第74回 褒められ上手は思い上手
むむむ、どうしましょう。レビューを連続で頂き、めちゃくちゃ褒められました。自分も気付いていなかったことを言葉にして貰いました。実はそうかもしれないと、頬がゆるゆるになっています。ありがとうございます!!
本当にありがたいです。ありがたいことなのですが、現実世界ではイジられ慣れてしまっているので、褒められた時にどうすれば良いのか分かりません。この嬉しさを表現する術を知らないのです。
そうした時、つまり、誰かに褒めて頂いた時、僕はいつも中学校の友達を思い出します。典型的な日本人を貫いてきた小学生には衝撃的な経験だったので、今でも覚えています。
僕は小学生のとき「謙遜こそが美徳だ」と思っていました。カッコいいね、と言われても、フォームが良いね、と言われても、「いやいや、そんなことはないです」とはにかみながら頭を下げるのがお決まりの反応でした。それ以外の反応は持ち合わせていませんでしたし、そのまま受け入れるのは
しかし、転機は中学一年生のこと。僕の中学は校区内の3つの小学校から生徒が集まる公立中学でした。ある日、僕は何気なく会ったばかりの違う小学校出身のカズに言いました。
「カズってかっこいいよな」
当然、謙遜の言葉が出てくると思っていました。
しかし、カズは言います。
「だろ? ありがと!!」
その屈託のない笑顔は今でも忘れません。
冗談めかして言っていたので、嫌味は全くなく、その爽やかな反応に面食らって、言った本人であるにも関わらず脳がフリーズしたことを覚えています。
その時、僕は褒めたことをそのまま受け入れられることがこんなに気持ちの良いことだと初めて知ったのです。
そして、過度な謙遜は、結局は自己防衛の為なのだと気付きました。
褒めてくれる人の期待を、裏切りたくない。
良くしてくれている人を、失望させたくない。
だから、期待を上げ過ぎないように謙遜をする。
でも、とどのつまり、それは自分を卑下しているだけなのです。褒めた人の気持ちを無視しているだけなのです。そのことに
そして、歳をとるにつれ、自分の構成要素が分かるようになります。僕が僕のまま成長したということはあり得ない。僕は誰かの薫陶を受けて、今の僕があるのだと。素直に受け入れることの清々しさを教えてくれたカズもその一人です。だから、僕が褒められるのは、僕が良いなぁと思った人が褒められるのと一緒なんです。僕はどうってことのない腐れ社会人ですが、僕を良いと思わせる何かは、生来のものではない誰かの珠玉の残光なのです。
そう思うと、褒められるのはとても楽しいことなのです。
褒められたことは、そうありたいと願った誰かのことですから。
――へへへ、そうでしょう。師匠は凄い人なんだ。
内心そうほくそ笑んでいれば、すっと受け入れられるんです。
だからね、褒められ上手な人って言うのは、自分のことを考えていない人だと思うんですよ。自分の手柄と思っていないから、自分のことよりも嬉しいし、受け入れられる。
そう思うんです。
この前、友達に褒められましたよ。
「Askewってほんと一人でも楽しそうだよな」
「え? まじで?! ありがとう!!」
満面の笑みで返しましたとも。
すると、友達はこう言いました。
「いや、褒めてねーし」
え?
…………え?
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