鳴動のチョコレートファウンテン

黄鱗きいろ

第1話 ティラノサウルスの呼び声

 チョコレートが貨幣と化してどれだけの月日が流れただろうか。

 人々はカカオの実を奪い合い、繁華街ではワンナイトチョコレートが頻発している。

 そんな中、街の片隅に住む少年少女たちはいつかチョコレートファウンテン(以下CCF)を手にすることを夢見ていた。


 巨万のチョコレートを持つ者と持たざる者の溝は年々深くなり、口先だけの政治家たちもチョコレートに溺れていった。

 一際チョコレート差別が激しいこの街は、煌びやかで街並みがよく観光客にも人気がある。一部の地区を除いて、だが。


 ノンチョコレート隔離地区。そこはバイオプラントにてカカオ豆を製造する工場が立ち並ぶ地区だ。ここから出荷されるカカオ豆は、この街全体を支えることができるどころか、他の街への輸出すら可能にするだけの規模を有していた。

 そんなプラントの内側で、防菌服を脱ぎ去って少年は頭を振った。


 気化したチョコレートが有害だと発表したのはどこかの場所の偉い人だっただろうか。そんなことを考えながら、少年はケホンと小さな咳をした。

「おい、咳をするな……ったくこれだからガキは」


 プラントで働かされているのは多くは身寄りのない少年たちだ。ブツブツと毒づく監視役の男に少年――冬馬は鋭い視線を向けた。

「なんだその目は。また謹慎食らいたいのか」

 冬馬はそれを無視して別のラインへと向かっていく。男がさらに食ってかかろうとするのを止める人物があった。


「まあまあ、あいつには俺が言っとくんで」

 人の良さそうな笑顔を浮かべた、青年が冬馬を背中に隠すようにして立った。

「レパルド……」

 監視役の男が心底面倒そうに青年の名前を呟く。


 それはいつもの諍い、ただの日常とも呼べる光景だった。

 しかしその時! 突如チョコレート生産ラインが破裂し、その内側からティラノサウルスが現れた!

「まずい!チョコ増殖因子の暴走だ!」

 チョコ増殖因子とは、チョコレート生産ラインのコアとも呼べる部分であり、


 この工業地帯で最も危険な存在ともいわれているものだ。

 避難を知らせるサイレンが鳴り響き、工場全体に緊急事態を伝える。

 大きな足音を立てながら歩き回るティラノサウルスは時折口を開いて、なにかを求めるような様子を見せている。


「凍結氷菓部隊はまだか!」

 悲鳴や混乱の声に混じり、監視たちが怒鳴る。そんな中、冬馬は暴れ回るティラノサウルスを見上げて棒立ちになっていた。

 腹に響くような恐ろしい鳴き声に混じって、確かに、子供の悲鳴のようなものが聞こえた。そんな気がしたのだ。冬馬は人波に逆らって怪物へと向かう。


「っと、おい!マジか!」

 レパルドが見失った冬馬を見つけたのは、彼がもうずいぶんとティラノサウルスに近づいてからだった。

 捨て駒のひとつである冬馬を気にするものは他におらず、工場内は依然として混乱に包まれている。


 子供の悲鳴は依然、冬馬の鼓膜を揺らしていた。吸い込まれるように足元に彼が立った直後、暴走を鎮圧するための凍結氷菓部隊が雪崩れ込み、レパルドはその波に押される形で転んでしまった。

「冬馬!」

 倒れたままレパルドは彼の名前を呼ぶ。凍結氷菓部隊による冷波によって怪物は徐々に固まっていく。


 一際大きな咆哮が轟くと同時にティラノサウルスは動きを止めた。

 チョコ増殖因子の暴走は、なにも悪いことだけではない。本来ならば時間と人手が必要なチョコの製造が大幅にすすむという意味では数ヵ月に一度のボーナスのようなものだと言う人も少なくはないのだ。


 バラバラになったティラノサウルスの破片は、棒立ちになった冬馬の頭上に降り注ぐ。労働者たちの歓声を無視し、駆け寄ったレパルドは冬馬に覆いかぶって彼を庇う。

 このままでは二人ともチョコの下敷きだ。

 その時、落下してくるチョコ増殖因子のほうからレパルドの耳にもはっきりと少女の声が聞こえた。


 ここから出して。

 小さくて悲痛な叫びが二人の脳内にこだまする。

 驚きながら衝撃に備えて身を固めたレパルドだったが、いつまでたっても想像した痛みはこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳴動のチョコレートファウンテン 黄鱗きいろ @cradleofdragon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ