ゆうべ、3時間しか眠れてないのに、またまた眠れないのはどうしたわけでしょう。
私の睡眠リズムが完全に壊れたのか、はたまた何かこちらのエッセイが関係してるのでしょうか。どちらにしても困ったことです(笑)
しかも悩んでいます。
現在の投稿と過去の投稿を同時進行で読むという手を考えまして、こうしてこのエントリにおジャマしてみたわけですが、タイミングによっては、皆さんのコメントと返コメを読めないかもしれない恐れもありますよね。
なので、もう少し試行錯誤するかもしれません。
さて、いろいろ思いながら読んでいたのですが、Askewさんの結論が最後に出てましたね。おおむね同意です。
あるいは、本当に単なる言葉の問題とか、結果論で片付けてしまってもいいかもしれません。いずれにしても個人の好みでしょうね。
これは運命の出会いだ!と言う場合の多くは、出会い方や相手が自分の希望や理想に近いものだったということであり、その先も理想の展開であってほしいという願望がこもっている。自分にとってこの出会いが絶対的であると信じたいのでしょうね。「運命」とは言ってますが、初期の段階では理想に沿いたいという願望のみで、先々上手くいかないという展開は視野に入っていないのだと思います。
運命の出会いがしたいなぁと言う場合は、理想の人と出会って、トントンと先へ進み、理想の展開……(以下同文)
こうして書いてみると、単に言葉の響きがいいとか、理想、願望、肯定的な確信などと同意では?と思えます。
かく言う私、夫との出会いは運命的だったと思っております!!(爆)
タイミングなどの条件を考えてみても、過去のいろいろが辿った結果を併せてみても、どれかの要素が違っていたら出会えなかったと思えるからです。
出会うべくして出会った、と言葉を変えても差し支えないです。
必要な出会いだったとも思っています。これがなければ、今どうなっていたかとゾッとします。
つまり、こんなふうに個人的な感覚、解釈であり、結果論でもあります。
そういうことです。運命でも必然でも偶然でも、言葉はなんであっても、こうなって本当によかったなぁ、に変わりないです。
そして、私はもちろん、この先のこともすべて受け入れる所存です!運命であろうがなかろうが、です。生きるってそういうこと、というか、泣こうが笑おうがそれしかないですよね。
長々失礼しました!
作者からの返信
睡眠不足からくる体調不良にはお気を付けて……。
>はたまた何かこちらのエッセイが関係してるのでしょうか。
関係していない!! と思いたいです。(笑)
そうですね。僕もコメントと返信は全部読む派なので最新のエントリに一番のりしてしまうと少し損をした気になってしまいます。コメントも併せて作品の一部のようになっていますからね。
>いずれにしても個人の好みでしょうね。
そうですよ。このエッセイに書いていることは全てこのスタンスで読んで頂ければと思います。結局、個人の意見なんだから賛成も反対も自由です。定義の仕方の問題です。
>単に言葉の響きがいいとか、理想、願望、肯定的な確信などと同意では?と思えます。
そうですね。その使い方が「運命の出会い」が意味したい所なのだと理解しています。
近況ノートに詳しく書きましたが、この記事は犯罪者の子供として生まれ落ちた兄弟が苦悶するアニメを見て、「運命」の持つ強力な力を感じたことも影響しています。だからこそ、運命と希望を混同してはいけないぞ、と感じたのですね。でも、結局、それは勝手なAskewの定義でしょ。と言うことも理解しているので、その時は軽く受け流して下さいな。
ただ、だからこそ、旦那さんとの出会いを運命だと言い切れるみさえさんは良いなぁ、と思います。僕は運命を否定している訳ではないですからね。むしろ、運命を受け入れる方に憧れます。強い方なんだろうなぁ、と。
何があっても受け入れる。
そんな強さを持てるようになれれば良いなぁ。
出会い方が運命的=ドラマチックでも、その後悲惨な展開が待ってるかもしれないですよね。
憧れますが、その先が怖いです。
作者からの返信
永倉紗雪さん
そうなんですよ! 悲惨な展開も「運命的で素敵!」となる人は僕は好きですよ。
ただ、運命的出会いは受け入れるのに、運命的別れは受け入れないのが分からないのです。どちらも本質的には運命(=決定されたもの)だと理解していたはずでは? と思えてしまいます。
「感情の作用で一時的に否定の所作が表象しただけで、メタ的に考えるとそう振る舞うことすら運命だったんだ」とかいう人は好きです。透徹していて(笑)
ちょうど「出会い」と「恋」の物語を書き始めたところだったので失礼して回答を……
結果的にいえば「運命的な出会い」にはあまり惹かれません。
もっと言ってしまうと「一目惚れ」もしたことないのです(あくまで個人的見解で、一目惚れを否定するものではありません)
あれが「運命的な出会い」だったのかねぇと思ったりすることはあるかもしれませんが、結果論として、ですね。
うーん、多分、わたしは「無条件に与えられる劇的な出会い」というものが苦手なのだと思います。
あるきっかけがあって、そこから縁ができて、少しずつ繋がって、それを育てていく。その方がしっくりくる気がします。
というところで回答になっているでしょうか?
どうも上手く言葉にするというのがなかなかできずに、話がズレちゃったりする悪癖があるので(汗)
こんなこと書きつつ、反面、ロマンチストに憧れてはいるのですけれどね。
運命的なものを信じる人って無邪気で可愛い人なんだろうなぁと思うので。
でも、自分が、そうなれないことも知っているのです。
(ぺこり)
作者からの返信
つきのさん
この問いに回答頂いて嬉しいです。このエッセイは僕の性癖を吐露するだけと宣言しているので、仮に「運命的な出会い」が嫌いだなんておかしい! 私は好き! と言って頂いても、それは回答です。僕にとっては嬉しいものです。
なので、ズレていませんよ。運命の出会いに関してつきのさんの意見が聞けましたから。
>「無条件に与えられる劇的な出会い」というものが苦手
この感覚は僕が言っていることそのものですね。僕は何度か一目惚れしたことがありますが、あれは運命の出会いではないです。
それは、運命では無くて偶然だと思っています。
必然的に決まっていたのではなく、偶々そうなっただけ。いつか書いたように運が良いと感じる僕は「偶然的な出会い」をただ経験しているだけで、そう考える方が好きなのです。
>ロマンチストに憧れて
いいじゃないですか! ロマンチストでも!
つきのさんのように、ゆっくりと育む出会いも偶然の産物。ロマンがありますよ。つまり、つきのさんはロマンチストです。
運命が嫌いでも、僕は運命は存在するかもしれないと思っています(多分、後ほど記事にします)し、宇宙や生物にはロマンを感じます。ただ運命という言葉が嫌いなだけなのです(笑)
運命、使命、偶然、必然
意外とどれも同じ線の上にあるのかも知れませんね。方は感じ方次第?
それならばいい解釈をする方が幸せなのかも知れません(笑)
作者からの返信
矢指さん
コメントありがとうございます!
>運命、使命、偶然、必然
そうなんです。僕は運命論を受け入れた場合、この全てが同じ意味になってしまうだろうと考えています。
なのに、運命の出会いだけを切り取るなんて不思議だなぁ……、と思ったのがきっかけです。
運命論を信じないならば、これらの言葉は別の意味を持ち運命は除外されるのですが、運命の出会いだけが好きな人は、この両者にある大きな違いを意識しているのかな、と思ったので書いてみました。
「輪るピングドラム」というアニメが発端だったんですけどね。運命論を信じても、書く言葉の意味を再定義することは出来るでしょうが、その裏にある違いは意識しておく必要があるとおもいますね。
どうでもいいと言われればそれまでですが(笑)