8-6
「尊くんとした会話も、遊びに行った場所も全部覚えてる。私が周くんに呼び出された時、尊くんは止めてくれたよね。それでも私は自分の意思で行った。だから尊くんのせいじゃない」
ふたりにしか知りえない事実を聞いても尊はまだ半信半疑のようだった。
「これは、周くんしか知らないことなんだけど。私は死ぬ間際にダイイングメッセージを残したの。アルファベットの“T”と“A”」
それは尊と周を指し示すイニシャルだった。
「私は犯人の名前を書いたんじゃない。私が16年間生きてきて、愛しいと……大切だと思った人の名前を書いたの」
周は初めて知らされた事実に嗚咽を漏らした。
「……俺は……なんてことを……」
沙耶香が今際の際で力を振り絞って記した愛の言葉を、周は無慈悲に掻き消したことを心の底から悔やんだ。
それほどまでに大切に思われていたのだと、今更になって漸く気づいても遅い。
「あの時、焼却炉に火がついていて良かったと思った。じゃないと血のついた靴なんて見つかったら捕まっちゃうもんね」
あの日、血液で描かれたダイイングメッセージを履いていた革靴で掻き消した周は、丁度燃え盛っていた焼却炉へと放り込んだ。その後、学校に置きっぱなしだった尊の上靴を履いてこの家まで帰ってきたのだった。それが何を意味するかを尊はわかっていながら知らないふりをした。
「そうよ……私は周くんに捕まって欲しくなかったの。なのに悲しみが強くて、いつしか怨念に変わっていってしまった……」
「沙耶香……」
人の想いというものは強ければ強いほど、一歩間違えば狂気となるのだ。
「ありがとう……。俺は負けないよ。ちゃんと罪を償って生きていく」
そう言った周の瞳は涙に濡れ、光り輝いていた。
「周だけじゃない。何もかもを知っていて黙ってたんだ。俺は共犯者だ。自首するなら一緒に行く」
「兄ちゃん……」
「ここから一緒にリスタートしよう、周。でないと沙耶香に顔向けできないだろ」
ボロボロと零れ落ちる涙を拭うことなく、周は唇を噛み締め何度も尊へ頷いた。
尊が周を庇ったのは、やはり周への罪悪感からだったのだろう。だが、それは本当の優しさではなかったのだと、今は思う。
「宝生くん、梢さん、そろそろ行くわ。救ってくれて本当にありがとう」
そう告げると、梢の体から沙耶香の霊体がふわりと抜け出た。ここは室内だというのに天から柔らかな光の筋が現れた。
「向こうで優花さんによろしく言っておいてください」
梢がそう言うと、生前と同じ姿をした沙耶香がニッコリと笑い、それから周と尊を一度だけ抱きしめてから光の中へ消えていった。
ふたりは沙耶香が消え去った場所を、暫くの間ただただじっと見つめていた。ふたりは何を思ったのだろう。
梢の身体にはまだ沙耶香の温もりが残っている。
周と尊にも沙耶香の体温が感じられただろうか。そうだったらいいな、と梢は思った。
***
あの後、小嶋家からの帰り道、理恩と梢は大森たちの質問攻めにあっていた。
「これは記事に……出来ないよなあ」
事の真相を聞いた大森はそう言って落胆した。
「そうよね。どう書いても面白おかしく取られてしまうわ。折角成仏した野神さんの魂が浮かばれない」
「それにしても真犯人が小嶋くんだったとは……」
佐野は少なからずショックが大きいようだ。それもそのはず、クラスメイトだったのだから。
「梢、おまえは大丈夫か?」
全てが終わり、脱力している梢に理恩が話しかけてきた。何に対して大丈夫かと聞いているのかわからないが、多分周との事だろう。意外だ。
「ああ、うん。振られちゃったんだよね、私」
結局、周は梢のことを本当に好きだったのかは分からずじまいだった。
「え? 小比類巻さんってやっぱり本当に小嶋周と付き合ってたの?」
驚きの声をあげたのは神楽坂だった。
「あーもう! 私の事はどうでもいいじゃないですか! 帰りましょう!」
失恋をしたのだから、もっと落胆すると梢本人も思っていたのだが、それよりも色んなことがありすぎて思ったよりもショックは少なかった。
落ち着いた頃にダメージが来そうだが。
見上げた夕空には一片の雲もなく、まるで事件が解決したことを物語っているかのように澄みきっていた。
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