自己中心的とは言いましても、
①「相手に何かを求めるもの」
と
②「相手の求めに応じないもの」
大きく2つに分けて上記2つのタイプがあると思います。
①は、そもそも自分の行為が他人に不快感を与えます。
②は、相手の行為に応じないことにより相手側が【勝手に】不快感を得ます。
そう考えると、気が楽になりませんか?
作者からの返信
矢指 嘉津さん
コメントありがとうございます!
確かに、自己中心的振る舞いにも分類がありますね。僕はどちらも内包しているので手に負えませんが、矢指さんが仰るように半分は手に負わなくても良さそうです。無理やりこじつけて納得していましたが、また楽になりました。
また色んな考えを聞かせて下さい!
こんなコメントがいらないものを取り去って行ってくれるみたいです。
こんにちは。
Askewさんの言う自己中は、
自分を大切にしているだけで、
大勢の人の中で傍若無人にワガママに
振舞っている訳ではないので、
いいと思います。
むしろ、無償の〜とかの方が私は怖いです。
私は本当に無償で何かを出来る相手は
究極、我が子か家族だと思っていて。
(勿論、その他の人に何かしたいという気持ちはあっても、どこかで細々とした躊躇がうまれてしまいそう)
それに、逆に何かしてもらうと、
即お返しをしなければ!とプレッシャーにさえなってしまいます。
…論点がずれちゃいましたね。
まず自己中で、
他の事はその後で全然いいと思いまーす。
作者からの返信
ねむこさん、こんにちは!
コメントで背中を押して頂いてありがとうございます。
自己中で良い、なんて初めて言われたので、少し気持ちが軽くなりました。
無償の感情というものは本当に稀有なものだと思います。
仰るように、それこそ家族ほど近い存在に対してのみですね。
それ以外は、情けは~のことわざの通りだと思います。
僕はそれが自然な感情だと思っているので、こうして文字にしてみたのですが、分かってもらえる人がいてとても嬉しいです。
でも、傍若無人、わがままに振る舞っているかいないかはどうでしょう……。
最近、下っ腹がわがままになってきて、言うことを聞きません笑
眠れぬ夜のたまきです。
お久しゅうございます?(笑)
さて、何が問題でしょうか??
逆に、世の中の大多数の人(特に大人)は、
Askewさんとまったく同じなのではないかと思いました。
特に、SNSや携帯の件は、
世代によって普及具合が違うので多少感覚の違いはあるでしょうけど、
それでも、誰かとずっと繋がっている、あるいは繋がっていたいのは、学生時代までではないのかなぁ、と。
後半部分のお話に至っては、一部の例外(レスキュー隊など仕事柄の人や聖職者とか!?)を除いて、Askewさんの考え方が一般的とさえ思います。
または、配偶者や子供は自分に代えて守りたいとかありますが、そういうのがなければ、Askewさんのような感覚が普通かと。
え?そう言う私もおかしいのでしょうか!?
作者からの返信
たまきさんー、こんにちはー。
今回もコメントありがとうございます!! いつもルンルン気分でなんて返信しようか考えていますー(´▽`)
社会人になって空気が変わって来てありがたいです。学生時代でさえずっと繋がっているのは窮屈に感じていましたから。笑
さて、今回は自己中のお話でしたね。この話の背景は”奉仕礼賛”を良く耳にしていたことがあります。特にビジネス研修等でですね。立派な人は奉仕の心を持っている。(お前たちも持つべきだ。) そんな言説をよく教えられました。
そこで結構反発したくなるのですが、みさえさんが仰るようにそれが一般的なのですね。良かった。安心しました。皆が皆、奉仕の心なんて持つことが出来ると考えているのかと心配だったので。
いえ、僕にとってはみさえさんはとても正しいと思います! でも、僕には何の説得力もありません!笑