8-1『ゼロの体温』
トン、と軽く梢の肩が押され、梢は力なくよろめいた。
背中に柵が触れる。まさにその瞬間、屋上の扉が勢いよく開いた。
「梢!」
理恩の言葉に、周が振り向いた。と同時に、黒猫が周に突進した。バランスを崩した周はその場に尻餅をついた。その一瞬の隙をついて駆け寄ってきた理恩によって腕を掴まれた梢は、屋上の中央まで移動させられた。
梢の背が触れるはずだった柵の一部が外れ、ぶらりと揺れた。どうやら補修は完璧ではなかったしい。あと一秒でも理恩が来るのが遅ければ、どうなっていたかわからない。
「な、なんで?」
「話は後だ。で? コイツが真犯人で間違いねえな?」
コクリと梢が頷いた時、空を漂っていた白い雲が渦を巻き始めた。
その雲が地上を照らしていた太陽の光を遮断し、辺りはうす暗く、ひんやりとした空気が漂った。
「宝生くん」
「ああ、来るぞ」
突然起こった異常な状況に尻餅をついたままの周がキョロキョロと辺りを見回している。
「あ……あ、あ」
周の目の前に黒い煙のような物体が現れた。
これまで何も感じていなかった周にもそれは見えるようだ。信じられないようなものを見るようにして目を見開いている。
――どうシて。
梢の脳内にそんな言葉が響いてきた。
あの黒い煙。野神沙耶香の霊から発信されていることは明らかだった。
――どうシて殺シたの?
煙の中心部がだんだんと人の形を造る。
遺影に写っていた彼女とはあまりにも雰囲気がかけ離れているが、紛れもなく野神沙耶香、本人であった。
そしてその姿は梢の目にもはっきりと映っていた。
「宝生くん……視える、視えるよ!」
「何感動してんだ。構えとけ」
「う、うん!」
梢はポケットから数珠を取り出すと、左手へとかけた。緊張からか指先が震える。
「さ……沙耶香……!? お、おまえが悪いんだ! 俺を裏切るから!」
震える声を張り上げ、周は沙耶香から逃げようと必死に後退りをする。
――うるさい、うるさい、うるさい……! 殺シた! おまえは私を殺シた! だから殺す……殺す……!
もはや怨霊となった沙耶香にはどんな言葉も届かないのだろう。
「ヤバイな。このままだと連れて行かれるぞ」
非常事態だというのに、相変わらず落ち着き払っている理恩に梢は「どうすんの!」と声を荒げた。
「まず話が出来る状態にしないと」
「だから、どうやって」
「優花!」
理恩が呼ぶと、黒猫はすぐに理恩の元へ駆け寄ってきた。
「優花を降ろせ。今のおまえなら出来るはずだ」
「そんなの今まで通り勝手に憑けば……」
「それだとおまえが乗っ取られるだけだろが。自分の意思で降ろせ」
「で、でも……どうやって……」
「早く! ばあちゃんをずっと見てたんだろが!」
そうだ。
梢は幼いころから祖母の交霊を間近で見てきた。
「……魂を……重ねる……!」
梢はそう呟くと、目を閉じ、両手を合わせた。
黒く光を放つ数珠がジャラ、と音を立てる。
それから、祈るようにして優花を思い浮かべた。
すると、黒猫から優花の霊体がするりと抜け出し、梢の身体へと重なった。
「ふう。よろしくね、梢ちゃん!」
「よろしく」と梢も優花へ答えた。が、梢の言葉は身体を共有している優花にしか聞こえなかった。
「沙耶香さん」
黒い塊となった沙耶香の怨霊が梢をゆっくりと見た。
その瞳は暗く、深い闇を抱えて復讐の炎に燃え尽きた灰のようだった。
――おまえは誰だ。邪魔をするならおまえも殺す!
「私は、相葉優花」
――相葉……優花……?
沙耶香はズ……と身体を引きずるようにして優花の目の前まで迫った。
「あー、近い! 怖い! 私も死んでるけど、怨霊にはなりたくないなあ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます