第5話 金曜日の朝、茶室にて
結局、実家に着いた日に父さんと母さんに会うことは出来なかった。
父さんは会社の方が忙しいらしく明日にならないと帰ってこないらしい。
母さんの方は来客の相手と夕方からは外に挨拶に出かけたきり深夜になっても帰ってこなかった。
両親が不在のため、是蔵さんや小林さん、ほかの人達が何かと僕と鈴羽の───主に鈴羽の世話を焼いてくれた。
緋莉は鈴羽のことが大好きなようでべったりとひっついている。
「おねえちゃ〜ん。いつまでいるの〜?」
「そうね〜皐月君が帰るって言うまでかな?」
「お兄ちゃん!帰らないよね?」
「あのなぁ、緋莉?しばらくはいるけどそんなに長くはいないからね」
「ぶぅ〜」
緋莉はプクッと膨れてまた鈴羽に抱きついている。
鈴羽はそんな緋莉を愛おしそうに目を細めて優しく撫でてあげていた。
「皐月様、奥様よりご連絡げありまして明日早朝6時に離れの茶室にこられますようにとのことでございます」
是蔵さんがそう僕に母さんからの伝言を伝える。
「緋莉は8時に旦那様がお戻りになられますのでご一緒にとのことでございます」
「え〜!そんな早く起きれない〜」
「うふふ、緋莉ちゃんは私が起こしてあげるからね」
「わぁ〜い!是蔵!緋莉は8時にお父さんのとこに行くの」
緋莉がキリッとした顔で宣言する。
僕と鈴羽、是蔵さんは3人顔を見合わせて苦笑したのだった。
翌朝、僕は母さんのいいつけ通り離れにある茶室に向かっていた。
どうせ母さんのことだ、何か企んでいるに違いない。
僕はそう思い、いつもの格好ではなく久しぶりに華道をしていたときの和服を着て茶室に向かった。
まだ暗い中庭の反対側に位置する茶室には明かりが灯っていて母さんがもういるようだった。
「失礼します」
「どうぞ、お入りなさい」
肌を刺すような冬場の寒さの中、僕と母さんは茶室で対峙する。
「こんな早くから呼ぶなんて何の用ですか?」
母さんは僕の問いには答えずにすっとお茶を出してくれた。
僕は一瞬悩んだが、かつての僕のようにキチンとお茶をいただく。
そんな僕を母さんはじっと眺め、やがて口を開いた。
「皐月さん、あなた華を活けなさい」
「は?」
僕は思わず間抜けな返事をしてしまう。
「本日は分家筋も含め来客の方と茶会をします。あなたその場のために華を活けなさい」
「理由を聞いても?」
「聞けば納得しますか?」
「さあ?理由によりますよ」
「……黒岩は覚えていますね?」
「もちろんですよ。崇さんの家ですから」
黒岩というのは立花の分家筋の中で最も力のある家だ。政治家や医師など多方面にわたって人材を輩出している。
崇さんとは僕の3つ上の黒岩家の三男で中学時代にはよく遊んだものだ。
「で、その黒岩家がどうしたんですか?」
「次期宗家の婿に久史さんを推挙しています。つまりは立花の家を狙っているわけです」
「はぁ?久史さんってもう30才くらいじゃないですか?それを緋莉の旦那にですか?」
「そうなります」
黒岩家の当主、黒岩忠勝は昔から何かにつけて立花本家に対していちゃもんをつけてくる困った老人と覚えている。
長男の久史さんは、確か女癖が悪いことで有名だったはず。
「母さんはどう考えているのですか?」
「もちろんお断りしました」
「そうですよね。それで何故僕がそこに出てくるのですか?」
「黒岩の案です。今日の茶会でそれぞれ匿名で華を活け、招いているお客様にどの華がいいかを選らんでもらうと」
「ああ、実力を見せたいわけですか」
「そういうことです。黒岩の方は当主である忠勝と長男の久史。本家は私と貴登喜、緋莉の予定でしたが…」
「何か問題でも?」
「以前にも言いましたが私はあなたの才能は高く評価しています。ですから貴登喜の代わりにあなたが活けなさい」
「僕が父さんの代わりにですか?」
「そうです」
「ですが母さんが活けるのであれば勝負は決まっているのではないですか?」
「それはどうでしょう?勝負は時の運とも言いますから」
僕は幼い頃から母さんの活花をずっと見てきた。もちろん他流派や分家筋の方々のもだ。
それでも母さんに優ると感じた人はいなかった。
だからわざわざ僕がどうこうする必要はないと思うのだけど…
「僕のメリットは何ですか?」
母さんのことだ、何かしら企んでいるはず。
「メリットですか?」
「はい」
「皐月さん、これは────」
この後、僕は母さんの考えていたことを聞いてこの勝負に参加することを決めた。
3年のブランクはあるけど3年間全く花に触っていなかったわけでもない。
それに・・・この勝負は負けられない。
僕は久しぶりに本気で華を活けたいと思った。
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