7-6

 何ということだろう。

 周がこの学校を目指した目的は尊ではなく、沙耶香だったとは。


「それからは頑張ったよ。柄にもなくね。成績も上がってきて、そうなると手のひらを返したように今の母さんが俺を見るようになった。それまでは視界にも入れたくないって感じだったのに。兄ちゃんに憧れてるから同じ学校に入りたいって言ったらそれは喜んだよ。初めてあの家に居場所を感じた」


 そこで、周は浮かべていた笑顔をすっと消した。


「兄ちゃんが沙耶香を家に連れてくるまではね」


 はあはあ、と息を上げ、意識が朦朧としてくる。霞んだ視界に5階の文字が見えた。もうすぐ屋上だ。梢は押しつぶされそうな胸の痛みに唇を噛んだ。


「驚いてたな。沙耶香は俺が兄ちゃんの弟だなんて思ってもみなかったんだろうね。中学の頃の話は言わないでくれって頼まれたよ」

 沙耶香にとって少しの間でも不良行為をしていたことは黙っていてほしいことだったのかもしれない。


「人間って不思議だよね。あんなにも好きだったのに裏切られれば簡単に憎悪に変わるんだから」


 野神沙耶香を脅迫していたのは周だ、と梢は認めるしかなかった。


「沙耶香は真面目だから、俺とキスした事実を兄ちゃんに知られるのが怖かったんだろうね。怯える沙耶香と兄の目を盗んで会うのは楽しかったよ」


 楽しい、と言いながら、周が泣いているように梢には思えた。


「秘密がどんどん増えていって、沙耶香は俺に従順になった。この金庫の鍵のことも沙耶香から聞いた」

「金庫には何が?」


 佐野はテスト問題だろうと言っていたけれど、入学していない周には必要のないものではないのだろうか?


「色々だって。教員、生徒の個人情報から定期テストの問題、それに――入試問題もね」

「入試……問題」


 周が屋上の扉を開けた。


 広がるのは空の青。なのに、周囲の空気は建物の中よりも重く澱んでいた。気をしっかり保つように梢は足に力を込め、辺りを見渡した。


 規則的に並べられた鉄柵の一部がそこだけ後から付け足されたようになっている。一目見てあの場所が野神沙耶香が落ちた場所だとわかった。


「あの日もここで沙耶香と会ったんだ。鍵を渡すからって」


 梢は泣いていた。

 このひと言をこの人に出来れば言いたくなかった。けれど言わなければならない。


「どうして……沙耶香さんを殺したんですか?」


 絞り出すようにして出した梢の声が屋上へ木霊した。


「沙耶香は鍵を持っていなかった。兄ちゃんに渡してたんだ。それに全てを告白していたよ。どうして……か。どうしてなんだろう。気づいたら沙耶香の身体を押していた。気づいたら沙耶香の身体は地面に落ちていて、気づいたら死んでた。どうしてかな、好きだったのに。ご丁寧にダイイングメッセージまで残してさ。消してやったけどね……」


 周は、ブツブツと言葉を零しながら、焦点の合わない瞳に梢を映した。


「梢ちゃんも本当は兄ちゃんのことが好きなの? 最初から兄ちゃんに近づくために俺に近づいたんでしょ? 兄ちゃんは凄いよ。なんでも持ってる、なんでも持っていく」


 言っていることが支離滅裂だ。


「そうか。だから俺は沙耶香を殺したんだ。兄ちゃんになんて……持って行かせない」


 一歩、また一歩と周は梢に近づき、梢はじりじりと柵へと追いやられた。


「バイバイ、梢ちゃん」


 数時間前、梢を抱きしめたその手が、今は梢を突き落とす為に彼女の肩へと触れた。


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