第94話 エッセイを知らない
今日、僕はアホ面で閃きました。「そういや、俺、エッセイ知らねぇな」と。今更感を丸出しにして鼻の穴を膨らませます。エッセイ好きを公言しているにも関わらず、知識が無い。何たる知ったかぶり。知っていたのは三大随筆(方丈記、枕草子、徒然草)程度で、しかも知っているだけでした。書き出しはちょっと覚えていますが、読んだ記憶はありません。僕はエッセイの何を知っているんでしょう。
エッセイとは何ぞや、とかいう本質的な語義について個人的見解の表明がしたいとかではなく、単純に10万文字以上もつらつらと御託を並べて来て、無知に気付いたのが10万字書いてからっていう間抜けさを伝えたくてですね。この前、サソリかと思ったらただの木の葉で、「何もない所でいきなり飛び上がった人」になった感じを伝えたくてですね、はい。
エッセイは個体を通して濾過された経験の言語化ですよね。経験には、五感を駆使する主観的経験はもちろん、妄想、会話、読書体験などありとあらゆるものが含まれます。しかし、言語化する以上、現在、最も参考になるのは文章なのではないかと思うのです。僕は本を読むことも、文字にしたためることも極端にしてこなかったので、これが中々思うようにいきません。だから、カクヨムでも様々な方のエッセイを読ませて貰って、日々笑いながら、感動しながらこの身に蓄積しているのです。
ここに来て己の読書体験の乏しさと対面し、面白い作者さんのお尻の下に積みあがった本の厚みに呆然と手を
古今東西、趣と諧謔とぽんこつに溢れたあらゆるエッセイを読めば、上質なぽんこつエッセイが書ける、とは思いません。しかしながら、視点の置き方、言葉の巧みさ、流麗な文章の流れ。これを真似ぶには経験しか無いのでは、つまり、多読が必要なのでは。そのように考えるようになりました。単純にエッセイは楽しいですしね。
皆さんのぽんこつ具合に拍車をかけるような上質なぽんこつに成りたい、と天の川に願おうと思います。ちなみに、ベガより近いアルタイルまで17光年らしいので、返答まであと最短34年は掛かりますね。末永く待ちましょう。
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