第119話 理想のカップル


 9月後半から少しお休みを頂いて欧州の都市をいくつか回りました。ウィーン(オーストリア)、プラハ(チェコ)、ミュンヘン(ドイツ)、チューリッヒ(スイス)。どこも綺麗でぎゅっとまとまった素晴らしい都市でした。


 その中で理想のカップルを見かけたので書いておきます。


 場所はチューリッヒでした。チューリッヒは雄大なアルプスに囲まれ、透明度の高い清流が流れ込む大きな湖と川の街です。黄色や白色の昔ながらの可愛らしい西洋建築は川に調和し、ライトアップされた橋と市街の風景は息を呑むほど美しい。人々は湖畔のベンチに座ってゆったりと過ごし、アルプスの山に夕陽が沈んでいきます。藍がかった空に残るあかの光。人々とボートは空の光を映す湖の前で黒いシルエットになって風景を切り取っています。自然と歴史が調和している静かで豊かな街でした。


 街中ではあらゆる場所にトラム(路面電車)が走っています。僕が理想のカップルを見かけたのもトラムに乗っている時でした。


 良く晴れた気持ちのいい秋の一日。早朝の散歩も終わり、そろそろ国立博物館が開館する十時ごろ。僕は街の南側から博物館がある中央駅近くへとトラムに乗って移動していました。二人席と一人席の間に通路がある程度のちょっと縦に細長い形のトラム。ドアのすぐ後ろ、右側の一人席に座って流れゆく綺麗な街並みをぼーっと眺めています。


 中央駅へはあと一駅、多くの人が行き交う駅にトラムが止まりました。ドアの横にある押しボタンでドアを開き、一組の老夫婦がゆっくりとステップを降りていきます。先に降りたのはハットを被って、ジャケットを羽織った綺麗な恰好のおじいさん。ゆっくりながらも先に降りて、これから喫茶店に向かうのでしょうか――行き先の方向を確認しています。しかし、その右手は後ろ方向にしっかりと伸ばされ、おばあさんの手を待ちます。


 少し遅れてトラムのステップを降りたのは足腰のしっかりとした薄くお化粧をしたおばあさん。これからゆったりとランチでも楽しむのかなぁ、と思いながらオシャレなお二人を眺めていました。


 しかし、降りる時からおばあさんはおじいさんの左側。先に降りておばあさんの手を待っているおじいさんの右手には中々期待した感触は訪れません。僕は「せっかく手を伸ばしているのに!」と余計なおせっかいを焼きながら一向に握られない右手を眺めていました。時間にして数秒のことだったでしょう。でも、待っている方からすると十分に長い時間です。宙に伸びた手にいつもの感触が訪れないことに不思議に思ったおじいさんは、頭にハテナを浮かべながら振り返ります。


「あれ、どうかしたかいな」とでも言うように。


 おじいさんが振り返った瞬間、その動きとは入れ違いに左後ろにいたおばあさんが颯爽とおじいさんの左手を握って歩き始めたのです。


 余りに洗練された不意の突き方。

 手を握ることの戸惑いの無さ。


 流れるようなおばあさんの動きに思わず僕はこう思いました。


「い、イケメンっ!!」


 おじいさんの視界には全くおばあさんの姿は見えていなかったでしょう。でも、左手が繋がれた瞬間、安心したように視線を戻して二人で仲良く歩き始めました。


 とても微笑ましい、そして、とても幸せな時間を見かけたようです。思わず口元がほころびました。「こんな関係になれたら良いなぁ」と思いながら僕は国立博物館近くの駅に降りたのです。世界で最も幸福度が高い国、スイス。その一端が垣間見えた気がしました。



 ちなみに、展示の一つはたまたま「日本のハイジ」。ハイジのレイアウトや、宮崎さんや高畑さんがロケハンしている写真が展示されていました。ふと思います。僕もおじいさんに聞いてみたい。


 Askewは なぜ いつまでも一人なの

 アラサーは なぜ わたしをまってるの

 おしーえてーおじいーさんー


 

 ……答えはこんないい話にこんなオチをつけたくなるからだろうな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る