7-1『告白』

 木曜の朝、アラームの音に梢は目を覚ました。


 カーテンの隙間から零れる柔らかな陽の光が、今日が晴れであることを伝える。


「おはよう、梢。早いのね。どこか出かけるの?」


 連休と言っても仕事のある父の為に母はすでに朝食をつくり終え、父の食べ終えた食器をキッチンで洗っていた。


「うん、遊びに行ってくる」

「ひょっとしてこの間連れてきた子と? 朝ごはん食べてから行くでしょ?」

「違うから! それより、おばあちゃまは?」

「違うの? それは残念。お母さん、さっき声掛けたらなんか集中してるみたいだったからそっとしておいたわよ」

「そっか」


 梢がそう答えると、母は味噌汁の鍋に火をかけた。


 ごくごく当たり前の日常だ。

 けれど、これから起こるであろう非日常を思うと不安と緊張で昨晩はあまり眠ることが出来なかった。

 小嶋尊が犯人ではないと信じる一方で、集めてきた情報が“彼”だと突きつける。

 もし、小嶋尊が犯人だと認めたら――周は梢を恨むのだろう。

 梢は周が好きだ。

 外見は勿論だが、それよりも自分を犠牲にしてまで兄を思うその優しさに惹かれた。

 だが、理恩の言う通り、犯罪に手を染めた兄を庇っているのなら、その優しさは間違いだ。

 嫌われても、恨まれても、梢は正さなければならない。

 出来れば佐野と田中の言うように、野神沙耶香の浮気相手が真犯人であって欲しいと願った。


 周とは午前10時に品川駅で待ち合わせをしていた。

 約束の5分前に指定された場所に着くと、すぐに周が梢の元へやって来た。


「ごめん、待たせちゃった?」

「いえ、今来たばっかりですよ」

「ごめんね、梢ちゃんち渋谷なのに、ここまで来てもらって」


 確かに品川よりも渋谷の方が遊ぶ場所は沢山ある。けれど、周は渋谷が苦手だということだった。梢もあまり人が多いところは霊も集まっていることが多いから苦手だ。ここへは通学で行き慣れているし、昼食を済ませたら蒲田にある周の家に行くことになっているから距離的にも都合がいい。


「梢ちゃんてカラオケ苦手?」


 そう、才色兼備である梢の唯一の弱点は“歌”であった。

 店に入ってからどうにかして歌を歌わない状況を作ろうと必死に会話をしたり、周に歌わせるためにリクエストをしていたのだが、残り時間あと10分というところで梢にリクエストしたいと、周は勝手に曲を送信してしまった。

 逃げ場を失い、半ばヤケになりながら歌い切った梢は過酷な試合で燃え尽きたボクサーのようであった。


「いえ! 人の歌を聞くのは得意ですよ!」

「それって得意って言うのかな」


 吹き出した周に梢は「あはは」と乾いた笑い声を出した。


「ごめんね。こないだ友達とカラオケ行ったって言うから好きなのかと思って」


 2時間滞在したカラオケ店を後にして、梢たちは駅前のファミリーレストランに来ていた。


「周先輩、笑いを堪えるのはやめてください……。周先輩は歌上手いですよね。聞けて幸せでした!」

「俺も幸せだよ。……くくく」

「だから……もうっ」


 梢が頬を膨らませると、周は「ごめん」と謝りながら、やはりその顔は笑っていた。

 側から見ればとても初々しく、幸せそうなカップル。けれど、数時間後にこの関係が壊れているかもしれない。そう思うと梢は今のこの時を精一杯楽しもうと努めた。

 勿論、全てが杞憂であることを願って。


「そういえば、昨日配られた部誌読んだよ」

「ああ……。どうでした? オーブの写真」

「綺麗に撮れてたね。梢ちゃんはどの記事書いたの?」

「ええと、音楽室の肖像画の目が光ったと思ったら猫でしたってヤツを……」

「あはは! 七不思議なんてそんなもんだよね」


 食事を終えると、周がテーブルに置かれた伝票を持って席を立った。


「行こうか」

「あ、はい!」


 梢が財布から千円札を取り出すと、周はやんわりと断った。


「これくらいご馳走させてよ」

「いえ、おばあちゃまに人様に借りは作るなと言われているので。気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます!」


 そう言ってレジに置かれたキャッシュトレイへ千円札を置いた。


「そう言われたら仕方ないな。おばあちゃんは厳しい人なんだ? イタコだっけ?」


 支払いを済ませながら周が聞いてきた。


「そうですね。両親より厳しいです。でも優しいです」

「へえ……。イタコって霊の言葉を自分の身体を使って伝える人ってことしか知らないな。あと、恐山にいるイメージ」

「間違ってないですよ。でもおばあちゃまはそれだけじゃなくて、千里眼みたいな力も持ってるんです。なんでも言い当てられちゃうから隠し事出来ないんですよね」

「……なんでも?」


 品川駅の改札を通り、蒲田へ向かう為のホームへ降りる。


「そう、なんでも」

「それはなんか怖いな。悪いことは出来ないね」

「そうなんですよ。嘘なんかつけないし」

「梢ちゃんに盗聴器でも仕掛けてたりして」

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