第128話 絵が描ける人はメタ視点を持っている
前回は絵を描ける人に対する嫉妬(!)から恨みつらみをぶちまけましたが、僕は絵を描ける人を見ると思うことがあります。
――彼らはメタ視点を持っている。
本筋に入る前に、メタとはどういう意味でしょうか。
『他の語の上に付いて複合語を作り、超越した、高次の、の意を表す』
コトバンク、デジタル大辞泉によると上記の通りです。
話は逸れますが、僕はどうもメタの意味を取るのが苦手でした。センター試験の評論対策に良く出てきたイメージがあるんですよね。小説、古文・漢文より評論が好き(得意とは言っていない)でしたが、評論でメタが複合語を作ったとき何を意味しているのか理解に時間がかかる。だからあいつが出てきたら「また出てきやがったよ、このメタ野郎!!」と悪態をついていました。文章を書く皆さんならメタ発言(登場人物が作者や作品に言及するetc)などの言葉に慣れているので問題ないと思いますが、簡単に言おうと思います。
ここで言うメタ視点とは「自分が物事をどう見ているかを知っている」ということです。網膜細胞にもたらされた刺激が電気信号を生み出し、脳が認識する。その物理現象と認識の仕方を(無意識とはいえ)俯瞰的に掴んでいるのです。空想画であっても彼らは「現実を見て」いるのです。
僕が絵を描くとすれば、まずは輪郭線を引き、塗り絵の要領で色を付けていきます。それは目の前に存在する境目をキャプチャし、自分が見ている(だろう)色を付ける作業です。輪郭をなぞり、誤認識に基づいて彩色する。そして出来上がるのは風景画なのにどこか違和感のあるフィクションの絵。
しかし、絵師の作品はどうでしょうか。確かに細部を見れば見るほどその描き込みに唸りますが、絵そのものに現実味がある。呑まれるような迫力がある。見惚れるような魅力がある。
これは、彼らの「現実を見る力」によるものだと考えています。
彼らは物体を見ている。空間の中で質量を持った物体の存在を見ている。輪郭をなぞるだけではないんです。そこに実在を見ているからこそ、奥行き、重量感、質感を表現できるのだと僕は考えています。技法と知識(人体構造など)も必須ですが、そもそもの視点の置き方が違う気がするのです。
というのも、前回、印象派の絵を至近距離から徐々に離していくと、ある時点で魔術的な転換が生まれると言った背景に由来します。「こう見えたからこう描こう」ではなくて「私の目にはこう見えるけれども、(物理的な)現実は違っていて、表現として適切なのはこれだ」というのを理解しているのではないか、と思うのです。
目の当たりにしている視覚と現実を、さらに一歩上から覗いている。まさにメタ視点。これがあるからこそ、細部だけでは意味を成さない色彩が花々の咲き乱れる藤棚になったり、不自然に思われる曲線が艶めかしい女性の肉体美を醸せるのでしょう。
はい。ここまで美術のド素人が私見を書き殴ってみました。
硬い文章のわりにふわふわした抽象的な内容でしたが、僕が絵描きに持つ尊敬と羨望の念は伝わったでしょうか。少しでも感じて貰えれば幸いです。
そういえば、僕が絵描きが羨ましいと思ったのは中学生のころ。
「あれ? 絵が上手ければ女性の裸とか見放題じゃね?! 理想の人の裸も見放題じゃね?!!!」と大発見し、嫉妬にまみれた時です。
まことに僕はどうして現実を見れていなかったのでしょうか。メタ視点は毛ほども生えていなかったようです。
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