皆必死になって目を凝らしている。


気になるのもわかる。騒ぎたくなるのもわかる。あの紙次第で自分のクラスでの立ち位置が決まるのだ。

俺には関係の無い話だけれど。


人だかりのせいで自分のクラスがどこか分からないので、手当り次第にクラスへ入って名簿を確認することにした。


手始めに廊下の最奥のB組を覗いてみる。

始業時刻5分前なのでそこそこ人は揃っていて、皆友人達とクラスについて楽しそうに言葉を交わしていた。


教卓に置いてある名簿に自分の名前がないかを確認する。

小坂……小山……西条。

あった。いきなり引き当てるとはついている。

そのまま座席表を確認して席に向かう。

教室の中央後方が俺の席だ。

荷物を置こうとすると、既に誰かが座っていた。

誰だ?友人と喋りに来たのか?とそいつの顔を窺う。


不良だった。

跳ねまくりの髪を金髪に染めあげ、制服を着崩し、耳にはピアスをしている。

いや、俺もピアスのことは言えないけれど。

何にせよ、そいつは典型的な不良だった。


「そこ、俺の席なんだけど……。」


クラスメイトと言えど不良は怖いので小声で話しかける。

漫画雑誌に夢中で俺に気づいていなかったそいつは、そこでようやく顔を上げた。

不思議そうに俺の顔を見つめ、周囲を見渡す。

指を上下に動かして席の位置を確かめている。

何回かやり直したところで、そいつはようやく口を開いた。


「悪い、間違えたわ。」


そんな爽やかな笑顔で言われても…。こいつ、実は良い奴なのか?

いや、不良のアレだ、騙されるな。と葛藤している最中にそいつは荷物をまとめて後ろの席へ移動した。


なんだ、後ろだったのか。いや…こいつが後ろで大丈夫なのか?課題を見せろとか脅迫されないだろうか。

一抹の不安が生まれたところで、そいつは再度俺に話しかけてきた。


「俺、佐竹。お前は?」


お前は……?

俺の何を聞いているんだこいつ。名前?身長?血液型?どこまで言えば良いんだ?


分からなくなったので、とりあえず手当り次第に言うことにした。


「西条芥。身長170cm。血液型はA型。嫌いな食べ物はにんじん。好きな色は白。誕生日は6月6日。得意科目は」


「待て待て待て。」


そこまで言って静止された。得意科目は余計だったのだろうか。それとも勉強が苦手だから勉強の話は聞きたくなかったのか?


「多いよ。名前だけだろ普通。」


そうなのか……普通は名前だけなのか。


「西条芥。ちなみに芥って言うのはゴミとか屑とかそういう意味で、俺はこの名前が嫌いだ。両親は響きでつけたらしいけど、普通に考えてそんな名前つけないと思っている。」


「いやいやいや長いよ。普通に考えて名前だけでそんなに喋らねーだろ。」


「…そうか。」

普通と言われても、人にとっての普通は多様だ。

自分の普通こそが普通であると誰に断言できようか。

まあ、詭弁なのだけれど。


「まあ……よろしく。」


若干引き攣った笑みを浮かべながら、佐竹が右手を差し出してくる。


「こちらこそ、よろしく。」


見た目が不良っぽいのでよろしくするつもりは毛頭ないが、とりあえず手を握り返す。


そこで丁度始業を告げる鐘が鳴り響いた。


「あー、そうだ。お前担任知ってる?」


佐竹が何かを思い出したかのように聞いてくる。


「いや……知らない。」


名前も知らない。担任が張り出されている掲示板には人だかりができていたのだ。


「島田って言うんだけどさー。やべーよマジで、お前も気つけろよ。」


佐竹はジェスチャーで何かを表現しようと必死になっているが、何がやべーのか全く伝わってこない。

とりあえず適当に相槌を打って誤魔化す。


「あ……そんなにやべーんだ……。」


がらがら、とドアを引く音がして誰かが教室へと入ってくる。

新学年に浮き足立つ高校生達の声が一瞬にして止んだ。


そいつは、大柄な男だった。

灰色のジャージを着て、仏頂面をしながら教卓へと歩いてくる。


なるほど。見るだけで分かる。

これは、確かにやばい。

高校生の苦手な、威圧感のある大人だ。

そして、俺のイメージでは大概こういう類のやつは……


「島田だ。お前らの担任をすることになった。よろしく。」


態度がでかい。

初対面の人間にその言葉遣いは失礼過ぎるだろ。しかもジャージ。社会人かこいつ?


早速腹を立てる俺をよそに、同級生達は萎縮しているようだった。

ばらばらと「よろしくお願いします……。」という声が聞こえ、大概の生徒はさっきの元気はどこへやら、俯いてしまっている。


これは良くない。と思った瞬間だった。


「声が小さい!」


案の定だ。

こういうタイプの人間は、礼儀にうるさい。しかも自分を棚に上げて相手を非難し始める。

声が小さいだの、やる気があるのかだの、今どき珍しい根性論を振りかざして「教師」を気取るのだ。

反吐が出る。


「よろしくお願いします!!!」


すっかり怯えてしまった同級生達は、言われるがままに声を大にして口々に挨拶を始める。

小学生かお前らは。と呆れていると、後方から異常にでかい挨拶が飛んできた。


「よろしくお願いしまぁす!!!」


佐竹だった。

人は見かけによらない、と言うが案外そうでもない。

こいつは見た目通り単純らしく、クソでかい声で教室の視線を集めていた。

恥ずかしいからやめてくれ。


「うむ、次も気をつけろよ。」


島田が満足そうに頷いたところで、教室のドアががらがらと開いた。


入ってきたのは、女子生徒だった。

髪を白っぽく染めて、一束だけ赤くメッシュを入れている。

制服は当然のごとく着崩してパーカーを着ているし、教室へ入ってもなお携帯を見ている。

遅刻しているのにまるで悪びれた雰囲気がない。


教室全体が「あっ……」という雰囲気に包まれる。

良くないことが起こる、と皆が確信していた。


「おい。」


島田が、静かに声をかける。


「なんすか?」


そいつはそこで初めて携帯から顔を上げた。


「なんで遅れた?電車遅延か?」


この質問は意外だった。こいつは理由とか聞かないで頭ごなしに怒鳴りつけるタイプだと思ったのだが。


が、遅れてきたそいつはごく自然に


「いや寝坊っすけど。」


と言い放った。


これには教室中が凍りついた。

まさか、教師を煽っているのか?

それとも島田の性格を知らないが故か?


何にせよ、これは最大の悪手だった。

遅刻をした上に、反省する素振りも見せずに教師に反抗的な態度を取る。


熱血教師がキレるには十分すぎる要素が揃っていた。


「ふざけるな!!!!!!!!」


怒号が舞う。

あまりの大声に、島田の前に座っていた女子が肩を跳ねさせたくらいだった。


「遅刻して、皆の時間を奪っておいてその態度か?小学生かお前は?」


出た。

こういう事を説教に持ち出すやつは必ずいる。

「皆の時間を奪っている」と?そんな訳があるか。

お前は普通にホームルームを進めていただろうが。


俺は、こういう教師が嫌いだ。教師であることを笠に着て、上から目線で生徒に怒鳴り散らす。それはいいストレス発散になるだろう。生徒は自分に逆らえないのだ。

さぞ気持ちがいいだろう。

死ねばいいのに。


けれど。毒づいたところで俺の出る幕はなかった。


「……。」


白い髪のそいつは、黙っていた。

俯いて、下唇を噛んでいる。

悔しいのだろう。


ばっ、と顔を上げて反論しようとする。


「別にいつ来ようが私の自」


「は?お前本気で言ってんのか?」


途中で島田に遮られる。

空気を掴んだ島田は、そいつに詰め寄り、睨みつけている。

完全にチンピラだ。

こうなったら会話は意味をなさない。

こいつが満足するまでこの時間は続くのだ。

それこそが「俺らの時間を奪う」という行為である、とこいつはまだ気づいていないけれど。


「ガキじゃないんだからさ。ごめんなさいくらい言えないのか?なあ。」


島田はじりじりと詰め寄って、語気を強めていく。

少女の方は、大柄な男に睨まれて明らかに動揺している。

たかが遅刻、と思っていたのだろう。

その認識は間違ってはいない、確かに俺らの中では。

けれどこの教師の中では違った。

運が悪かったとしか言い様がない。


この少女に残された選択肢は、謝罪か無視しか残っていない。


今までの反応を見るに、後者を選ぶとは思えなかったけれど。


「……ごめんなさい。」


か細い声が空気を伝う。


「聞こえねえよ。」


野太い声が壁を震わせる。


「ごめんなさい!」


力なく頭を下げるその少女の姿に、当初の勢いは残っていなかった。


島田はゆっくりとこちらを向く。


「みんなどうする?許してやるか?」


つくづく、気色の悪い男だ。

あれだけ怒鳴り散らしておいて、責任を俺らに押し付ける気なのだ。

「俺らが怒っている」という体で自分のストレス解消を正当化しようとしている。

人間の嫌な部分が喋っているみたいな不快感を覚える。


「……。」


当然、誰も口を開かない。

ここで何か発言すれば、島田の矛先は自分に向かう可能性がある。

それでなくても新クラスだ。目立つことは避けたい。

これが人間だ。

仕方が無いのだ。自分の為なのだ。

皆、自分が好きなのだ。


「良いっすよ。」


教室の視線が俺に集まる。

別に、言いたかった訳では無い。

言わなければならなかった、少なくとも俺以外に言えるやつはいなかった。

まあ、この教師が偉そうに説教を続けているのを見ていたくなかったというのも大きいけれど。

俺は頭がおかしいから、これくらいの役は引き受けてやれるのだ。


「お前、名前は?」


島田が意地悪く口角を上げて聞いてくる。


またこの質問か。佐竹は名前だけでいいと言っていたな、と思い返す。


「西条芥。」


凄く生意気なやつみたいになってしまった。

ちょっと恥ずかしい。


「そうか、じゃあ西条。こいつが遅刻したらお前が責任取れよ。」


そう来たか。こんなことならねちねち説教された方がマシだった。

「責任」を俺個人に押し付けるとは、汚いやり方もここまで来ると清々しい。

そんなに生徒を虐めるのが好きか。


「分かりました。」


これ以外に答えはなかった。

クソ、嵌められた。

反抗的な生徒を炙り出してまとめて潰すつもりだったのだろう。

およそ最悪な新学年のはじまり方だ。


自然とため息が漏れた。



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