第82回 荒野とサボテン


 この6月でアメリカに来て1年になりました。緊張しながら降り立った空港のカーペットの感触。海外の空港の独特のにおい。聞きなれない英語。眩しいほどの太陽の光。外に出た瞬間に感じるカラッとした灼熱の暑さ。


 あれからこんなに時間が経ってしまったのかと驚くような気持ちもあり、当然のようにも感じられ、言葉にするのが難しいです。


 空港に迎えに来てもらった先輩二人と車に乗り込んで、車窓から眺めたハイウェイはまさに思い描いていたアメリカそのもので、象のようなピックアップトラックや、歯の抜けた老婆のようなセダンが時速130㎞で次々と僕らを追い抜かしていきます。片側5車線にもなるハイウェイは遥か先までまっすぐ伸びており、広大な茶色の世界をどこまでも切り開いていくような力強さを湛えていました。視界の奥に広がる荒野に点々と息づく緑の粒は、何人いても敵わないほど大きなサボテンで、彼らはまるで遠くからこちらに手を振っているに見えます。それは僕に向けてのようで、全くの勘違いのようでもありました。


「なぁ、Askew。バッファロー好き?」

 先輩たちはケラケラと運転席と助手席でじゃれ合いながら問いかけます。

 

「分かんないですけど、好きです。多分」


 僕は意図が分からず、歯切れ悪く答えます。先輩は「Gotcha」と一言呟くと、またケラケラと笑ってハイウェイを飛ばします。先輩たち二人はとても楽しそうで、何だか羨ましくも、微笑ましくもありました。ぼーっと流れる風景を見ていると、ハイウェイの脇でタイヤがバーストした車の荷台に座り、ぼんやりと誰かを待っている人が目に入りました。そこで初めて「あぁ、僕は本当にアメリカに来たのだな」と実感が湧いたのを覚えています。


 車はハイウェイを降り、だだっ広い駐車場が広がるモールの一角に停まりました。

「ついたぞ」

 車からおりると、まだ6月だと言うのに汗も瞬時に渇く暑さと、刺さるような日差しが肌を焼きます。目の前には羽をはやしたバッファローが僕たちを待っていました。


 Buffalo Wild Wings――黄色いロゴで有名なバッファローウイングのお店です。土曜日のお昼時は人もまばらで、大きなモニターがあちらこちらで4大スポーツを映しています。解放感のある広い店内は寒いくらいにクーラーが利いていて、広いだけにどこかがらんとした印象を受けました。


 小さなハイテーブルを囲むと、助手席の初対面の先輩はウイングとビールを慣れたように頼み、運転席の先輩は水を飲んでいます。

「Askewも飲む?」

「いや、でも運転してもらってるのに悪いですよ」

「いいよ、俺は元々そんなに飲まないし。飲みたいなら飲んだら?」

「……じゃあ頂いていいですか?」

 つたない英語でこれを下さいと伝えると僕より若いであろうタンクトップのお姉さんは「ID見せて」と笑顔になります。パスポートを手渡すと「ほんと? 21歳以上に全然見えなかった」と驚き、先輩が「若いでしょ」と笑っています。なんだか海外っぽさを感じ、おかしくて僕も笑いました。

「俺は聞かれもしなかったのに」

 僕たちはまた笑いました。


「バッファローは好き?」

 先輩は繰り返します。

「はい、ちょうどお腹空いていたところなんです」

 僕が答えると、ケラケラと先輩たちは笑います。

「そりゃ、楽しみだ」




 しばらくして出てきたバッファローウイングはとても美味しそうで、すぐに僕はソースで手をべとべとにしながらお肉にかぶり付きます。

「ぶはっ」

 同時に辛さが僕の鼻と喉を直撃して大いにむせました。


「ぶっ」

 先輩たちはそんな姿を見てケラケラと笑います。


 すぐさま喉を鳴らしてごくごくとビールを飲むと、辛さが中和され、赤茶けた渇いた地に川が流れ込むように喉も潤っていきます。あぁ、美味しい。柔らかいお肉が肉汁と旨味を口内に残して胃に落ちると、すぐに心地の良い辛みが口の中から鼻まで匂い立ち、軽やかなモルトの香りがするスコティッシュエールの甘みが洗い流していきます。生の野菜スティックをぼりぼりしながら、僕は何本も何本もかぶりつき、その度に、手と口回りをべとべとにしました。鶏肉とビールが空っぽの胃と空腹感を満たしていきます。僕の身体がアメリカを吸収していくようでもありました。


 日本だったら大ジョッキ相当のグラスビールを2杯ほど飲み干し、最後の1本から肉をはぎ取ります。目の前には無残にも骨だけになったウイングの残骸が積みあがっていました。


「はぁー、お腹いっぱいです」

「俺らも久しぶりに来たよ。やっぱ、味はそこそこだな」

「そうですか? 美味しかったですよ。こっちのビールも美味しいですね」

「そう? 俺、飲まないから違いがあんまり分からないんだよな」

「うん、美味しいですよ。エールがこんなに沢山置いてあるなんて、ラガーばっかりの日本とは大違いです」

「ふーん、そんなもんなん?」

「そうです、凄いことです」

「まぁ、とにかく食べれて正解だな」

「払って頂いてありがとうございます。ごちそうさまでした」

 僕は頭を下げます。


「よし、じゃあ行きますか」

 先輩二人は意気揚々と立ち上がりました。

「え? 行くってどこにですか?」

 僕がぽかんとしていると、先輩は目を見合わせてにやりとします。


「そりゃ、決まってるでしょ。バッファローに会いに」

 二人はそれはもう楽しそうにケラケラと笑いました。


 ――その日、大人たちの遊技場カジノで僕がバッファローに惨敗する羽目になったのは想像に難くないでしょう。無一文だったのに、何故かいっぱいお金が出来ました。もちろんマイナスで。


 出鼻に強烈な左フックを食らった僕は「アメリカって怖い所だな」と鼻血をタラタラと垂れ流しながら、キャッキャッと楽しそうに全身から血を噴き出して遊ぶ二人を見ていたのです。


 ホテルのシャワーを浴びて、倒れ込んだクイーンベッドは綿のように全身を包みます。清潔なシーツの匂いが鼻をまさぐり、ふわふわした沢山の枕に顔を埋めて心地よさを味わっていました。先輩二人の愉快な自殺ショーとそれに巻き込まれた自分の姿を思い出すとおかしくて笑いが漏れます。これからこの異国の地で過ごすという言葉に出来ない不思議さに包まれながら、ゆっくりと僕は目を閉じました。頭の中で色々なバッファローがスライドショーのように切り替わり、部屋の中には聞き取れないニュースキャスターの声が響いていました。



 そんな日から丸1年が経ちます。

 その先輩二人はもういません。



 海外駐在の交代スパンはとても短い。次々と色々な部門の人が、知り合いが、友達が、早送りのように来ては帰っていきます。


 1ヶ月ほど前、大学で日本語を教えている友人のFarewell Partyお別れ会を知人の家で行いました。5つほど年上ですが、物腰が柔らかく、決してトゲのある言葉を吐かない少しエッチな先生が僕はとても好きでした。


「短かったですけど、色々飲みに行きましたねー」

「いや、ほんとそうですよ。楽しかったです。Askewさんが日本に来るときは言ってください。東京近辺で遊びに行きましょう」

「はい、是非! 新宿だったら任せて下さい。バーに行きましょう」

「おぉ、バー! 良いですね……。あれ、もちろんやってくれますよね?」

「もちろん! 『こちらのお客様からです』ってやつですよね」

「距離近くないですか?」

 僕らはお酒を飲みながらケラケラと笑いました。


 宴もたけなわとなった頃、ふと、先輩が気付きます。

「でも、来年にはここにいる人は全員いなくなっちゃいますね」


 一瞬何を言っているのか良く分かりませんでしたが、すぐに思考が追いつきます。そうだ、ホストのアメリカ人ご夫婦は隣の州に引っ越しますし、良く遊んでいる日本人ご家族の大学生の息子さんは卒業する。会社の先輩は来年日本に帰るし、教師のお友達もご結婚されると言います。


 ――そうか、来年この場所に残るのは僕だけなんだな。


 一斉に飛び立つ鳥の群れを呆然と見送る自分の姿が目に浮かびました。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず――。

 かもの長明ちょうめいの有名な一文が頭の中をさらさらと流れていきます。


 卒業後、実家を離れて東京に向かい、コーヒーカップのようにくるくると目まぐるしく毎日を過ごしていたら、九州へと異動になりました。九州では一転、川のせせらぎの中、キラキラとした光の中で体をくねらせる魚影に目を凝らすような生活を楽しんでいました。そして、憧れの海外へ。


 流されるがままに生き、川べりに腰を下ろしても漫然と川の流れを眺めるだけで気付きませんでした。長明ちょうめいが続けるように、世の中の人と住まいは淀みにあっても浮かんでは消える泡沫のようなもの。すべては流れて、消えていくのですね。


「全員いなくなっちゃいますね」

 その言葉を聞いたとき、大きな悲しみが押し寄せ、どうにかしなくてはとあたふたとしました。

 

 僕は移り行く世界でなにをしなくてはいけないのでしょう。

 今、なにをすべきでしょう。


 何かを残さなければ。

 きちんと生きなければ。


 そうした強迫感に襲われたのです。



 

 あれから1ヶ月。僕は今、広大な荒野が広がる国立公園の中で一人、夕陽を見つめながらここを去った先輩達と友人を思い出しています。

 

 夕焼けに燃える大きなサボテンの下で荒野を眺めていると、この景色は何百年も、何千年も変わらなかったんだなと、ふと根拠も理由もなく理解しました。自分がここにいることはその流れのほんの一瞬であって、この景色の短い記憶の一部になっていくのでしょう。1年前、僕の血肉となった鶏たちが僕の記憶の小さなひとかけらとなっているように。悠久の時の中で、今ここにいることは、決して辿りつけない深い不思議を内包しているのです。


 川は流れ、水は澄み、そこに生き物が息づく。そしていつか全てが終わる。それは自然なことです。誰にとっても平等なことなのです。そうだとは分かっていてもやはり少し寂しい。切ない、と言っても良いのかもしれません。でも、それは悲しむことではないのでしょう。


 全てのものは流れています。

 笹船のように、ぷかぷかと軽快に川面を流れる人もいれば、ゆっくりころころと川床と転がる人もいるでしょう。ずでんと流れの中に腰を下ろした人もいるでしょうが、流れはその肩に当たって砕け、分かれては、絶えず流れているのです。動いていないようでも、動いているのです。同じ場所にいても、地球が回っているように、太陽が動いているように。そして、その速度は気付かないほどゆっくりと、でも気付けば遥か遠くへと運ばれているのです。


 ただ流れに身を任せるもよし、その流れを見ているのも良し。

 すべてのことに意味を持たせる必要はないのかもしれません。


 取り残される訳ではない。みんな流れていくだけ。この自分も流れている。

 

 全てが流れていく摂理。僕たちが今ここにいること。その恐怖と言っても良い奇跡の中にいること。燃える陽が、赤茶けた土が、サボテンが、僕に何かを教えてくれました。


 ――ただ、今、やりたいことをすれば良いんだろな。


 瞬間、すとんと肩の荷が下りました。

 僕は重い荷物を荒野へと放り投げました。

 

 しばらくの間、地面に座って広がる景色を眺めていました。確たる雄大な自然と移り行く空。やがて太陽はすっぽりと地平線に隠れ、赤から藍のグラデーションが宙を彩ります。そうだ、地球は回っていく。誰もが流れていく。もう悲しくはありません。

 太陽が居眠りを始めたちょうどその時、僕は空に飛んでいく一羽の鳥の声を聞いたのです。

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