応援コメント

第113話 客観主義者は小説を書けない」への応援コメント


  • 編集済

    分かります。ミラーニューロンのことを仰りたいのですよね? 客観性は常々私から思われているところがあり、舞い上がらんばかりの嬉しさは、同好の士を得るに至ったのです。
    恐らくミラーニューロンが共感に反応する時、私は共感自身であり、本来の私がそれを客観として受け止めるのでしょう。
    エロい。

    作者からの返信

    須藤さん読んで頂いてありがとうございます!!
    そ、そうです! ミラーニューロンのことを言いたかったんです!! 理解下さって嬉しいです!(;^ω^)(ヤベェ-シラナカッタッテイエネェ

    とはいえ、ちょっとウィキって来ました。共感と動的活動で発火する神経ですかー。面白いですね。他我問題などこうした哲学的諸問題が大脳生理学などで解き明かされるのを心待ちにしている部分がありますが、まだまだ謎は多そうですね。ミラーニューロンの発火が客観性の内部化だとしたら脳の貪欲さに唸ります。食べ物だけじゃない消化の仕方。エロい。

  • 確かに!

    とても納得しました。なんとなく読みやすい文書書く人はそう言うところがしっかりしているのでしょうね。意図するか否かに関わらず。

    そして、また、逆も然り。

    つい、Viceversaとか言いたくなる厨二病の時代もありました(笑)

    作者からの返信

    矢指さん

    読みやすい文章を書く人は、理解しがたい客観のどうしようもなさを知りながら、想像力を駆使して考えられる人なんでしょうね。意図していないなら、それはセンスだと思っています。

    あの矢指さんもヴァイスヴァーサの魔の手に落ちた時代が……?! 嬉しいですねぇ。僕はまさに今でも発動中です。笑

  • うーむ、わたしはどっちなんだろうって考えたんですが(実は主観と客観の意味を改めてネットで検索したりしちゃいました)
    結論……わからんですm(_ _)m

    ねむこさんも書かれていますが、わたしも無意識に(自分なりの法則はあるのですが)感覚で言葉を選んでいるので。

    細かく把握出来てなくて、なんていうか、言葉が降りてくるのを書いている感じです。

    Askewさんの文章読みながら、なんて頭がいいんだろうって、思考回路がね、きちんとしてる。
    でも堅苦しく感じないし、Askewさんは不思議な人だなぁ。いつも面白い問題を投げかけてくれる(何か失礼な言い方だったら、ごめんなさい)

    うーん、わたしはどっちなんだろう(まだ考えてる)

    作者からの返信

    つきのさん

    主観と客観って概念が僕にはあんまり理解出来ていない状態で書いているので、分かりにくい文章だったと思います。

    無意識と主観の認識は次の記事で書こうと思っています。皆さんのコメントが記事を生みました! 嬉しい!

    >思考回路がね、きちんとしてる。
    そう感じて頂けてありがとうございます!
    実際はごちゃごちゃですけれど、それを何とか整えて見せれたので良かったです。

    不思議は僕にとって最上級クラスの褒め言葉です。優しい人より全然嬉しいです。
    思うんですけど、一般的に言う優しい人って全然褒めてませんよね。(笑)


  • 編集済

    私自身、全て無意識に言葉を選んでいます。

    なので、この問題に向き合うと
    何一つ書けなくなってしまいそうです。

    何故なら、きちんと分かっていないからです(笑)

    息子の塾の問題に
    一緒につまづいている時が多々あります。

    数字は苦手でも国語は何とかと思っていましたがそれさえも危ういですね。

    今、まさに痛感しました。


    雰囲気で何とか乗り切れませんかね!?


    あ、それからチベットスナギツネ!!
    いい顔していました。
    あの表情はいい!!笑


    作者からの返信

    ねむこさん

    本当にコメントしずらい記事にコメント頂いてありがとうございます。(笑)
    「馬鹿じゃねーの」って思われても、「私はこう思います」って書いて頂けるだけで嬉しいですね。決して賛同しなくとも良いと思うので、感じたことを仰ってください。

    皆さんの反応がまた新しい文章を生み出します。

    とはいっても、コメントは返したくなるもの。
    僕もきちんと分かっていませんよ。分かっている顔が得意なだけです。結構雰囲気で話しているので、雰囲気に騙されてはいけません。

    チベットスナギツネのように深淵を覗いているのか、何も考えていないだけなのか、判断しにくい表情で見て頂ければその内ボロを出します。(笑)

  • ピントがずれている自覚がありながら一言――。

    「小説を書けない」というのは過激で、挑戦的でもありますね。

    Askewさんの言わんとするところは分かりますが、小説が読まれてはじめて意味を持つものと考えた時には、書き手がどう考えるのかよりむしろ読み手がどう受け取るかの方が、小説やその書き手にとって重要な気がします。

    書き手は読み手を選べませんが、どういった人に読んでもらうのか、具体的にイメージして小説を書くことはできそうです。

    作者からの返信

    藤光さん

    違和感を感じながらもコメント頂いてありがとうございます!
    僕はこうして賛同できなくても、無視するのではなく、コメント頂けることが何よりも嬉しく感じています。

    確かに、この主張は挑戦的なものだと感じています。僕は客観主義に懐疑的な思考を持っているので、こう主張したわけです。そもそも客観的視点の論理的破綻は第二回で指摘しているので、その前提があってこその過激な発言なのですよね。

    確かに、小説は読み手がどう思うか。が大切なのだと思います。その意味で、過去の名作のあらゆるパターンを解析し、誰もが感動するような流麗な文章をAIが紡いだとして、それを否定するのは愚かなことなのかもしれません。そこには、作者の主観は一切介在せず、客観的にはただの名作でしかないのですから。

    しかし、僕は作者が思いを込めた文章が好きなのです。この表現じゃないとダメだ。と信じた文章を読むのが好きなのです。そこに主観的な思考を感じていたい派なのです。

    これは善悪では無く、嗜好の問題です。僕は誰かがそう感じたと強く主張する内容を感じたい。そのこと自身が荒唐無稽でも、誰かの想いを感じていたい。

    だからこそ、僕は主観主義なのです。客観的な視点はいらないと思うのです。

    でも、文章に誰かの想いが存在していなくとも、万人を感動させられることが出来たら僕は素晴らしいと思うのです。これは矛盾した考えなのでしょうね。
    そう言う意味は僕はとても現実を見ていない、ロマンチスト、夢想家なのかもしれません。

    現実なんて見たくねーよってね(笑)