第30回 沸点は低ければ低いほど良い
前々回はトイレの中でみつけた檸檬を題材に、梶井基次郎さんの檸檬を丸パクリしてみましたが、表現力が段違いすぎて情けない出来になりました。鬱屈した気持ちに光る、鮮やかな色彩と心情の詩的な表現は真似できませんね。
梶井基次郎 - 檸檬
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card424.html
情けない部分というのは誰もが持っています。それにしても、僕は少々比率が多すぎではないでしょうか。中でも、昔からなおさねばと思っている部分があります。
それは、どうしようもない耐え性の無さ。
忍耐。自制。気根。
これらが完全に欠落しています。そんな自分自身に憮然とするだけなら良いものの、すぐに怒りの感情が沸き起こってきてしまいます。
なんでこんなにもできないのか。
みんな曲がりなりにもちゃんとできているのに、なぜ自分はできないのだろう。
ほんとにふっと沸いてしまう。
昔から耐え性の無さは致命的なのです。
いわばインスタントアンガーです。
現代はついに怒りの感情もインスタントで作り出せる人を生んでしまいました。
何かあれば、すぐにイライラします。
顔を洗いながらタオルをノールックで取ろうとして、洗面台のものをぶちまけたとき。ボタンを留めたままYシャツを着ようとして、近代オブジェみたいになったとき。歯磨きをしたままくしゃみをして鏡に点描画が生まれたとき……。
沸点が低いとはさもありなん。
T-falなんて目ではありません。1分もいりません。
なんとインスタントでお手頃なお怒りでしょうか。
――いや、しかし、逆にここまで沸点が低いのは、なにか良いことの裏返しなのではないでしょうか。
富士山山頂では87℃程度で沸騰するように、気圧が低ければ沸点は下がります。宇宙空間では、真水は一瞬で沸騰するというのです。
つまり、沸点が低い人は心が宇宙のように広大であるからに違いありません。
地に足がついていないだけではないか、入れ物ばかりが大きくなって、中身が薄くなっているだけではないかという指摘は断固として受け付けません。
僕たちは最遠に近い存在なのです。
しかし、それでも宇宙では己の卑小さ、寄る辺の無さを実感してしまうのはどうにかできないものでしょうか……。
結局、隣の芝は青いのでしょうね。
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