第61回 存在しなかった友達が突然、目の前に現れました。


 日曜日だというのにスーツに身を包んだ人もちらほら見かける夕方の新橋駅前。蒸気機関車が鎮座している広場で僕は大きいキャリーケースを引きずりながら、必死にWi-Fiの電波を探していた。別の友達と池袋でGWの旅行計画を練っていたが、少し長引いてしまったので30分ほど遅れる旨を連絡していた。電車に乗ったら、電波は入らない。


 すぐにWi-Fiは見つかった。認証を済ませて電波を掴むと、LINEの通知がポップアップされる。「ここの居酒屋の地下」。地図情報を確認してすぐに南に向かう。あの通りか、それほど遠くないな、そう考えながらキャリーケースを曳く。キュルキュルと車輪が甲高い摩擦の音を立てる。油でも差した方が良いだろうか。一年前から車輪の音がすこし気になる。


 居酒屋はすぐに見つかった。店に入るとすぐに店員が「いらっしゃいませ!何名様ですか?」と元気な声で挨拶してくる。「待ち合わせです。あと、この荷物預かって貰えますか?」と言うと、またも元気な声で店員は承った。


 店内は向かって左奥が厨房で、それ以外の壁沿いに座席が並んでいた。ちょうどLを左右反転させた部分が客席である。入口のすぐ右手から壁に沿うように地下に階段が続いている。ドキドキしながら階段を下りて行った。


 今日会うのは高校からの友達で、3人が集まってくれた。最後に会ったのは出国する前だから約1年ぶりの再会になる。まぁ、そんなに変わっていないだろう。階段は壁に沿って途中で直角に曲がっており、角にあたる部分は踊り場になっている。そこから地下の席が見渡せた。


 それらしい姿が見えないな……。地下には4組程度の客が飲んでおり、ざっと端から端まで目を向けた。そして、少し時間がかかったが一番奥の席に部活の後輩の顔を見つけた。おぉ、今日はあいつもサプライズで呼んでくれたのか! 声帯が伸びて空気を通す準備をしながら、向かいに座る人物に目を移すと、全く知らない人物が目に入った。すぐに声が喉のなかで呻きに近い音に変わる。よくみると後輩だと思った人物も全くの他人だった。


 目印を見つけたと思ったら全く違うものだと分かり、迷子になった気分でキョロキョロと見回す。店員も怪訝そうな顔で僕を見上げている。


 ――あれ、店を間違えたかな?


 一抹の不安が胸に湧いてきたとき、一番近い掘り炬燵の席の一人がすっと手を挙げた。僕の目がその手に引き寄せられると、手は左右にふらふらと揺れ始めた。その時、そこにいた3人が、今迄は他人だと思っていた3人が、突然友達になった。あー、久しぶり! と声を掛け、安堵の表情ですぐに階段を小走りで降りた。


 顔を眺めたはずの一人は思ったより太っていた。手を振ってくれた友達も髪が伸びていた。それにしても、その変化に気を取られて気付かないなんて、ちょっと恥ずかしいな。少しの羞恥と懐旧の念を抱きながら靴を脱ぐ。テーブルの上の刺身盛り合わせはすでに半分以上なくなっている。生ビールを頼んで、席に着く。


 「久しぶり。久しぶりすぎてすぐに分かんなかった」と言うと、

 「すぐにアメリカ行った感出してくるやん」と返された。

 

 僕の発言とこちらのブランドのパーカーを見てすぐに突っ込みが入る。あぁ、懐かしいなと思う。


 それにしても、こうして話すと体形は兎も角、高校から何も変わっていない。転職して六本木から浅草に引っ越したという小太りの友達も、5月からドイツに駐在が決まった髪の長い友達も、10月に結婚するちょっと口の悪い友達も。何も変わっていなかった。いや、変わっているのだろうが、変わらず友達だった。


 でも、さっきの感覚は何だろう。


 僕は確実に目にしたはずだ。この3人の姿も。今はもう頭にあるぼんやりとしたイメージにがっちり嵌って、友達以外の何物でもない。しかし、さっきの時点では赤の他人だった。居酒屋で飲んでいる飲んだくれ集団のうちの一つだった。僕の人生には殆ど関係の無い人物たちだと思っていた。かなりの時間、見渡していたのにそこに友達は見つけられなかった。


 それが、手を振られた瞬間、無から友達が生まれた。そんな感覚だった。


 姿形は全く変わっていないのに、そこに意味が生まれた瞬間だった。文字にはならない、客観的には何も変わっていない状況で、確実に何かが変わった瞬間だった。


 僕の脳はどうやって彼らを友達だと認識したのだろう。赤の他人フォルダから友達フォルダにすぐさまドラッグ&ドロップしたのだろうか。不思議だなぁー。とぼんやり思った。


 人数分の新しいビールが運ばれてきて僕たちは乾杯をした。


 「おかえりー」

 「ただいまー」


 冷たいビールが渇いた喉を通ってすきっ腹を満たしていく。

 

 っ、ぷはっー!

 『美味いっ!!』

 

 みんなでそう言って、話を始める。


 酔いが回るにつれ、僕の中から不思議は抜けていった。普通が始まった。日常がまた回り始めた。例のごとく1軒で解散するはずもなく、バーに入ってダラダラと飲む。その後、カラオケに移動して、またも飲みながら終電近くまで歌っていた。とても楽しい夜だった。そして、なぜか懐かしい夜だった。





 今日、長いフライトを終え、自宅で一息ついていてはっとした。

 「友達が生まれた」

 スマホの画面に、簡単なメモがぽつりと残っていた。



 距離と時間を置いて振り返ってみると不思議に思う。

 友達と他人の境界ってなんだろう、と。



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