第122話 メイド喫茶体験――コスパが生み出した美
メイドさんが悠々と店内を歩き、僕たちの前に注文のドリンクを置いた。
力強いラベル文字の日本酒「浦霞」と渋い
僕らが求めたのは二つ。メイド、そしてアルコールである。喫茶店というのは雰囲気とサービスを含めた値段設定になるのは当然なので、ドリンク単体の売価とは相場が違う。ましてや、ここは萌えの魔法が込められているのだから妥当な価格設定である。しかし、同じ価格なら出来るだけ多くのアルコールを――いわばコスパを――僕たちは求めた。
もちろん、豪胆なフォントの日本酒だろうがドリンクはドリンク。メイドさんが「萌え」を注入してくれるらしい。ハートの形を手で作って、メイドさんと三人「萌え萌えキュン」と声を合わせ、笑顔で「萌え」を「浦霞」に注入した。
うん、美味しい。
残念ながらちびちびと酒を嘗めるご主人様は他には見られなかった。確かに「この日本酒は一合で出てくるんですか?」と聞いたら「いち……ごう……?」とメイドさんの頭に疑問符が浮かんでおり、はっと我に返った。ここはメイド喫茶なのだ、尺貫法を知らなくとも仕方がない。質問の方法が悪かった。
改めて「これは小さいビンで出てきますか?」と質問すると「はい!」と笑顔で答えてくれた。やはりカタカナだと伝わるのだな、と感心しながら
よく考えたらビンも日本語なのだと数秒して気付いたが、考えることは止めた。伝わったからそれで良いのだ。
それにしても、ピンクの空間に鎮座する小さな紺の器の造形美は見事であった。有り余るようなファンタジー性と不釣り合いな小さな器。ふわふわと膨らんだ白とピンクの内装の中に一つ小さな鉄紺を置くだけで、軽いはずのその器が
これは一種の文化と言っても良い。
そう強く感じた瞬間であった。
もう一つ、驚いたことを書き加えておく。
メイド喫茶の女の子のレベルの高さ、空間の作り方は言うまでもないが、何よりその魅力を高めているのはそのサービスだ。
僕たちが肘をついて酒を嘗めているころ、お立ち台では萌え文化を十分に知らないであろう6人程のお年を召した海外のカップルたちが、言われるがままに猫のポーズやグーにした両手を顎につけて撮影をしていた。何をしているのかは分からないのだろうが、皆、満面の笑みで楽しんでいる。同時に左後ろのおじさんの可愛さに驚いた。目がくりくりしている。この店にいるどの男性より可愛かったと断言しよう。とても心温まる光景であった。そして、それを作り出すメイドにも感心した。
注入された萌えの摂取後しばらくして、僕らの机の後ろに若い海外のカップルが帰ってきた。彼らが席に腰を落ち着かせるや否や、メイドさんは何と英語でメニューの説明を一通り始めたのだ。英語もこなすとは。彼女たちのサービス能力の高さに驚愕した。
もう海外に出て1年以上経つ僕でも驚いたのだ。どれだけ凄いか分かるだろう。僕たちは熱膨張や抵抗率の表現は知っているが、「萌え」を英語で表現する術をもたない。というか日本語でさえ、かのように萌えを表現出来ない。遺憾である。僕に必要であるかは分からない。
ともかく、もてなすための姿勢に驚いたのである。
一般的に、誰かをもてなすためには負担が必要である。誰かに負荷を掛けないようにするのであれば、事前に自分で負担するしかないのだ。そして、決してそれを相手に押し付けてはならない。そこにあるだけのもの(例:日本語)だけでは不十分で、何が必要かを考える頭が必要なのである。必要なものを身につけるのは苦しい道のりになるのだが、誰かのためにすることは決して無駄にはならない。
究極的にはお互いがお互いの為に負担し合えること、そして、その負担を自分で呑み込んで、相手の負担を労うこと。それが最高のもてなしの空間を作るのかもしれない。心地よい空間とはそういうものだ。
長くなってしまったが秋葉原に戻ろう。初めて踏み入れたそこは、ピンクのコースターの上で繊細な美を湛える素敵な場所であった。来年もアメリカに来るらしいので、また日本酒を用意したいと思う。砂漠の中で注入される萌えとはどのようなものだろうか。楽しみである。
こうして僕はまた、新たな世界を知って往く。
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